新しいことの創造 無価値からから価値を産むこと

人生 哲学

この世界で創り出されるものは、すべて最初は価値がないところから始まります。

常に始まりは、無価値です。

そこから価値が生まれ、成長し、大いなる富を得られるようになれ、役目が終われば崩壊します。

この流れは、どなたでも知っているプロセスだと思います。

なぜなら、植物を見れば、誰もが、このプロセスについては、理解できるとおもうからです。

種をまく⇒発芽する⇒成長する⇒実る⇒朽ちる

これを知ると、新しいことは、利益を得るまでに、長い時間がかかることもわかってきます。

そのため、種をまいて新しいことをやるよりは、既に出来上がったものに参加したり、引き継いだほうが、経済的かつ合理的だと判断されて、実りだけをフォーカスして生きる生き方を選びがちです。

ちょっと、話がよくつかめないでしょうか?

どういったことを書いているかというと、新しく事業を始める、会社を立ち上げたり、新しい遊びを考えたり、新し何かを創るよりも、そこにある出来上がったもの、創られたものに、参加したり、引き継いだりするということを、皆さんはやられるので、それいいのか?

ということを疑問視させていただいています。

皆さんは、新しく何かを創るということを、そもそも考えていないですか?

という問いかけであります。

これについて今回書いた理由。それは、誰もが、何か創りたいものがあるのではないかと、私が思うからです。

この世界に生まれて来たのに理由がないという人が多くいますが、理由がないのには、私も同意する部分はあります。

しかし、生まれる条件がそろっていたことは間違いがないのです。

生まれたからには、何か目的をもって生きていいいはずなのです。

なので、誰もが何かを創りたいという思いがあるのではないかと考えているのです。

人間の体には無数の細胞組織があり、様々な器官が作られています。そして、人間の体の中にはたくさんの微生物がいます。

これは地球と人間の関係に似ている気がします。地球という巨大な生命体があり、そこに人間という生き物が住んでいる。

微生物は何かしら地球のために活動をしている

そう考えることもできます。

それと同じことが宇宙規模で行われていても不思議ではないと私は感じています。

生まれる条件がそろっていたからこそ生まれた、であれば、何をやっても自由だし、その中で、できることはやってもいいはずなのです。

そして、それが生き様でもあります。

だとすれば、すべての人が、創造を行ってもいいはずなのです。

そこで、そんな創造をするという方のために、お伝えしたいことがありいくつか心構えを書いてみたいと思います。

私は、学生時代に、ある挑戦をしました。結果的には、それは上手くいかなかったように見えたのですが、後になってそれが、上手くいかなかったわけではなかったことに気づくことがありました。

それが、この文章を書くにいたった原点でもあります。

・あきらめることは過去の否定
・次のことも最初からやり直し
・価値が生まれるまで時間がかかる
・神様は自分自身の中にある
・創造することの価値は、あの世にも通じる

あきらめることは過去の否定

大丈夫です、あなたがやったことは何かにつながります。今はわからいかもしれませんが、点と点が結びつく瞬間があります。

次のことも最初からやり直し

新しいことは、常に最初からのやり直しになります

今やっていることを、継続するのか、一から新しいことをやれる覚悟があるのか、で判断すべきです。

価値が生まれるまで時間がかかる

冒頭でも書いた通り、価値が生まれるのには、時間がかかります。長期にわたって継続して、成長させる必要があります。

神様は自分自身の中にある

創造主は自分の中にいます。疑いの気持ちがあっても信じて生きれば、答えは見えてきます。

創造することの価値は、あの世にも通じる

死んだら何もないという人もいれば、生まれ変わりがあるという考えもあります。

その意志とはなにか?それすらも答えはありません。

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