百日祭 -母が亡くなってから約100日目-

人生 哲学

昨日の2/24は、母の百日祭でした。

故母親の神様の祭りということで、風習の一つなのですが、普段気にすることのない、神式での祭事を行いました。

清祓いの儀を行い、祝詞奏上、玉串奉奠、会食

これが百日祭の流れです。

清祓いの儀を行い、祝詞奏上、玉串奉奠

実際には、葬儀場の一角をレンタルして、神主さんを呼び、親族が集合し「清祓いの儀を行い、祝詞奏上、玉串奉奠 」を行いました。

焼香ではなく、通常の線香をつかっての儀式でした。

母が亡くなってからほぼ100日を迎えるにあたって、葬式の日の哀しみも、十分に受け止め終わっており、だいぶやわらいでいましたが、実際にやってみると葬式の日の気持ちを思い出して、悲しみを思い出す式典でした。

あの日の思い出・闘病生活が思い出として蘇ると、哀しみが蘇ります。

しかし、普段の生活では、母親の死を受け止めていますから、哀しみというよりも、これからの私達の生活を母無しでしっかりとやっていかなければいけないなと、再確認をする祭典でもあったと、私は受け止めています。

お墓参り(納骨)

儀式のあと、親族全員で、新しく出来上がった墓に集まり、納骨を見守りました。それまで、自宅に遺骨はあったのですが、遂に墓に収める日がやってきたわけです。

個人の魂はすでに肉体を離れ、あの世に旅立っていると私は感じていますので、遺骨自体に何か特別な思いを持つことは、既にないのですが、残された家族が、故人を思い出すきっかけとして、墓があることは、やはり大事であるなと感じました。

私の実家は分家であったため、これが初めての墓ということになりました。

会食

会食は、生前母が大好きだった、うなぎ屋さんで行われました。

故人にも食事が用意されこれが、故人にとって最後となる「うなぎ」であったと思います。人の人生とは、このように終わっていくのかと、改めて感じました。

食事の後には、お供え物を配る風習に則り、缶詰などが配られました。

仏壇の披露

会食の後は、家が遠く普段立ち寄るのが困難な親戚が集まり、仏壇にて手を合わせました。

以上で、ほぼすべての百日祭行事が終わりました。

ほぼすべての祭事を終えた、喪主である父親は、どっと疲れが出たらしく、解散後、最後には私への小言が増えておりました。

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