仕事に行きたくないと思ったときは、既に人生の選択を変えるタイミングです

仕事とうつ

「仕事に行きたくない」と思うことは誰にでもありますが、何年も働いてきた後で「仕事に行きたくない」と思った場合は、これは全く違う意味となります。もしもあなたが、これまで感じたことのなような「仕事に行きたくない」という心の動きを受け取ったとき、それは人生を変えるべきシグナルの可能性であると考えるべきです。

目次

これまでと異なる「仕事に行きたくない」とは?

「学校に行きたくない」、「仕事に行きたくない」、そのような感情は誰にも起こりえることです。そのため、安易にその気持ちに乗っかると、ただの怠け者の烙印が押されてしまうわけですが、そうではない、本当の「学校に行けない」「仕事に行けない」行きたくないというものが存在します。

私もうまく伝えることができないのですが、普通の「行きたくない」は、学校や仕事に行ってしまえば消えるのですが、「行けない」はまったく別の感情となり、行った後でも、「早く帰りたい」や、「こんな仕事できない」、「なんでここにいるんだろう」、「いつまでいるんだろう」という、終わりのないネガティブな感情が続いてしまうのです。

数年前までは、そんな感情芽生えることが無かったのに、どうしてこんな気持ちになってしまうのだろうか?と気づければいいのですが、うつ病になってしまっているとこれには気づくことができません。

「仕事をやりたくない」と、「仕事に行きたくない」は違う

うつ病は「仕事をやりたくない」怠け者の病気のイメージがありますが、実はそうではないと私は考えています。仕事は行けばやれるのです。しかし、仕事に行ってもそこに喜びが感じられなかったり、ネガティブな感情を変えることのできないような、負の頭になってしまう言葉を浴びせる周囲の状況があったり、怠け者とは違う、できない、いけない理由が生まれているのです。

私の場合は、仕事がストレスになったことはありません。ストレスの発生源は人間関係です。人間というのは賢い獣であり、ちょっとした弱みを見せると漬け込んできます。いい人を演じてがんばって仕事をしていたりすると、それを見抜いて、いろいろと足を引っ張るようなこともやってきます。

そのような状況に嫌気がさしたのが、私の場合のすべての始まりでした。

なぜ仕事を拒む心が生まれるのか?

「仕事に行きたくない」という表現ですべてを表してしまうと、誰にも理解されない表現になってしまうので、具体的に書くべきだと今では思うのですが、職場の人間関係が、非常事態になっているので、仕事に行きたくないというのが、私の本当に伝えたかった「仕事に行きたくない」でした。

当時、中間管理職として働いていた私の立場、それ程いい環境ではありませんでした。私は、とあるプロジェクトに参加し、自社のメンバーが不足していたために26人くらいいるプロジェクトメンバーのうち、18人は外部の協力会社の人材というなかで中間管理職をしていました。

半数以上は私よりも年齢が高いばかりか、個人で会社を持つ社長さんまでが、そのプロジェクトチームに関与していたのでした。

中間管理職として働いていた私は、人材を選ぶ権利はありませんが、彼らに仕事をお願いしなければいけません。この世代は年下というところにもネガティブな感情を持ちますから、私の上司がいないときには、すんなり指示に従うということはしません。

もちろん私が誤ったことを伝えないために心配していろいろ考えてくれているという見方もできますが、実際のところは、そのようなレベルの高いものではなく、できるだけ大変な仕事は避けて、早く帰りたいという人々ばかりだったので、そのコントロールは困難を極めました。

また、自社のメンバーも年齢が高い方は、その外部の協力会社の方たちと迎合し、足を引っ張る行動をとり始めていたのです。

その状況で、私は1年半頑張り続け、プロジェクトの他チームが、遅延でリリースできないところを、唯一私のチームだけが正しいスケジュールに持っていけていたのですが、プロジェクト全体が、遅延していたことにより、リリースの延期がきまりました。限界まで働いて、ギリギリで働いていたことは、まったく評価もされません。

限界に達した私は、遂に、うつ状態からうつ病に入って行きました。

このような状況に陥ると、仕事の内容というよりも、仕事の現場というものに行くことが嫌になります。その空間にいること自体が嫌になります。

頑張っても報われないことを経験することは、ある程度は許容されますが、人生で一番頑張ったところで、それがまったく評価されないという強烈なネガティブな状況に陥ってしまったので、私の心は制御不能となったと、今の私であれば言うことができます。

「仕事に行きたくない」というのではなく、何をやっても報われないという経験をしたことで、その状況を避けるように、人間の本能が動き始めたと言えるのかもしれません。

心が変化しなさいと言っている可能性を疑おう

「仕事に行きたくない」という感情は、仕事に行きたくないという現実を求めています。では、仕事に行かなかった場合、何をするんでしょうか?

気晴らしのお出かけ?散歩?

気晴らしのゲーム?

それとも、疲れを癒すための睡眠?

何かしら趣味に向かうのであれば、その「仕事に行きたくない」は、たいしたことがありません。しかしながら、「仕事に行きたくない」という感情が生まれた後、本当に仕事を休み自宅にいて、何もしていないとしたら、その時は通常ではないと考えた方がよいでしょう。

疲れたから休む、その程度の「仕事に行きたくない」は問題ありません。しかし、休んだところで、何もできなくなっているときは、もう限界にきています

我慢して続けても変わることはない

時間が経てば、元の状態に戻るだろう。疲れただけだから休めば回復するだろう。

普通の人、うつ病を経験したことが無い人は、このように考えると思います。しかし、うつ病を経験してしまった私の意見では、限界を超えてしまうと、戻ることはできないことを知っています。

おそらくその生き方を続けることは、困難な状況に来ています

それでも時間が経てば回復するだろう、立ち直れるだろうと思う人もいるかもしれませんが、実際にはそうはなりません。また、誰かが助けてくれるということもありません

それでも、その状況を変えられるのは、やはり自分自身なのです。

心が送ってくるシグナルに気づいたら

「仕事に行きたくない」、「学校に行きたくない」という感情に気づいたら、やらなければいけないことがあると今の私は考えています。

そのような表層の感情ではなく、心が発信しているネガティブなこの感情の源がどこかを見つける必要があります。

それが職場の人間関係や、仕事の内容と関係のないモノであった場合は、まずは転職を考えるべきかと思います。

うつ病になる前なら、転職をすることで問題源を回避できるでしょう。

元気なうちに行える転職は悪いモノにはならないでしょう。

では、転職ができない場合は、どうしたらいいか?

まずは、職場内で異動ができないかを願い出ましょう。そうやって、少しづつ状況を変えることが、元気なうちは容易にできるでしょう。

しかし、うつ病が深刻なところまでいっていると、転職も異動も効果がなくなっています。おそらくその時には、ネガティブな感情だけでなく、自分自身が、自分自身に対する信頼を失っているために、身動きが取れなくなっています。

すこしでも動ける範囲を作るために、精神科医を頼るのは必須です。そして、少しでも身動きがとれる範囲ができたのであれば、その範囲で、動き始めるべきです。

どんなことでもいいので、自分が自身を取り戻せるものにチェレンジをするのが良いでしょう。

私の場合は、長年やりたくてもできなかった、英会話を始めました。英会話を始めたことはうつ病の中で、明らかにプラスに働いたと思っています。出会った先生が良かったこともありますが、いい方向に向かいました。

本当に自分が求める生き方に進もう

「何かをしたくない」という気持ちは、誰もが持つ心の作用です。

それをやらないように心は叫んでいるのです。

それを避けるように心が促しているのです。

そのやりたくない何かをやるべきときは、やりたくないとは思わず、乗り越えようという思いに変わっている時です。

「怠け心」だとか、「みんなやってる」とか、外部の言葉に惑わされることなく、あなた自身にとってどうすべきかを判断すべきことが、人生には本来たくさんあるのです。

義務教育やメディア、社会のルール、規範が、あなたの心を惑わせますが、本来どう生きるべきかは、神様は定義していません。それらは、これまでの社会が作ったルールでしかないのです。

あなたの心が”避ける気持ち”を訴えてきたとき、なぜそうなのかを考える習慣を見つけましょう。そして、その理由がわかれば、わかるほど自分自身を知れるだけでなく、どうしたらいいのかも見えてくるようになります。

「今日も仕事に行きたくない」と思ったら、まずは、何がその原因なのかを考えましょう。そして、その原因をより深く考えて、改善できる考え方や方法がないかを探りましょう。

人間やろうと思えば何でもできるんです。うつ病の時にはそれを信じることはできませんが、人間の心のパワーはとんでもないのです。

既存の社会やメディアの強い威圧により、心を閉ざすことなく、あなたの心が解放されるように、努力されることを、私は願っていますし、私自身も努力を続けていきます。

がんばっていきましょう!

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