【モラージュ菖蒲】真夏に最高のかき氷、そしてタピオカミルクティーをいただく

モラージュ菖蒲の存在は5年以上前から知っていたものの、羽生市のイオンモールや越谷のレイクタウンなど、イオン系のモールに行くことが多く、これまであまり行くことのなかったモラージュ菖蒲に行ってまいりましたので、ちょこっとスィーツのレポートをいたします。

訪問日:2019年8月4日

“【モラージュ菖蒲】真夏に最高のかき氷、そしてタピオカミルクティーをいただく” の続きを読む

嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

私の人生は、学生時代は勉強、社会人になってからは仕事が主要な人生のメインテーマでした。しかし、現在は、自由がメインテーマになりました。

そんな自由人は現時点の社会では多くはないと思いますが、今後の社会では増えていくだろうと私は予想しています。

なぁぜぇかぁ!?

その理由を今は感覚でしか持っていないので、その理由となるものをこのブログで紡ぎあげて、提供できればなと考えておりますので、今回よりこのテーマで記事を書き始めました。

今回のテーマは、「嫌なこと」です。

嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

  • 学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 仕事を始めてから嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 嫌なことをやることに意味があるのか
  • そもそも嫌なことは続けられるのか
  • 果たして嫌なことを続けられる人がいるのか
  • ITの進化で記憶=勉強に価値は既にない
  • 教育が変わらなければ、勉強に価値はない
  • それでもあなたは嫌なことを続けますか?

今回は、嫌なことをして得られたもの・失ったものをテーマにして深堀していければなぁと思います。

学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ

学生の頃の嫌なことは、勉強でした。しかし、やらなければいけないものでした。

好きかと言われれば嫌い。嫌いなものは、当然やりたくないのだけど、学校や周りが勉強は大事だと言うので、嫌々ながらもやった勉強が私の青春でした。

中学時代は塾に週3通い、毎日1時間は勉強。テスト前は可能な限り6時間から8時間は勉強しました。

高校になると毎日2時間は宿題に追われ、塾は週に2回。テスト前でなくともそれなりに勉強する必要があり、大学受験の頃には、休日は10時間以上勉強をする。

そんな生活をしていました。

勉強は嫌ではありましたが、やらなければいけないものなので、やるべきものに脳内変換してやりました。それが私の高校生生活でした。

希望は、大学受験が終われば、この生活も終わりにできるでした。(こんなことは、これからの世代の人はやってはいけません。後で、そのことにも触れます)

高校生の頃失ったモノ

  • 恋愛などの普通の青春
  • 友達とゲーセンで遊ぶこと(年に1回あるかないか)
  • 部活動はなし
  • ファミコン・スーファミ・プレイステーションも禁止
  • アルバイト

高校生の頃得られたモノ

  • 成績
  • 進学
  • ご褒美(食事)
  • テレホンカード(塾から)
  • 電車通学

高校生時代の頃、頑張ったのか、頑張らなかったのかと言われれば、頑張りました。高校3年生の時は、時間があれば勉強をしなければいけないという恐怖概念があるくらい勉強を意識していました。しかし、進学校に通っていましたから、成績は頑張りに比例して伸びることはなく、その学校の普通の頑張りでは現状維持でした。

高校生時代の友達が、生涯の友達になる人もいると聞きますが、私の場合は、あり得ません。そもそも一緒に遊ぶ時間も少なく、深い中になるほどの関係もやや陰湿な競争の中では気づけません。趣味や娯楽の話を共有するよりも、嫌いな勉強が毎日の中心なのですから、楽しい会話もありません。

それが私達の高校生活でした。

今振り返っても、人生にとって本当に大切なものが得られたとは思えません。

高校生活は、充実していませんでした

学生時代は、やりたいものが見つかるよりも先に勉強や成績を求められました。そもそもやりたいものや実現したいことが、明確でないのに、いわゆる進学するための成績が良かったところで、それが使い物になるわけではないのです。

しかし、学校や周囲は、勉強できることが特別のように扱いました。私には、違和感しかありませんでした。

大学生の頃失ったモノ

  • 成績

大学生の頃得られたモノ

  • バンド活動(音楽)
  • 友達と遊ぶこと
  • アルバイト
  • ゲームをする

大学生になると、私は勉強することを拒みました。真面目に拒みました。この時期にやりたかったことは、音楽活動でした。やりたいことがこのタイミングで見つかりました。

中学、高校と学生生活が6年も奴隷のようにやりたくないことをやらされた反動が、ここで反発を起こさせました。私は本当にやりたいことを、やることに決めました。しかし、大学生からバンド活動をするような人は、その時代、もう時間的に厳しいものでした。

それでも、私は精一杯、可能な限り、時間を音楽に当てましたが、結果的には、成功を得ることはありませんでした。

しかし、このときに、最高の学びを得ることができました。本当にやりたいことをやっているときの、人生の充実感です。

私の大学生活は、あまり実り豊かなものではありませんでした。しかし、生きているというものの実感を得たのでした。



続きは、また別の機会にかきます。

人生は今日終わってもおかしくない-今日もやりたいことをやらなくてはダメな理由-

  • 死は突然やってくる(やりたいことは今日やるべき)
  • やりたいことが今日できなくても、それに向けた今日できることがやりたいことになる
  • 人間はやりたいことしか最後は続かない
  • 明日があると思って生きていたら後悔する
  • お金と人生には相関関係がない
  • お金がなくてもたいていのことができる社会が既にあることを理解しよう

死は突然やってくる(やりたいことは今日やるべき)

あなたは何歳くらいで死ぬと思っていますか?

両親が生きてるから、そんなの考えたこともない。

死んだ人なんて聞いたことないし?

近所で葬式やってるの見たことないよ!?

本来は、赤ちゃんが生まれるように、日常的に見えてもいい人の死ですが、家族葬で規模が小さくなり、また、孤独死で淡々と処理される死が増えてることもあり、日常的に死が見えることが、だいぶ減った気がします。

テレビでも、死亡が確認されたという表現は既に過去の言葉となり、最近は心肺停止の状態で発見されたということが、通常使われる言葉になりました。

また、漫画やアニメ、ゲームの世界では、当たり前のようにキャラクターが復活しますから、死というのは、非日常であり、本当にあるかどうかもわからない状態で、多くの若い人は生きていると思います。

しかし、私は子供の頃から死というのは日常にあるものだというエピソードが少なからずあったことを覚えています。

  • 4歳で死ぬ人がいた
  • 小学校で弟の同級生がやけどで死んだ
  • 社会人で死ぬ人がいた
  • 30代の親戚が突然亡くなった
  • 母親は60代で死んだ

食べ物で人が死ぬ

親の車で祖母の家に送られてから小学校に通う生活をしていました。 私はテレビだったかラジオだったかで、ある日、パンを食べていて窒息して人が死んだニュースを聞きました。さらには、おもちをのどに詰まらせて死んでいく人のニュースを聞きました。

食べ物を食べるだけで人が死ぬという現象をニュースから聞いたのです。

食べ物で人が死ぬ。小学生の私にとっては衝撃的な話でした、安全に食べている食べ物で人が死ぬ。そんなのありえない、かんがえられないのに、そんなもので人が死ぬ。

それを始めて聞いた時、次の日から食べ物を飲み込むのが苦手になりました。

オフロに入っていて人が死ぬ

毎日のように入るオフロですが、ある日、弟の同級生がオフロに入っていて死んだという話を聞きました。

今のように湯沸かし器の設定温度が決まっている時代ではなかった昭和の話です。60度から80度のお湯に、小学生が入ってしまったのだろうと思います。

全身やけどで、その同級生は死にました。

昔のお風呂は、50度くらいまでは簡単に上昇していた気がします。寒い冬に気を使ったから起きた事件だったかもしれません。

このように事件・事故を見ようと思えば、たくさんある死。私たちは、自分の死が来るなんて考えることなく生活しています。

しかし、死は突然やってきます。

やりたいことが今日できなくても、それに向けた今日できることがやりたいことになる

やりたいことが、ハワイに行くということだったとします。でも、今日は仕事があり、スケジュールが詰まっていて、無理だとしても、心はハワイに行くこともできます。

仕事をできるだけ短時間で終わらせ、余った時間を、ハワイの情報を集めたり、ハワイの動画をみたり、ハワイの音楽を聴いたりすることができます。

もっと言うと、日本にあるハワイ風レストランやショップにいくことで、ハワイに行く気分を味わうことができます。

このようにやろうと思えば、既にやりたいことがどんどんできるようになる。それが今の社会のメリットです。

それでも、まだ、ハワイに行ってはいないわけですが、モチベーションが上がって、仕事もはかどるというものです。

やりたいことがあるけど、やらないというのなら、それはあなたが望んでいることではないでしょうか。

例えば50歳になったら、イタリアに行くという目標を立てたとして、あなたが30歳だとすると、いま、あなたは、イタリアには行きたくない。これが現実です。

今はやりたくないのです。だから、やらない。

つまり、行かないことをやりたいこととして、今日もやっているわけで、それがハッピーな日常につながっているとも言えます。

人間はやりたいことしか最後は続かない

※ここから先は、また別の機会にお話ししましょう。閲覧ありがとうございました。

新しいことの創造 無価値からから価値を産むこと

この世界で創り出されるものは、すべて最初は価値がないところから始まります。

常に始まりは、無価値です。

そこから価値が生まれ、成長し、大いなる富を得られるようになれ、役目が終われば崩壊します。

この流れは、どなたでも知っているプロセスだと思います。

なぜなら、植物を見れば、誰もが、このプロセスについては、理解できるとおもうからです。

種をまく⇒発芽する⇒成長する⇒実る⇒朽ちる

これを知ると、新しいことは、利益を得るまでに、長い時間がかかることもわかってきます。

そのため、種をまいて新しいことをやるよりは、既に出来上がったものに参加したり、引き継いだほうが、経済的かつ合理的だと判断されて、実りだけをフォーカスして生きる生き方を選びがちです。

ちょっと、話がよくつかめないでしょうか?

どういったことを書いているかというと、新しく事業を始める、会社を立ち上げたり、新しい遊びを考えたり、新し何かを創るよりも、そこにある出来上がったもの、創られたものに、参加したり、引き継いだりするということを、皆さんはやられるので、それいいのか?

ということを疑問視させていただいています。

皆さんは、新しく何かを創るということを、そもそも考えていないですか?

という問いかけであります。

これについて今回書いた理由。それは、誰もが、何か創りたいものがあるのではないかと、私が思うからです。

この世界に生まれて来たのに理由がないという人が多くいますが、理由がないのには、私も同意する部分はあります。

しかし、生まれる条件がそろっていたことは間違いがないのです。

生まれたからには、何か目的をもって生きていいいはずなのです。

なので、誰もが何かを創りたいという思いがあるのではないかと考えているのです。

人間の体には無数の細胞組織があり、様々な器官が作られています。そして、人間の体の中にはたくさんの微生物がいます。

これは地球と人間の関係に似ている気がします。地球という巨大な生命体があり、そこに人間という生き物が住んでいる。

微生物は何かしら地球のために活動をしている

そう考えることもできます。

それと同じことが宇宙規模で行われていても不思議ではないと私は感じています。

生まれる条件がそろっていたからこそ生まれた、であれば、何をやっても自由だし、その中で、できることはやってもいいはずなのです。

そして、それが生き様でもあります。

だとすれば、すべての人が、創造を行ってもいいはずなのです。

そこで、そんな創造をするという方のために、お伝えしたいことがありいくつか心構えを書いてみたいと思います。

私は、学生時代に、ある挑戦をしました。結果的には、それは上手くいかなかったように見えたのですが、後になってそれが、上手くいかなかったわけではなかったことに気づくことがありました。

それが、この文章を書くにいたった原点でもあります。

・あきらめることは過去の否定
・次のことも最初からやり直し
・価値が生まれるまで時間がかかる
・神様は自分自身の中にある
・創造することの価値は、あの世にも通じる

あきらめることは過去の否定

大丈夫です、あなたがやったことは何かにつながります。今はわからいかもしれませんが、点と点が結びつく瞬間があります。

次のことも最初からやり直し

新しいことは、常に最初からのやり直しになります

今やっていることを、継続するのか、一から新しいことをやれる覚悟があるのか、で判断すべきです。

価値が生まれるまで時間がかかる

冒頭でも書いた通り、価値が生まれるのには、時間がかかります。長期にわたって継続して、成長させる必要があります。

神様は自分自身の中にある

創造主は自分の中にいます。疑いの気持ちがあっても信じて生きれば、答えは見えてきます。

創造することの価値は、あの世にも通じる

死んだら何もないという人もいれば、生まれ変わりがあるという考えもあります。

その意志とはなにか?それすらも答えはありません。

やりたいことを見つける方法2

どんな人でも、やりたいことをやる人生というのには、憧れます。

しかし、たいていの人はその憧れはあっても、やりたいことはやらず、やるべきことと、与えられた娯楽人生を浪費し、死んで終わりです。

でも、基本的には、それで大丈夫です。

それが、普通なのですから。

けれども、それでは嫌だ。という人のために、この文章を書いて見たいと思います。

人間は生まれた時から、意識があり、魂があり、心があり、そこから生まれるやりたいことは、必ず生まれてきます。

しかし、仕事、家庭、社会的地位、ルール、既存社会の通念、そういったものに縛られて、ほとんどの人はやりたいことをやれていません

もしかしたら、そもそも心の声を拾うことすらもできていないかもしれません。

また、テレビ・マスコミが宣伝する、企業がビジネスのために描く「みんながやりたいと思うこと」が、毎日のように放送されており、たいていの人は、食事の時にテレビを見ることで、洗脳のごとく、やりたいこと(仮)が多くの人の潜在意識に埋め込まれていきます。

それ「やりたいこと(仮)」は、旅番組やグルメバラエティ、スポーツ、ゲームなどで、提案されていますよね。

これらのテレビプログラムは、とても面白いですよね。お金を掛けてつくられているからなのですが、どうしてこんなことができるのでしょうか?

視聴するのは無料なのに!?

スポンサーがいるから? そうです、スポンサーにとって価値があるからということでしょう。詳しくは、別の記事で書きたいと思います。

ですが、そもそも、あなたがやりたいと思うことは、必ずしも、テレビが提案できるような、この世界にあるものではないはずなのです。

既にこの世界にある、すべてのものは、あなたが作ったもの以外は、誰かが作ったものなのです。

あなたのやりたいことが、探せばどこかにあるはずはないのです。自分探しの旅は、自分探しの旅で、ビジネスになる部分もあるので、メディアに登場してくるときがあります。

しかし、どこかにでかけなくとも、自分を探すことはできます。(自分探しをするなら、自転車や徒歩で十分です)

そんな現実を理解しながら、やりたいことを見つける方法の2回目を書いていきたいと思います。

やりたいことはなくて当然
欲望とやりたいことは違う
やらなければいけないこと=仕事は洗脳されてやっている
やりたいことを一つ我慢したら、我慢の連鎖が始まり、自分を見失う
学歴が高い人ほど、支配されやすい(まわりの期待・興味・影響)
やりたいと思ったことを制限なくやる
心の声が聞こえる環境を作る(独りの時間)
仕事を辞めてみる(上級編)

やりたいことはなくて当然

多くの人は、やりたいことを持っていません。

え!?、何言っているの?
あれやりたい、これやりたいが、あるよ!
・御飯食べたい
・旅行行きたい
・おいしいものが食べたい
・ぐっすり寝たい

そう思われるかもしれませんが、それって本当にやりたいことでしょうか?

単純に仕事で疲れていて、それを癒すための欲望をやりたいことにしていませんか?

食欲、睡眠欲、癒しは、疲れの反動ではないでしょうか?

やりたいことというのは、本来は欲望とは異なります。

システム化されているロボット化人生

人生の流れを思い出してみましょう。

生まれる⇒育てられる⇒学校に行く⇒就職する

これが、基本的な流れです。

やりたいこと=仕事

というのが前提で、生まれたら、就職することまでが、システム化されています。

これでは、やりたいことがやれるはずなんてありません。

・親は、しつけという既存概念の洗脳
・学校は、教育という確からしいことの洗脳

これが知らず知らずに、システム化された仕組みによって行われているからです。

やりたいこと=仕事
仕事=低賃金で働かされる支配

なのですから、やりたいことなんてあるわけはないのです。エリートすら若干給料が良いだけで、支配者層(富裕層)に従う、従順な使用人(サラリーマン)になってしまいます。

管理職となったとしても、それは変わらない。というより、ますますひどくなります。

だから、世間がいうやりたいことは、ほとんどの人には、みつからないのです。

欲望とやりたいことは違う

以前の記事でも触れていますが、欲望とやりたいことは、明確に違います。

普通の人は、やりたいと思うことは、たいてい

「やりたいけれど、それは無理だ」

という判断で、消えてしまいます。

それを、人間の脳は、意識的にやらず、潜在的にもおこなっていると、私は感じておりまして、やりたいこと=無理なこととして、ほんとうはやりたいと心が言っていることを否定することをたいていの人間は、知らず知らずのうちにやっています。

そのため、やりたいことは、その無理という概念で打ち消される前に拾う必要があります。

心が発するやりたいことの声はとても小さいのです。

やらなければいけないこと=仕事は洗脳されてやっている

Coworkers in a business discussion

・お金があればいい生活ができる(誰にとっていい生活?)
・教育費や老後のためにお金を貯めておく必要がある(未来は誰もわからない)

今日も皆さんは、会社・仕事場や学校に行くと思います。

それはなぜですか?

お金を稼ぐ必要があるからですよね?

でも、お金ってどれだけ稼げばいいんでしょうか?

実は、その答え、だれもわかってません

テレビや新聞を読んでいる人であれば、ほとんどの人は、この答えを持っていないでしょう。だって、記事を書いている人たちすら、それをわかっていない人が書いているわけですから。

だから、お金持ちも永遠にお金を集めて、富裕層は、世界の半分以上というか、ほとんどの富を集めています。

馬鹿の一つ覚えのように、際限ないですね

お金があれば、いい生活ができると思っている人は、多いですが、お金持ちの生活は、お金持ちの生活で、いい生活かどうかは、わかりません。

また、子供の教育費や、生活費、老後の資金が必要だと、働いているとは思いますが、そのお金って大丈夫ですか?

足りますか?逆に多すぎませんか?

やりたいことを一つ我慢したら、我慢の連鎖が始まり、自分を見失う

「あれ欲しい!」

「お金がもったいないからダメ。我慢しなさい。」

そんなしつけから始まるのが人生です。やりたいことを我慢する教育=洗脳が小さいころから始まってしまいます。

その買いたいものを得て、欲しかったのは、実はモノではなくて、自分のこころからでる、やりたいことの気持ちだったのに、この瞬間に我慢をするという世界にスイッチしてしまいます。

実は、これは、非常に危ない子供の指導なのです。確かに際限なくモノを買うようでは、それもまた、おかしくなる可能性もあります。

ですが、やりたいことが見つかったのなら、なぜ、それをやりたいのかの深層心理、心に迫るべきなのです。

なぜ、それをやりたいのか?

しかし、我慢はさせられます。私は、おばあちゃんに「我慢は毒だ」と教わったことを覚えていますが。今、ここで、その理由がわかっています。

一つ何かを我慢すると、同じような関連することも我慢の対象になります。

たとえば、おもちゃが我慢の対象なら、遊びが関連して、我慢の対象になります。すると、たいていのことが、我慢の対象になってしまいます。

そう、だから、「我慢は毒」なのです。

さらには、遊びたい自分がいるのに、その自分をも我慢で、否定することにつながってしまうのです。

自分を否定することで、失うのは、自尊心です。なので、我慢というのは、たいへん危ない、ことなのです。

学歴が高い人ほど、支配されやすい(まわりの期待・興味・影響)

学歴が高い人と言うのは、長時間の勉強をしてきたことに間違いありません。

1日8時間以上の時間を勉強の時間にあて、やっと入れるのが大学ですから、それに買ったということは、様々な欲や誘惑に負けることなく、やりたくない勉強をしてきました。

しかし、ここに問題があります。

ー以下 執筆中ー

『やりたいこと』は何か? あなたはわかってますか?

ただ単純に生きているというのに、人間ってやりたいことがうまれますよね

・ゲームやりたい
・楽しいところにいきたい
・おいしいご飯食べたい
・買い物行きたい
・海行きたい
etc…

では、あなたが今やりたいことは何ですか?

ありますか?

でも、やりたいことの正体は何なのでしょうか?

私がなぜ、こんなことを書いているかというと、やりたいことと、やるべきことと、やりたくないことと、やらなくてもいいことの区別が私自身、できなくなってきているからです。

・やりたいこと
・やるべきこと
・やりたくないこと
・やらなくてもいいこと

例えば、ゲームについて考えてみましょう。

ゲームは楽しいですよね。熱中するあまり、深夜までやったり、平日の朝早く起きてやったり、満員電車の中でやったりしてしまいます。ついついやりたくなってしまいます

けれど、よくよく考えるとやるべきことでは、ないのですかね?

勉強する時間を減らすし、仕事で疲れているのなら、休む時間がなくなってしまうので、やるべきことではないかもしれません。

ですが、ゲームをやってプロになり1億円稼げるというようなことが目の前にあれば、やるべきことになってしまいますよね。

しかし、プロになって1億円稼いでしまい、他にやりたいことが見つかったとしたら、急にやりたくないことになります。

そして、そのほかにやりたいことを始めてしまったら、ゲームは完全にやらなくてもいいことになります。

これってどういうことでしょうか?

やるべきこととは?

やるべきことの定義が一番簡単ですが、何か目的を持った瞬間にそのことがやるべきことになるようです。お金を稼ぐという目的がうまれた瞬間にやるべきことになってしまいました。

⇒その行動の結果、何かを得ようとするとき『やるべきこと』になります

やりたくないこととは?

Blond woman having a cup of coffee

これはどうやら気持ちが既にほかに移っているのだけれど、やっていることになります。やりたくないんだけど、仕事だからやっている。

⇒その行動を行っているが、気持ちがまったく入っていない時『やりたくないこと』になります

やらなくていいこととは?

既に他のやりたいことをやっていて、やる必要が完全になくなってしまったら、もうやる必要はありません。

⇒興味も完全になくなり、やる理由もないものを『やらなくていいこと』になります。

では、やりたいこととは?

目的は曖昧でもよく、気持ち=こころがやりたいとおもっていることが、やりたいこと、そう考えて、いいことがわかります。

あなたは、やりたいこと、みつかっていますか?

目的があって、やるべきことを、やりたいことにしていませんか?

私は、やるべきことを=やりたいことにして、長い期間過ごしてしまいました。だからこそ、やりたいことを見つけるのが大変で、やりたいことが見つからない人になってしまいました。

目的がなくても、心がやりたいなと思ったことをやれる人になるのが私の今の目標なのかもしれません。

もし、やりたいことが、見つからないと悩んでいる方がいましたら、また、このページに訪問してみてください。私が、答えを教えられる人になっているかもしれません。