ソナチネと真剣に向き合う

現在息子は、このクレメンティのソナチネを練習しています。というかしていた。今月予選のあるカワイコンクールの課題曲だからだ。

息子はすでに2ヶ月は、これを弾いてるので、すでに飽きたらしく、先月末くらいからは、あまり弾かなくなってきたし、私もそれでいいと言っている。

心が飽きたといっているなら、無理に弾くべきじゃないと思うからだ。親としてはそれでいいと思っている。思うようにしている。

息子は、暗譜も済ませ、ほぼ弾けているのだけれども、トリルが決まらないので、とりあえず練習するときはそれを短時間でやるようにしている。

一方で、最近好き好んで弾いているのは、クリスマスソングだったり、千本桜だったりだ。

コンクールにでるからには、それなりに頑張る気があるはずで、その意思の確認はとっているんだけど、本人の心では、精神的な何かが壁になっているからなのか、この課題曲に取り組めていないんだと思う。

この課題曲に何かしらの壁があって取り組めないというのは、私はどことなく感じているので、無理に弾けとはいわないし、気持ちがのらないのなら、練習できなくてもしかたがないと思う。一方で弾きたい楽曲があるなら、ピアノを嫌いになるよりも、好きな曲を弾いていたほうが生き生きしているし、長い目で見れば音楽的なセンスも身につくとも思っている。

それなりに練習してきたからこそ、結果によらず、最後までくいが残ることがないように練習して欲しいという思いもあるけれど、本人の意思を尊重することも大事かなと思っている。

クレメンティのソナチネ37-2は、聴いていても、かなりドラマティックだし、テンポ早く弾くとかなりよい楽曲になり、化ける曲だと思う。

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