2019年12月28日に都内の某所の発表会に呼ばれてピアノ演奏と伴奏を行ってきました。この発表会に出演するのは2回目ですが、かつてのピアノの先生と縁が続き出演させてもらえるというのはとてもありがたいことです。どのような会なのかご紹介いたします。
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音楽中学校のピアノレッスンを受けたことで、ピアノのテクニックに何か変化があったのか?-中学校1年生になった今-
うちの子供は、昨年、都内のとある音楽中学校を受験し、特待生枠で合格したため、約束通り現在音楽中学校に通っています。
そんな音楽中学校に通い始めて、今年の3月には1年が過ぎることになります。
4歳のころからリトミック経由でレッスンを行うことになったピアノ。5歳から始めてすでに7年が過ぎており、たった1年、音楽中学校で、レッスンを受けたくらいで変わるのか?
音楽中学校での、1年の成果について書いてみたいと思います。
- 中学校はそれでも義務教育
- 普段の生活では音楽に対する変化は見られない
- 学校行事に参加すると実は見える違い
- 伸びしろを残したままの生活を許せるか?
- コンクールで勝つこと音楽家になることの違い?
- 成功した音楽家の練習は?
- 「厳しい・やめた方がいい」の声の裏側
- 大きく変わったことをあげると?
- どうやったら音楽を売れるようになるのか?
今日はピアノ関係の更新はなしです つらいことがありました
今日は、あまりにもつらいことがあったので、あまりページを更新する気持ちになれません。というのも、実の母親が手に負えないガンを患っていることが発覚し、抗がん剤治療で様子をみるだけの状態であることが分かったからです。
今日は、ピアノ演奏ではなく、モーツァルトのレクイエムを聴いてます。
https://www.youtube.com/watch?v=neDnpgZPPvY
まだ、亡くなったわけではありませんが、それほど遠くなく、あちらの世界に旅立つことは間違いありません。私の子供のピアノの発表会、コンクールに足を運び、褒めてくれていたお母さん(おばあちゃん)。ひぃばぁーちゃんは、まだ、老人ホームで存命であるというのに、どちらももう、それほど長くないのかもしれません。
人生、生きていれば、死は免れません。20代、30代のうちは、人生はずっと続くかのように錯覚しますが、そんなことはなく、死は必ず訪れます。このモーツァルトのレクイエムを作曲した、モーツァルト自身も35歳でなくなっているわけですから、人生というのは、みんなが長いわけではないことを実感させてくれます。
私も、もうそろそろ頑張るのは限界で、最近は、やりたいことを中心に生きていきたいなと思っています。ピアノのこともそうですが、好きな音楽のことや、釣り、その他やりたいことを猛烈にやって生き抜きたいなと最近は考えています。
いつまでも、人生は続くわけではありません。もし、やりたいことがあるなら、今すぐやる。それが一番大事だと、改めて考えている今日この頃です。
お読みいただき、誠にありがとうございました。皆さまも、毎日を大事にお過ごしください。
YouTubeに歌詞付きのWith you smileの動画をアップしました
昨年動画編集ツールを購入しまして、毎日ちょっぴりづつですが、動画編集能力が上がってきており、先日歌詞付きの「大切なもの」の動画を作ったのですが、調子にのって過去にアップロードしていた「With you smile」のピアノ演奏動画も歌詞付きに編集してみました。
正直なところもとの動画の質がよくないので、うーん。。という感じはありますが、編集の練習ということで、経験値あっぷにそれなりに意味はあるかと思っています。
ここのところ、合唱曲ばっかり聴いていて、頭の中が伴奏色に染まっています。
ちなみに、私が好きな合唱曲は「HEIWAの鐘」だったりします。小学校の合唱コンクールで他校の生徒さんが歌われていたときに気になりよく聞くようになりました。
子供に頼めば弾いてくれるわけで、いつか動画にしてみたいとは思いますが、どうせやるなら、スタジオ録音とかに挑戦したいというのが、私の最近の夢ですね。
といっても動画編集に頑張り始めると、カメラやマイクのグレードにも気持ちが移動していってしまって、根っからのエンジニア魂がそちらに向かっちゃいそうで「いけない、いけない」と思います。
つまらないものですが、閲覧いただければ幸いです。
合唱曲は本物です
自分が小学生だったり、中学生だったりしたころは、合唱コンクールの時期がやってくると、集団で練習するの嫌だな、また、元気のいい〇×君のせいでピアノの先生に怒られるよ、とか、嫌な思い出しか残っていなかったのですが、最近、子供たちの合唱を聴くと、そうではないことに、むしろ聴きたいと思うようになってきました。
私の子供はピアノを習っていて、伴奏を任せられているので、自分の子供可愛さに合唱が良いと思っているのか?と自分に問いかけるのですが、そうではないことに気づいてきました。ほかの学校の生徒が歌っている合唱曲に「なんていい曲なんだろう」とか、ナチュラルに感じている自分に気づきます。
先日、Chigyo Pianoとしての伴奏を作りましたが、それよりも他のユーチューバーの方々がアップしている楽曲を聴いてばっかりいました。最初に掲載している、ユーチューブ動画は、ランキング形式でとても参考になりました。先日アップロードした「大切なもの」が2位というのには、驚きました。
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合唱は多くの人の声がまざり、恋愛ネタではないビジネス向けではない人生をテーマにした歌詞が、合唱曲には詰まっていて、それが人生を経験した後だと、胸に響きます。子供の頃には、まったくそれがありませんでしたが、大人になるとそれがよくわかります。
なんてよい歌詞だったのだろうかと、いまさらながら気づかされる楽曲もたくさんありますね。
私が育った1990年代は、歌は使い捨てのように、たくさん生まれ、CDとして売られ、ランキングで騒いでいましたが、そういうものはすべて消えてしまいました。けれど、合唱曲はそういうビジネス目的ではないので、今残るモノは、やはり本物なんだなぁと気づきます。
やはり「歌」っていいものですね。上手じゃなくたっていい、みんながそろって歌うから、合唱っていうのはいいんだなぁって、今は思います。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
人生で大切なものについて
昨日「大切なもの」という楽曲のピアノの伴奏動画を作りました。
私には中学生になる子供がいるということで、すでに40歳という年齢です。子供の頃は、伝記などを読んでいると、30代で死んでいる人も多いので、40歳まで生きれるのかなぁって思ったものですが、今振り返ってみると、あっというまになってしまったような気もします。
ショパンも38歳で亡くなっていますからね。。40歳は遠く感じてました。
ということで、まだ、生きている事実に日々、感謝するようになっています。
そして、生きているとどうしても付きまとうのがお金のことなのですが、私も20代はお金がないと生きていけないとか、お金をどうしても稼がなきゃいけないとか、考えていた時代もありましたが、今は、お金なんてなければ、ないなりに生きればいいんだと思うようになりました。
といっても、80を超える私の祖父は、「この世にお金より大切なものはない」と今も言っていますので、ちょっと、まだまだだなぁと思うことがあります。上から目線で、すみません、おじいちゃん。
さて、そんな40歳の今、私が「大切なもの」というキーワードを聞いた時に思うことは何か、を考えると。
- 家族
- 心と健康
- 自分を信じること
モノではなく、マインド的なものになってきています。お金はなくても、心にエネルギーさえあれば、手に入れられます。そう考えています。
けれど、心や健康を失ったら、生きることはできません。支えてくれる、家族もいなければ生きていけません。
そして、自分を信じることは、明日につながることであり、それを失ったら、なにもできなくなります。
私は一度、うつ病になっていたことがあり。自分を見失っていた時期がありました。すっかり改善している今からみると、その時期の記憶がロストしているくらいに、その時期がうつだったとはっきりとわかります。
だからこそ、生きるためには、「心」というのが、大切なんだと、今は思うようになりました。
元気があれば、なんでもできるは、事実だと思います。
このサイトを、良くしていこう、ピアニストを応援できるサイトにしよう、子供も応援しようと思えるようになったのもつい最近のことですが、その根本は、心が回復したことにあります。
うつ病時代にピアノ曲にのめり込み始め、ピアノに救われたとは思いませんが、ピアノの音色には、そのような力があると私は思っています。だからこそ、そういった視点でも、このページにいろいろとエネルギーを吹き込んでいきたいと思っています。
このページが「大切なもの」になるかもしれません。
最後まで、閲覧ありがとうございました。
YouTubeに動画をアップロードしました
「10才のありがとう」を公開しました
小学校生活の中で中盤の折り返し、節目の4年生のときに、学校で二分の一成人式(10才の成人式)が行われました。その時のピアノ伴奏を息子が担当していたので、YouTubeにその時の合唱の様子をアップロードしました。
あまりよい映像ではないので、ためらっていましたが、小学生には小学生らしい普通の姿が、逆にほほえましいので公開しました。
私の子供のころは、二分の一成人式という言葉すらなく、小学校の4年生のときについて思い出すのは担任の先生の顔くらいしかなく、淡々と過ぎていったとしか記憶がないわけですが、このような式を小学校時代にやるのは親にとっていい思い出になると思いました。(子供はそれぞれだと思いますが)
20歳の時に行う、実際の成人式となると、やんちゃな一部の人が暴れるのを報道して視聴率をかせぐマスコミというのが毎年の定番となってしまって、あまりイメージがよいものではありませんが、まだまだ純粋な小学生、あまりにも心に響く式に感動したのを覚えています。
この楽曲の伴奏は、難易度としてはそれ程高くないですが、歌と合わせるという意味では、音楽の先生の苦労が多分に感じられました。学校から帰ってきて不機嫌な息子の姿がたまにありました。とはいえ、短期間のなかで、学校での伴奏オーディションを受け、選抜され勝ち取って練習したのですから、やりがいがあったと思います。
原曲は2000年以降に生まれたようですが、親の気持ちを良く汲んで、涙を誘う歌詞になっています。何度も聞くと慣れてしまいますが、初めての方は、ぜひ歌詞を聞き取ってご鑑賞ください。
担任:「すばらしいですね!」 親:でもね・・・
皆さん、こんばんわ
読んでくれてありがとうございます。
昨日は、仕事だったので、ブログを書くのを飛ばしてしまいました。というのも、仕事がいそがしいだけではなくて、「PSO2」というオンラインゲームを私は3年ほどやっていまして、そちらが、今何かと忙しい。
アップデートで、ね。。って。
いかん!!
ここはピアノのページなので話を戻しましょう!
今日息子は、練習していた「10歳のありがとう」の合唱曲を、担任の先生の前で弾いて先生から、
「すばらしいですね」
と言われたらしい。
上手いね、じゃなくて、すばらしいだってね。。いいなぁ。
そうですね、確かにそうだと思います。私も。。
そもそも3日でほぼ弾けていたし、乱れていた四分音符もあせらず、四分で休符も休んで弾けるように、私も指摘しておきましたからね。
でもね、ピティナの演奏を聴いているとね、レベル違うんですよねー。ってのを知っていると、私達親は、そこまですばらしいとは思えない。
なんて、かわいそうなんでしょう・・・
いや、すばらしいと私も思います。でも、上には上がいる世界ですから、ピアノは。。。
うちには、スタインウェイを買うだけでなく、置く場所もないような感じですからね、最初からスタインウェイで練習をする子供達とは、まだまだ勝負にもなりませんてー(苦笑
ピアノの習ってみると、音大があるように、本当に簡単な世界でないことがよくわかるんですね。私は学生のときに、軽音楽をやっていたわけですが、それとは違う、世界がクラシックの世界にあることを最近実感するようになりました。
ピアノの世界は、上手い人はものすごいたくさんいるのが当たり前ですからね。
ギターや、ドラム、歌などの軽音楽でも、あの人上手いって人は、年々増えていったのを実感していたのですが、それとは比べられないくらいに、クラシックの世界は上手い子がたくさんいるんですよね。
でも、そりゃ、もちろん、あたりまえなんですよね。
よく考えてみると。
5歳、ではなく、3歳とか、場合によっては0歳から、ピアノの教育を受けるエリート達がいるんですから、実際に才能が育つ子は少ないにしても、それでも、ものすごい早いですよね。
勝てるわけ無い。
まぁ、そんなこんなで、息子の努力を認めつつも、まだ、頑張るなら、そんなレベルじゃなくて、もっと難しい曲を練習しろーとか、思ってしまう、親心なのでした。
「10才のありがとう」~CD『2分の1成人式』より~
先日から何度も書いている話なのですが、「10才のありがとう」を息子が練習をしています。もうほとんど弾けているのですが、ラストがまだ完璧ではないので、録画はしていません。きちんと弾けるようになったら「ChigyoPiano」としてアップロードをしようかとは思います。
さて、この「10才のありがとう」という曲なのですが、クレジットを見ると、2013年となっていてまだ新しい曲なんですね。
わが息子の小学校でも採用されたように、どんどん広がっている感じがしますので、じわじわときていると思います。気づいたら普通に一般化しそうな、メロディーと歌詞ですからね。
YouTubeのコメント欄も、小中学生っぽいのでいっぱいですね。