良い演奏:普通のことが本当に普通にできているか?

習い事に限らず勉強でもそうですが、「私は、中学1年で中学2年の勉強をしている」とか、「大学レベルの勉強をしている」とか、学習進度でまわりに誉めてもらいたい生徒がいたりします。

私はチェルニー30,40番を小学生の低学年でやってたとか、ソナタをやってたとかですね。
(でも、中身はどんな演奏だったの?)

また、よく見る「神童」という言葉が、そもそも宣伝のための文句として使われ始めたように、
メディア露出する際には、売るための宣伝文句や話題性のある枕詞が多用されることに影響され、「誉めてもらいたい何か」を子供達が欲しがるのも仕方ないとおもいます。

しかし、長年生きてきた私は「すごい」と宣伝されるもの程、実は深みがなく、長い時間普通に行われていることにこそ、気づかなかった本当の価値があることを発見することが最近多いと感じています。

普通のことが普通にできること、それがいかにすばらしいのか気づかされるのです。

ソナチネであろうがソナタであろうが、心にグッとくる演奏はグッとくるのです。
グッとくる演奏をするためにやらなければならない「普通のこと」が毎日のどんな練習の中にもあるということなのでしょう。

どんな曲にも終わりはなく、アップデートは、常に必要ということでもあります。

実際、うちの息子にピアノを習い始めた頃に弾いていた曲「りっちゃんの飛行機」を、今もたまに弾かせるのですが、いまだに私が満足する演奏で弾いてくれたことは、一度もありません(笑) 今は、ソナタを練習しているのにです。

うちの息子の一つ上の学年に、小さい頃からよく指の回る娘さんがいました。「きらきら星変奏曲」を小4の発表会で勢いよく弾いていました。

当時の私は、ピアノの音色に関しての理解が不十分でしたから、その桁違いによく回るその指にとても驚いたものでした。しかし、そのお子さんの親御さん曰く、「音がよくない。むしろうちの息子の方が、音がきれい(?)」と言われていたのです。

ご冗談でしょう・・・「うちの息子は、それくらいしか褒めるとこないんだな。。」と思っていました。この時の私は「音がきれいって、どういうこと?」という状態だったのです。

しかし、最近になってその理解が私もできるようになってきました。ピアノの練習をしなくても、ピアノ曲を何度も聴いていくうちに素人だった私も耳が変わってきたのでしょう。(と思いたい)

ピアノは音を出してから消すまでの操作を体全体で行う楽器です。指の動きだけでなく足の操作があります。しっかり音を出せば良いわけではなく、テンポだってメトロノームに合わせてきっちり弾くのが正解でもなく、まるで一人オーケストラのように、左手・右手・腕、両足で、音をコントロールし、すべての音を演奏者の支配下に置いて「聞き手の心」に何か印象を与える空間(音場)を作ることができるかが、「求めるもの」なのです。

つまり、ピアノは、あくまで「その空間」をつくるための道具であり、それを「魔術的」に形成できた時、その演奏がすばらしいということなのです。(と感じます)

難しい曲をミスなく弾ききることは、すごいことではあるのですが、どこか心に響くものがないと結局印象に残らないのです。そもそもクラシックを聞くことが普通ではない日本では、普通に弾いていたら、なおさら響かないのということなのだろうと思います。(かといって、先生にだけに届く、やりすぎな表現も素人にはよくわからなかったりするわけですが)

まわりいn進度の速い子供がいることで焦ることもあるでしょうが、その必要はなく、今やっている曲で、いかに日々学んでいるか。これが結局、どの人にも当てはまるのだなぁと、日々感じるので、今回はそれを記載してみました。

参考になれば幸いです。

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