先週の区の音楽発表会で他校の生徒が歌っていた「HEIWAの鐘」
息子だけではなく、私も妻も好きになってしまって先週はYouTube動画を家族で見ていたんですね。カラオケのように歌いながら。家族で合唱してました。
ということで、今週になっていたわけですが、夕食後、息子が「HEIWAの鐘」をピアノで弾き出した。
妻に、今週練習していたの?
と聴いたら、初めてじゃないの?という回答。本人に聞いても、「初めてだよ・・・」
とかいいつつ、コーラスのメロディ部分は完璧。
伴奏は、まぁ聴ける程度だけど、初回でそんな感じなんですよ!!
はっきりいってすごすぎる!まぁ親馬鹿なわけですが、どう頑張っても、練習もしていないのに、間違えずメロディー弾きながら、ピアノ弾き始めるとか私にはできないですよ。というか、できる想像もできない。
こんな時、息子ってすごいなって思います。(はい、親馬鹿です)
絶対音感を持っている人って、ピアノを弾けるのだから、そうなんだろうけど、やっぱりすごいです。
クラシックの音楽家というか音楽家は、絶対音感を持っている人が1割だったか、3割以下だったという記憶があるのですが、それは譜面があるから、可能な気がするんですよね。
セッションで、他人と会話するように音楽をやるとなると、使っている共通言語が音楽となるわけですから、そういうときには絶対に絶対音感が有利というか、必須になるんだと思います。
「四月は君の嘘」の中で、「楽譜の檻から飛び出せ」というような表現が登場しますが、まさに楽譜がなくても音楽をやるっていうのは、自由にできる絶対音感が必要になるんだと思ってしまいます。
この表現に従えば作曲というのは、檻を作るわけですが、檻を壊すには、それを超えた自由に責任を持てる才能が必要なんでしょうね。
作曲家は、やはりすごいと思います。