小野照崎神社 東京都台東区

神社

日比谷線の入谷駅から徒歩数分で行ける、関東大震災、東京大空襲でも残ったという本殿があるだけではなく、よく知られる昭和の映画「男はつらいよ」の渥美清さんが願をかけた神社として知られる、人気のある神社です。震災や戦争でも残るというのは、よく知られた神社が持っている幸運の証拠です。超有名な日本橋の小網神社(こあみじんじゃ)も戦争に行った人々が生きて戻ってきた伝説があるように、小野照崎神社も、実際に足を踏み入れれば、誰もがパワーを感じるパワースポットの神社の一社だと思います。

訪問日:20230605

神社の入り口「鳥居」

上野のある台東区、そのおとなりの駅「入谷」も人のたくさん住む住宅街となり、駅徒歩数分で住宅街の中にあるのが小野照崎神社です。入谷駅から数分歩くとすぐに鳥居が見えてきます。大きな木が目印ですね。

手水舎

上野写真、訪問したのは6月、暑さを感じる気候でしたが、手水舎のとなりにあるアジサイの鮮やかなブルーが目に飛び込んできて、涼しさを感じました。清らかなエネルギーを感じます。

手水舎とは

手水舎(てみずや)は、日本の寺社や神社などに設けられている施設の一つです。手水舎は、参拝者や訪問者が手を清めるための場所として使用されます。

手水舎には、通常、水が流れる石や木製の桶(おけ)や石盤があります。参拝者は、手を洗うために桶に水を取り、水を手にかけて手を清めます。手を清めることは、心身の浄化や儀式的な目的を果たすとされています。

手水舎は、日本の伝統的な宗教行事や文化において重要な役割を果たしています。特に、寺院や神社への参拝時には、手水舎を利用して手を清めることが一般的です。また、手水舎は、清めの象徴としても捉えられており、参拝者が心身を浄化するための場所として大切にされています。

手水舎は日本独特の文化的要素であり、日本の寺社や神社を訪れる際には、手水舎を尊重し、その使用方法やマナーに留意することが望ましいです。

本殿

御祭神は、小野篁公(おののたかこう)という実在の人物です。

小野篁公とは

小野篁公(おののたかこう)は、日本の古代の武将・政治家であり、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した人物です。彼は日本の歴史上、文化や政治において重要な役割を果たしました。

小野篁公は、奈良時代の末期から平安時代初期にかけて活動しました。彼は菅原道真(すがわらのみちざね)とともに、天皇や政府の重要な役職を歴任し、政治や教育の分野で活躍しました。特に、彼は教育改革を行い、文化の振興に尽力しました。

小野篁公は、学問の振興や儒教の普及に尽力し、学制や学問制度の整備にも関与しました。彼の教育政策は、後の日本の学問や教育制度の基盤となりました。また、小野篁公自身も文学や詩歌に造詣が深く、和歌や漢詩などの作品も残しています。

小野篁公は、その政治的才能や文化的な貢献により、後世においても尊敬される存在となりました。彼の教えや業績は、後の日本の文化や教育、政治の発展に大きな影響を与えました。

小野篁公は、日本の歴史や文化において重要な人物であり、彼の名前や業績は多くの歴史書や文学作品にも登場しています。彼の功績は、日本の伝統や価値観を形成する上で大きな影響を与えたとされています。

被災を免れたという本殿には、どことなく極太のパワーを私は感じます。

「はらいたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ」

浅草寺などと比べると普通サイズの本殿ではありますが、漆黒の太い木材など、地下ら強さを感じます。唱えことばが書かれた木の台が置かれています。

小野照崎神社には、まゆ玉みくじというおみくじがあります。私がひかせていただいたときは、300円でしたが、大吉をいただけました。勝手ではありますが、いきなり強い縁を感じてしまいました。

左手には絵馬もあり、その奥には、重文指定の江戸の「富士塚」があります。

富士塚

本殿の左にあるのが、年に1度、2日だけ開かれる富士塚です。私はまだ一度も昇ったことはありませんが、6月末、もうすぐ開かれるそうなので、ぜひともその日に立ち会いたいです。

富士塚とは

富士塚(ふじづか)は、日本に存在する富士山を模して築かれた人工の丘や小山のことを指します。これらの塚は、日本各地に存在し、信仰や崇拝の対象として築かれてきました。

富士塚は、実際の富士山への信仰や崇拝を持ち込むために築かれたものです。富士山は日本で最も高い山であり、古くから信仰の対象とされ、修行や霊場巡りの場としても重要視されてきました。しかし、富士山が遠方にあるために参拝が難しい地域の人々や身体的に参拝できない人々のために、富士塚が築かれました。

富士塚は一般的に円錐形や丸い形状をしており、富士山を模して作られた人工の丘となっています。これらの塚は、土や石、砂などで築かれ、その上には小さな祠や富士山の模型が置かれることもあります。参拝者は富士塚に訪れ、富士山への信仰や願い事を捧げたり、お参りしたりします。

富士塚は、富士山の霊峰と同様に、火山信仰や山岳信仰と関連しています。富士山は日本の象徴的な存在であり、修験道や山岳信仰の対象となってきました。そのため、富士塚は霊験あらたかな場所とされ、人々の願い事や厄除けの対象として信仰を集めてきました。

現在でも、富士塚は多くの地域で見ることができます。特に富士山の周辺地域や富士山信仰が根強い地域では、富士塚が多く築かれています。これらの塚は地域の文化や信仰の一部として大切にされており、観光地としても訪れる人々に人気があります。

稲荷神社

商売の神様、稲荷神社も併設しています。こじんまりとしていますが、立派な社となっていると感じます。稲荷神社は、どこにでもある、と言っていいくらいありますが、江戸時代の安定期に、商売がさかんになり、商売の神と公認されたことで、流行したそうです。

稲荷神社とは

稲荷神社(いなりじんじゃ)は、日本の神社の一種で、稲荷大神(いなりだいじん)を祀る神社です。稲荷大神は、豊穣や商売繁盛、交通安全などの神として信仰されています。

稲荷神社は、主に狐(きつね)を使い、その使いとされる神様が守護する神社です。狐は、稲荷大神の使いとされ、稲荷神社にはしばしば狐の石像や狛犬(こまいぬ)の代わりに狐の像が置かれていることがあります。

稲荷神社は日本各地に存在し、特に京都の伏見稲荷大社は有名です。伏見稲荷大社は、数千基にも及ぶ鳥居(とりい)が立ち並ぶ「千本鳥居」として知られており、観光名所としても人気です。

稲荷神社では、参拝者が稲荷大神への祈願や感謝の気持ちを捧げることができます。また、商売繁盛や学業成就、縁結びなどの願い事をする人々も多く訪れます。参拝者は、お賽銭を納め、手水舎で手を清めた後、神社の本殿でお参りを行います。

稲荷神社の周辺には、商店や屋台が並び、独特の雰囲気を醸し出しています。また、稲荷神社の境内には、狐にまつわる狐面や狐の置物、狐の絵画などが飾られ、独特の風景が広がっています。

稲荷神社は、日本の伝統的な信仰の一部であり、地域の人々にとって重要な存在です。多くの人々が稲荷神社を訪れ、心の安寧や願い事の成就を祈願する場として利用しています。

小野照崎神社の西門の前には、自転車が止められていました。駅が近いからなのでしょうか。マナーはある程度守りたいものですが、地元に愛される神社という雰囲気も感じますので、なかなか難しいところですね。

西門周辺

駅からすぐの東門よりも、西門の方が、風情のある雰囲気があります。ご利益がありそうですね。

お店がたくさんあるというよりも、住宅地のなかにひっそりと鎮座しているという感じです。

小野照崎神社と私のご縁

私は東京都の足立区に住んでいるのですが、体力づくり、ダイエット、健康に、ウォーキングが良いということで、渋谷に出社するときには、自宅から上野までウォーキングをするようになりました。

毎日何気なく、歩いていると、すごく気になる神社がでてきた。それが、小野照崎神社だった。これが縁の始まりです。なんか気になるときは、神社に呼ばれているということを後で知ったのですが、まさに、私は、小野照崎神社に呼ばれたという感じで、一度足を運んでから、毎月の月初には、必ずお参りをするようになりました。

ご利益というご利益は、今のところありませんが、平穏無事に生活できていることこそが、ご利益だと感じています。また、毎月配布されているる「生命の言葉」は、長く働いていると学びが少なくなっている日々に、新しい価値を再認識する言葉として、ありがたいものであると感じています。「生命の言葉」は、おそらくどの神社でも配布されているかと思います。

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