子供を叱ってる自分の心理と観察者効果?

昨日、子供を叱ってしまった

怒りたくはないんだけど、体が勝手に叱ってしまった

なんでそう考えるかというと、私の本心は怒りたくないのに、怒っている体を眺めている感じで、怒っていたからだ

感覚的には、自分じゃない誰かが憑依して、叱っている感じである

冷静に考えている脳というか魂がある一方で、反射的に叱っている身体を眺めている

そんな感じだった

怒った理由は、共働きの親がいないことをいいことに、だらだら宿題をやって遊んでいた子供の姿にちょっと不安を考え始めたところだった気がする

子供のことを考えてという建前があるが、それよりも、親がいないと、こういう行動、親がいるとこういう行動、という分岐があることが、心配だったからだと思う

人生という道においては、何か観察者がいるわけではない、だから観察者がいないことで振る舞いが変わるようでは、心配なのである

でも嫌われたくないから、怒りたくない気持ちもある 起こった後でしょんぼりした子供達を見たくはない

けど体が勝手に怒っているのである

でもでも、冷静に考える私がいる

観察者効果 - Wikipedia

上のWikiを読んでもらうとよいと思いますが、科学における、観察者効果があるように、観察者、今回の場合は、親がいないことで、振る舞いが変わることは、宇宙の法則的にノーマルのことなのではないか

親がいないから振る舞いが変わった、その先に、親がいなくても、気づかれると怒られるから、つまり、結局は観測者の存在があるから、子供は振る舞いが変わるのではないか

それは、私自身もそうではないか

学生から仕事まで、これをやらないとこうなっちゃうな、あーなっちゃうなと、検察者を意識することで、結果が変わってしまう

もしかしたら、そんな単純なことが、光にまで影響しているという話なのではないか

だとすると、モノにしか魂がないという先入観、生物には魂があるという先入観もすべて誤りで、結局すべてのものに何らかの魂や意思と呼べる存在が宿っているような気がしてならない

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