ピアノの森を最後まで、一気に読み返してしまいました

4月からのアニメ化が決まっている漫画「ピアノの森」ですが、私は先週から読み返し始め、映画版のアニメも見て、今日は結局最後までハイペースで読んでしまいました。

あっという間に読みたくなる内容なので、こうなってしまいますね。

私はこの「ピアノの森」を読み直す中で、涙を流すところがいくつかあります。私はやはり40歳を超える年齢に入っておりますから、阿字野先生の苦悩というか、そういうものに深い感情移入をしてしまいます。

事故で、フィアンセ、腕、そして、ピアニストとしてのステータス、それらをすべて一気に失い、ボロボロになりながらも、死んだように教師をやっていた事実。

半ば、死んだような状態で、一人きり生きていたわけです。描かれてはいませんが、絶望の中で、うつ状態で、生きていたのは間違いありません。「なぜ、私は死ななかったのだろう」(ちがったかも?)すべては、その言葉に集約されていたと思います。母親も死んでいた設定だったはずです。

そんな絶望の中に見つけた「才能」、一度死んだ命、いやむしろ、死んでいる状態の中で、命を懸けたっていいと思って、海を指導していたのただろうと思います。だからこそ、その中での急激な変化が先生にも海にもあったというわけです。(本当によく練られた作品だと思います)

数年前。私が「ピアノの森」の1回目を読んだとき、主人公は、一ノ瀬海のような漫画でしたが、実は、阿字野先生の物語がメインだと、いまさら気づかされました。

音楽家には、不幸がつきまといます。いや、人生というのは、いいところばかりでないので、誰もが不幸もあってこそ人生なのだと、今の私は考えるようになりました。生きるということは、残酷ではなく、生きるということはそういうことなのだと思います。

といことで、感動の涙を流しながら、最後の阿字野先生と海のK365の演奏を下記の動画を見ながら、想像してしまいました。

NHKの「ピアノの森」において、クラシックの描写やピアノの演奏がどこまで描かれるのかはわかりませんが、いずれにしてもクラシック音楽が取り上げられる作品ですから、ピアノが再度、脚光を浴びることを期待しております。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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