ファミコン
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メガドライブ
セガサターン
プレイステーション
3DS
Nintendo Switch
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昭和以降、数々のゲーム機が日本では販売されてきました。
ゲームが出来たばかりの時代、テレビゲームは、子供がターゲットの娯楽だったわけですが、その子供達が成長し大人になると、今度はその大人たちとその子供たちがゲームに夢中になり、さらには、おじいちゃん、お父さん、孫までと、家族全員が、テレビゲームをやるという時代が、まもなく来ようとしています。
日本全国どこの男の子も、大人も時間があればテレビゲームをやっているということは、今後少なくない現象にすでになっていると思います。
2000年以降は、オンラインゲームなどの発達もあり、ネット上で知り合った人が一緒にゲームをするということも増えました。
現代では、スマホでもできるゲームが爆発的に増えており、日本全国、否、世界的にゲームにハマる大人たちは増え続けています。
ではなぜ、これほどまでに、男たちはゲームを求めるのかを、今回は考えてみたいと思います。
ㇾ 現代社会における男の役割とは
ㇾ 男女平等がもたらした男の悲劇
ㇾ 男にとってゲームとは
ㇾ 現実にはない疑似空間に夢とロマンを求めている
社会における男の役割とは?
・力仕事をする
・家庭の大黒柱になる
・家訓を伝える、守る
・暴力から女性を守る
・家族を守る、子供を育てる
・女性に精子を提供する
ざっと男の役割として挙げられるものを上げてみますが、これを見ると既に、現代社会では、不要となっている役割があることが見えてきます。
力仕事をする
既に力仕事は、機械やロボットのサポートにより女性でもできる仕事になりました。トラック運転手や大工など、昔は女性が就職することはありえなかった業種でも、女性が進出することができています。
家庭の大黒柱になる
これも昭和時代で終わってしまった、男の概念です。現代では、共働きは当たり前ですし、そもそも家庭を持たない人も増えてしまっています。男だから家族の大黒柱として、家を支えるという概念はもはやありません。
家訓を伝える・守る
先祖代々続く家庭では、ご先祖様から続く家訓なるものがあることもありましたが、それが機能している家庭というのは、ほぼなくなってしまったのではないでしょうか。社会が大きく変わり、これまでの時代では考えられなかったことが、可能になり、家訓などが時代遅れとなっていることもしばしばでしょう。
時には、家訓が通用しないことも増えているのではないでしょうか。
暴力から女性を守る
女性を暴力から守るのは男の役割とは言いますが、実は強い女性も多く、男性だからの役割ということもなくなっています。また、警察のような組織であったり、アルソックのような警備会社も発達したことで、暴力から女性を守るのは、男性というよりも、プロということになりつつあると感じます。
家族を守る、子供を育てる
既に、書いている通り、家族を守ることは男性ではなくともできます。また、子供を育てることは、女性の方が歴史があります。
そのため、これは男性だからという役割でなくなりつつあります。
女性に精子を提供する
これだけは絶対に女性に変わることのできない、男性の役割は、子種の提供です。さすがに、これだけが、男しかできないものというのが現代の社会です。
つまり、男性という立場での役割がこの世界からなくなってしまっているんです。
男女平等がもたらした男の悲劇
昭和の時代まではあった、先ほどの男性の役割というものは、平成も終わるという今となっては、ほとんどなくなっているのです。
これは急激に起きたということではなく、徐々にそうなったということになります。女性の権利を主張し、女性が社会進出することが当たり前になりました。
これは結果的に、社会における男の役割と女の役割を等しいものにするものとなりました。
その結果、男がそれまで培ってきた社会の役割も、失うことになりました。
女性が社会進出をするということは、家庭におけるしつけや、家族間の結びつきを同時に、薄いものにしたことも、結果から見えてきています。
男だから、どうこうということは、なくなってしまいました。
男にとってゲームとは
これまで述べてきたことを理解すれば、見えてくるかと思いますが、男性はこの世界での役割を失ってしまいました、筋肉、力、そして、戦い。
平和な時代では、本来男が担っていた役割というものは、まったく不要となります。
しかし、歴史を見ればわかる通り、人間の歴史には、戦争がつきものです。
男というものは、本来戦いを好む生き物でした。しかし、平和な世の中では、その力は無用な暴力として、去勢されてしまいます。
その結果、その平和な世界の暴力のはけ口として向かうのが、テレビゲームという姿が見えてきます。
女性から見たら、馬鹿げたことに熱くなってとなりますが、それは平和な時代だからこそです。今も戦場が残る地域では、必ず男は、勇敢に戦うことが女性から望まれているはずなのです。
現実にはない疑似空間に夢とロマンを求めている
戦争なんてやってはいけません。戦争が生み出すのは、憎しみと悲劇であり、その憎しみは、国家間の憎しみとなって、永遠に続くことになってしまいます。
そんなことは、100も男性は承知なのです。
しかし、それでは、男性というのは満たされないのです。歴的に見れば、争いをすることが当たり前だったし、スポーツをするのも、ギャンブルをするのも、仕事をするのも、つねに、勝負事に熱くなってしまうのは、男性の方です。
そんな遺伝子があるからこそ、国家の危機の時には、力を発揮し、国や家族を守るという行動に出れるのです。
しかし、それがない、平和な時代においては、その力は不要となってしまいます。そのため、多くの男性は、どこか満足せず、生きることになってしまうのでしょう。
だからこそ、ゲームなのです。
ゲームの中では、戦争をすることもできます。人を殺したとしても、それはゲームの中ですから、問題にはなりません。現実社会でそれをやってしまったら、極悪人として、メディアに登場する最悪の事態になってしまいますが、仮想現実であるゲームの中でそれを行っている限りは、問題になりません。
いかがでしたでしょうか。おそらく、男性にとっては、当たり前のこの認識は、女性からみると、へぇ~という感じになるのかもしれません。
男性は平和な社会では、子育てを女性と共にすることもできますが、戦乱の世では子育てなどする暇もありません。
どれだけ、今の平和がよいことなのだけれども、異常で、だからこそゲームをやるという姿。
見えてきたかと思います。
最後まで、読んでいただき誠にありがとうございました。