ピアノのムシ 7 を読みました

今朝ピアノのムシ7の電子書籍版がダウンロードできたので、先ほど読み終えました。実は昨日の0時をすぎた深夜にダウンロード可能通知は来ていたのですが、スマホの調子が悪かったのかシンクロできずNGで朝になりました。

読書時間15分程度ですね。私はいつも漫画は一気にいってしまうクチです。

ネタバレ的なことは書かないのですが、ピアノを使って側として気になる描写があったので書いておこうと思います。

それは、調律の費用と作業内容のことですね。

調律師はどんなに腕があったとしても、仕事ですから、毎回最高のピアノにするための「作業」がすべてできるわけではありません。

お客さんの意思にあわせて調整するのでしょう。仕事とは良くも悪くもそういうものになります。

特別サービスで時間をかけて最高の調律をしようとしたって、雇われの調律師なら、依頼に比べ作業時間が長すぎるやら、次の客をまたされるやらで、会社から”せかされ”て次をやらざるを得ませんから、お客さんの予算の範囲内でしか作業はできないでしょう。

では、お金を十分に支払うから最高の調律を頼むとした場合も、今度は調律しようとするピアノの持っている特性の範囲内でしか、音を良くすることはできないでしょう。

だから、お客だって、必要な部分での予算でしか用意できないもんだと思うんです。

たとえば、子供のために最高の調律を施したとして、その家の子供はピアノが嫌い、練習も嫌い。そんな場合、最高の調律をしたところで、その仕事がいかされないということになるわけですね。

今回、蛭田氏描写に、調律を妥協することなく最高の調律で、しっかり金をいただく、というようなものがありました。

ピアノを普及させるために多くのピアノを世に出したことで、ピアノは身近な楽器となったとおもいます。商売の為には必要だったかもしれません、しかし、数多くを流通させたからこそ、並の品質となり、それほどピアノを愛していない人にも習い事として、流通している部分もあると思うんですね。

矛盾ですよね。

品質を求めれば、ピアノ自体の生産数が少なくなり、必要な調律師も少なくなり、敷居もぐっと高くなる。

でも、最高でなければ人は感動しない。

まさに、矛盾だらけ。

昔は、そうやって私もなぜ最高を目指さないのかという、矛盾を感じていたんですが、私は最近は変わりました。

最高とそうではないものの歩み寄りが、常に今の現状にあるんですね。ピアノに限らず、政治を含め、何事も今ある姿が、結局調和がとれた状態なんだなぁと思うんです。

だから、今のかたちは悪いわけでもない。未来永劫、今のままがいいと望んだところで、実は変わってしまうのも世の常だったりします。

蛭田氏のような人物がいる一方で、そうでない調律師もいて、だからこそ、この漫画にも深みがあるんですよね。

あー、なんだか、面白い理由を書いてしまった。

この作品は、漫画がすごく読みやすくて、続きが気になります。

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