先日、参加してきたある音楽コンクールの予選ですが、何か月も一緒に取り組んできた、親・ピアノの先生からみると、今回の子供の演奏は、ミスも目立ち納得のいくものではなかったため、結果がでるまでは、あまり良い結果ではないだろうというのが、お互いの理解でした。
しかし、結果は、想定外に
ダントツでの予選通過、実質のトップ通過
という結果がでました。このことに先生を含め私たちは大変驚きました。うれしいというよりも、どこかおかしい、そんな感じでした。
このことについて、腑に落ちなかった私たちは、参加者が減っているのではないかと、そして、コンクールのレベルが低くなっているのではないか?と、その結果よりも、納得いかない様々な疑問を持ちながら家に帰っていったのでした。
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本当にうちの子供はその実力があったのか?何かの間違いではなかったのか?
それが先日まで、私にとっての疑問になっていました。喜んでいたかといえば、少しは喜びましたが、これまでのコンクールの結果と違い、どこか納得感がない状態でした。
そこまでの演奏だったのだろうか?
私からの視点だと、他にも上手だと感じた子供たちがいたのに、なぜダントツという結果に、なっていたのか、そのなぜをずっと考えていました。
それについて、昨日ある程度、納得する理解を得たので、書いておこうと思いました。
まずは、事実からの検証です、実は例年に比べ、参加人数が増加していたという事実が昨日確認できました。
私たちは、参加者が減っていたという理解をしていたのですが、一昨年、昨年、今年と参加者の増減を確認していたところ、実は逆で、毎年増えていたという事実が確認できました。
減ったと思ったのは誤認でした。
一昨年は、11人程度だった参加者が、今年は24人ということで、参加者は倍に増えていました。
この事実を受けて、全体的にレベルが落ちていると言えるのか?という疑問が浮かびました。
これまでのソナチネのレベルから、ひとつ上のソナタレベルの階級へと、レベルを上げ、私の子供は初挑戦となったわけですが、今までのコンクールで、私たちがそのソナタレベルの人たちの演奏を聴くと、ほとんどミスがない演奏をしているという認識を持っていたのでした。
一方で、今回の私たちの印象は、みんなどこか間違っている、ミスタッチをしているという印象を持っていたのでした。
このことから、全体的に参加者のレベルが下がっていると判断していたのでした。
しかし、そのことについて、先の参加人数が増えているという事実から考えると、違ったのではないかという、また別の疑問が浮かび上がり始めました。
実は、これまでも同じソナタのクラスのレベルの演奏でも、ミスタッチはしていたが、ミスタッチをしていたけれども、そのミスを以前の私達が気づけていなかっただけなのではないか?
子供の成長に伴って、私たちもミスに気付ける耳になっていたのではないかと、思ってきたのでした。
ただし、手放しで、自分達が成長してきたとは言いません。ですが、それはありえることだと思い始めました。
ここ数年、子供がピアノの練習を毎日欠かさず1時間以上やることになったことで、おのずとピアノ演奏を聴かされる時間が増えます。それに付き合ってきたことで、私たちも、何が良い演奏で、何が良くない演奏かを判断できるような訓練を積んできたようなものだったのです。
しかし、その認識は誤っていたのだと思います、良い演奏とそうでない演奏を実は見分けられていない私たちがいたんだということがみえてきます。
コンクールにおいて、一見ミスのない演奏をしていたと理解して聴いている私たちですが、それは原曲を知らないからの解釈が行われるからです。その演奏を始めて聞いたからこその印象であり、楽譜を読み理解した上での印象ではなかったわけです。
実際には、3連符や4連符、休符、リズム、シンコペーション、ペダリングが誤っていたとしても、私のような素人には理解できていないという事実です。
一見上手だなと思っているその音楽が、譜面通り弾かれていなくても、素人には実際わかっていないということでもあります。本来は、細かくやらなければいけいない演奏も、できないことで簡単にアレンジしてしまうこともあるでしょうが、それに気付けるとは思いません。
ミスるから譜面通り弾くこと避けていた場所があったとしても、私たちのような素人では、やはりそれに気づけていなかった事実があるはずです。
これは確実にあると思いました。だから審査員の判断と素人の結果が変わるのです。
このことに気づいた私は、大いに納得しました。
審査員であるピアニストの方々には気づけて、私たちが誤る判断をすることが、芸術にはつきものだとあらためて気づけました。
聴く側のレベルも高くなければ、結局、演奏を理解できないという事実が浮かび上がった日でもありました。。