- 昨日と言ってることが違う
- 去年と言ってることが違う
- 考えをすぐ変えるね?
- 自分がないの?
考え方を変えたり、昨日までと違うことを言うと、人は「昨日までと言っていることが違う」と、考えを変えることを悪いことのように言うことがあります。
でも、それって、本当に悪いことなのでしょうか?
政治家が、昨日までは、農業が大事だと言っていたのに、ある日を境に突然、「農業はもう大事じゃない、それよりも産業が大事だ」と手のひらを返したように、言うことがあり、そのような場合は、悲観や失望から、考えを新たにしたことを批判されたりします。
確かに、 実態として国民の総意を受けとめることなどできるはずもなく、全体としてよい方向に舵を採ることが仕事の政治家が、毎日考えを変えていたら、国民が振り回されてしまいますから、政治家が考えを変えることは、よくありません。
しかし、個人の場合は、そうなのでしょうか?
人間個人は毎日のようにうまくいかないことに出会い、苦しみ、失敗をしてしまうものです。失敗した後で、まったく同じことを繰り返していたら、また、失敗してしまうのです。
失敗を成功に変えるには、何かを変えなければいけません。
つまり、個人の場合は、考えを変えて当然だということを私は感じております。
また、パソコンのOS、スマホのOS、最近のアプリ、ゲームアプリ等々、それぞれは、常々アップデートを繰り返しています。
ソフトウェアにおいては、毎日のようにアップデートが繰り返えされ、より良いものになっていくことを実感される方は多いのではないかと思います。
これと同じことが、人にも言えるのではないでしょうか?
個人の考えも毎日少しづつ変えることは、全然悪くないのはないでしょうか
このことを考えた時、私達は、その日に浮かんだ考えこそが、常に最新化された考えとして、受け止めていいのではないかと感じています。
- もう、それはやらないことに決めた
- 明日からはこれをやる
- つまらないから、やらない
- やーめた
このような考えは、私達の中から毎日のように浮かび上がるものですが、このような「やらないという気持ち」であっても、それなりに理由がある場合があるのだと感じます。
なんでやめるの?
なんでやらないの?
すぐに、親・先生・先輩・上司・社長、といった外野は、考えることに対して、やめることを否定して試してきますが、何かしら、考えを変えたということには、それなりの考えがあるのが、普通のことであり、それが筋の通った考えなのかを、検証するのが、役割です。
しかし、ただただ、やめるということだけを、やめさせるための動きがとられることも多く、そのような場合、先人としての配慮が足りないなと感じることが多々あります。
私は、昨日からの考えを改め、今日の考えに従うことこそが、世界をよりよくするための原動力になるのではないかと、考えております。