私は1999年頃から、オンラインゲームを続けていますが、ゲーム内で行うコミュニケーションに関しては、常に細心の注意を払って行ってきました。
それというのも、2chを始めとした掲示板文化に始まり、インターネットのコミュニケーションは特殊で、ツイッターを見てもわかる通り、一方通行の言葉の投げ合いの世界で、どちらもが歩み寄ることがないことが特徴であるからです。
私はある時から、口での攻撃のことを”口撃”と私は書くようになりましたが、ゲームをやっていると熱中するあまり他人への悪口が止まらなくなる人が多く、それをまともに受けとると大変です。
また、炎上という言葉がありますが、意図的に個人の意見を炎上させようとする人々や、面白がって炎上を煽る人もたくさんいて、まことにネットのコミュニケーションは難しいものです。
そんな中で、最近やっているゲームで起きた、自分達のことを棚に上げる人たちのことを今回は書いてみたいと思います。
・結局自分たちが勝つことが楽しいとしか言っていない
・何か問題があると、運営会社のせいにする
・相手の良いところは気づかないし、発信しない
・課金することをずるいという
・他人に対して意見をする、自分達は変わろうとしない
・あくまでも自分たちが正義のようにふるまう
結局自分たちが勝つことが楽しいとしか言っていない
スポーツにしろ、運動会にしろ、団体競技においては、勝ちか負けかの白黒がはっきりついて結果というのが、出ます。
その競技においては、このルールはどうだとか、ハンディがどうだとか、いろいろと議論をすることがありますが、ゲーム性について語ったところで、結局は、負けることが楽しくないので、問題提起をするのは、自分達が負けた時です。
戦力差があれば、ハンディをくれと言うし、余裕で勝つようになってもルールだからしかたないというし、負け続けると引退者が続出する言うし、結局負けたくない、勝つことが楽しいんだと主張だけします。
何か問題があると、運営会社のせいにする
プレイヤー数が少ないことが問題、不具合が多いのが問題、いろいろと負けた時の理由を言いますが、そんな問題が起きた時に、ユーザーが言うのは、運営会社が悪いです。
オセロ、囲碁将棋、ポーカーなどで、任天堂が悪いと言って何かが変わるんでしょうか?
相手の良いところは気づかないし、発信しない
ネットで発言されることは、基本的に批判です。ネガティブな言葉が乱発します。一方で、ポジティブな良いところというと、それが、なかなか出てこないものです。
相手のいいところは、見えていても、普通だと感じてしまって、悪いところだけが目に付く人が多いのです。
これがネットに批判ばかりがあふれている理由だと感じます。
課金することをずるいという
オンラインゲームの場合は、運営会社の収入源が強い武器や強い武器を手に入れるためのアイテムの販売だったりします。
しかし、そうやってお金を払って手に入れた武器を使うことがずるいことだという人が出てきます。
これは、スポーツで言えば、一流の道具を使うことをずるいと言っているようなものです。
普通のスニーカーではなく、長距離用のランニングシューズで大会に出場しただけで、ずるい。ランニングシューズがあるから、勝てるんだなんて言ったりします。
他人に対して意見をするが、自分達は変わろうとしない
運営会社についてはあーしろこーしろ、敵に対してもあーしろこーしろと文句を並べるのですが、自分達は正義だから何も変えるところがないと主張をする。
これってば、卑怯じゃないでしょうか?
本当にあなたたちは正義なんでしょうか?
そもそも正義なんて、勝ったものが言う主張でしかないと、歴史が証明していますよ。
あくまでも自分たちが正義のようにふるまう
勝負をする限り、勝ち負けは必ず発生するし、勝負は時の運というように、結果がでるまで分かりません。
相手を時にはリスペクトし、敬い、ゲーム全体としては仲間としてふるまうべきですが、自分達が正義であり、勝者であると、立ち振る舞うプレイヤーの多いこと多いこと。
承認欲求を満たすことが幸せであることは、認めますが、正義はあなたたちの中にはありません。
まとめ
勝負には、勝ち負けがあった方が、楽しみを増大させますが、勝ちだけを追い求めて、何かを失ってしまったら、とても悲しい世界しかないものです。
勝ち負けにはこだわりをもたず、たのしくワイワイとゲームはやりたいものですね。