心のアイデアを形にすることが人生なのではないか?
長年生きてきて思うことがあるのですが、人生とは何かを考えた時に、それは
心に従って生きることなのではないか?
と考えることがあります。よく理由はわかりませんが、心というものは確かに存在し、これはやっちゃいけない、これはやるべきだ、なぜやらないのか攻められる、にげだしたくなる、など、心には、何かしら、人間を突き動かすメッセージ、コマンドになっているような気がしています。
私は、これが、何なのか、ずっと疑問に思っていました。
心がやるべきと言っている、心がやるなと言っている。これは何なのでしょうか?良心が傷つく、良心が痛まないのか、というような言葉もある通り、確かに心というものは、モノではありませんが、存在しているのです。
人生にやるべきことがない、やりたいことが、ないというとき。それは、心のメッセージを聞いていない時なのではないか?
あるいは、心のメッセージがあるのだけれども、それをなんらかの理由で拒否しているときなのではないか
と私は最近考えるようになりました。神様が、やりなさいと言っている。神の声が聞こえた。などという話を聞くことがありますが、これは、もしかしたら、心の声なのではないかと私は感じます。
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