荒川の鉄塔にある謎の注意書と不思議な謎の穴!?

荒川のサイクリングロードを走っていたら巨大な鉄塔があったので、近づいて眺めていたのですが、なんとそこには奇妙な看板があることに気づきました。「塔敷地内をむやみに掘らないでください。」わざわざ穴を掘る人なんているの!?ということで、地面をながめてみたんです。すると・・・

訪問日:2019/5/16

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天才天界がお気に入り

実は、オカルトとは最近はおもわなくなっているのですが、天才天界という徐々に有名に向かっているYouTuberが、私の最近のお気に入りです。

今日の時点だと登録者が、1.9万なので、昨年私が登録したときは、0.9万くらいだったので、一気に倍になってますね。

人気になると早いですね。ちなみに最新の投稿は下記みたいです。

この話は、私が思っていたこと100%で、やはりそれなりに考えをもって生きている人なんだなって思います。少なくとも誰から聞いたことを押し付けるだけの、学校の先生や心配だけの親達よりは一歩先にいっていますよね。

最初は、仮説がすごすぎて、ちょっと大丈夫なのこの人?って思ったのですが、動画を見ていくほどに、それが、私の中で、あるかも?に変わっていいたのです。

というのも、これまでの常識的な仮説は理解した上で、独自の仮説を作っているからですね。

ネット社会ですから、もしかしたら、どこかに情報源があるのかもしれませんが、それでも私にとっては新しい理解なので、とても楽しんでみています。

もしかしたら、オカルト初心者には、理解できない部分もあるのかもしれませんが、どこかで先生をやっていた経験があるのではと思えるような声のトーンは、意外と聞きやすいです。

私も最初は、聞きにくいなぁと思っていたときがあったと思いますが、最近は聞きなれたのか、安定している印象です。

私自身が何かしら仮説を出せるか!?と問われると、オカルトを長年見たり読んだりしてきましたが、それは無理だなぁと感じるので、これほどまでに仮説でも動画を作れるとなると、それはそれなりに才能なり、苦労があるんだろうなぁとか、想像してしまいます。

気になる方は、一度ご視聴ください。

 

オカルト好きですよー

このページではまったく取り上げてこなかったと思いますが、筆者は大のオカルト好きで、小学生くらいから、心霊・UFO・未来予言など大好物なのである。テレビの影響も大きかったとは思います。

もちろん、全部が全部本気で信じるということはなく、むしろ全部偽物というか確かめようがないのですが、でも、あるよね、そう考えるしかないよねってことはあるので、どこか信じているんだと思います。

そんな私ですから、何らかの宗教団体に勧誘されたらついて言っちゃいそうですが、いや、事実ついていったことはありますが、、結局は何かしらの宗教団体に属することもお布施することもなかったので、中の人は未だ正常のままです。賽銭くらいでしょうか。

ですが、やはりそんなオカルトには興味があるので、このブログを書いている端々にも魂の存在に関する記述や、思い込みなどが出てきているんじゃないかと、前から思っていました。

そこで、このブログにはオカルトがありますよ宣言をしておいたほうがいいのではないかと思いましたので、この記事を書いています。

おそらくオカルト話を作るプロが世の中にはいるわけで、そのクリエーターに私がなろうというのではなく、生まれたオカルトの中で、これはありえそうだなぁ、これは私は信じているよというようなものを、記事として取り上げていこうと考えています。

と、早速ですが、今日この記事を書こうなんて、昨日はまったく考えていなかったのに、今日は書いているこの事実。何がその引き金になったのかが私にはわからない。

人間は、何かしらのインプットがなければ、結果を生み出さないと仮定すると、この記事を書き始めたということは、何かしらのインプットを私の意識でわからない世界から受け取ったのではないか?宇宙から電波をうけとっているのではないか?

なーんてことを考えてしまうわけです。すでに、私の脳はオカルトですねw

どんな記事が書けるか、紹介できるかわくわくしてきました。

子供を叱ってる自分の心理と観察者効果?

昨日、子供を叱ってしまった

怒りたくはないんだけど、体が勝手に叱ってしまった

なんでそう考えるかというと、私の本心は怒りたくないのに、怒っている体を眺めている感じで、怒っていたからだ

感覚的には、自分じゃない誰かが憑依して、叱っている感じである

冷静に考えている脳というか魂がある一方で、反射的に叱っている身体を眺めている

そんな感じだった

怒った理由は、共働きの親がいないことをいいことに、だらだら宿題をやって遊んでいた子供の姿にちょっと不安を考え始めたところだった気がする

子供のことを考えてという建前があるが、それよりも、親がいないと、こういう行動、親がいるとこういう行動、という分岐があることが、心配だったからだと思う

人生という道においては、何か観察者がいるわけではない、だから観察者がいないことで振る舞いが変わるようでは、心配なのである

でも嫌われたくないから、怒りたくない気持ちもある 起こった後でしょんぼりした子供達を見たくはない

けど体が勝手に怒っているのである

でもでも、冷静に考える私がいる

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E8%80%85%E5%8A%B9%E6%9E%9C

上のWikiを読んでもらうとよいと思いますが、科学における、観察者効果があるように、観察者、今回の場合は、親がいないことで、振る舞いが変わることは、宇宙の法則的にノーマルのことなのではないか

親がいないから振る舞いが変わった、その先に、親がいなくても、気づかれると怒られるから、つまり、結局は観測者の存在があるから、子供は振る舞いが変わるのではないか

それは、私自身もそうではないか

学生から仕事まで、これをやらないとこうなっちゃうな、あーなっちゃうなと、検察者を意識することで、結果が変わってしまう

もしかしたら、そんな単純なことが、光にまで影響しているという話なのではないか

だとすると、モノにしか魂がないという先入観、生物には魂があるという先入観もすべて誤りで、結局すべてのものに何らかの魂や意思と呼べる存在が宿っているような気がしてならない