「励まし」カテゴリーアーカイブ

花は咲くを「YouTuberの演奏」リストに追加しました

花は咲く ピアノ 花は咲くプロジェクト

震災から7年。私はあの震災と時を同じくして、体を悪くしておりまして、関東に住んでおりましたが、他人事とは思えない、時期を過ごしてまいりました。

今も続く放射能の問題も、やはりなくなりませんし、失ったものは確実にあります。でも、そんな中でも生きていく。凛として生きていく。その気持ちさえあれば、何があろうとも生きていける。やがて来る死は生まれた時からの宿命。そう思えば、どんなことも乗り越えられるものです。

さて、そんな震災の中生まれた楽曲「花は咲く」をYouTuberの演奏のリストに追加いたしました。震災からまる7年。あの日のこと、忘れることはできません。けれど、この曲が生まれたことで、救われた気持ち、確実にあります。あの日の映像は、今も目に残っているし、リアルタイムの報道の恐ろしさを感じれたのもあの時です。

けれど、7年が過ぎ、まだ私たちは、無事に生きています。あの日のことを忘れることはないでしょうが、大切な今。大事な今日を大事に生きていきたいものです。

YouTuberの演奏

「YouTuberの演奏」機能は、ユーチューブにアップロードされているの皆さまの動画のうち、一曲毎に絞り、比較閲覧できるようにした、本サイトのカスタム機能です。コンクール・発表会の際に、練習の際に、他の方の模範演奏と比較しながら自分の演奏を考える時などに、ご利用されることを想定しています。

 

本気になれば、1年でピアノの演奏能力は大きく変わる

昨日のことなのですが、私自身は聞きたくなかったのですが、奥様が昨年の今頃の息子のピアノ演奏をテレビで流し始めまして、半ば強制的に、昨年のピアノの演奏を聞きました。

去年の演奏でしたが、それが、下手くそすぎて、どうしようもない・・・・

で、気づいたのですが、逆に言うと、1年でそれだけ成長していたんだなということに気づきました。

この1年での変化ですが

1.レッスンを週30分ではなく、1時間にしました。

2.ピティナに参加し、ピアノをやっているたくさんの子供たちがいる現実を体験させてやりました。

3.音楽中学校入試のための夏期講習、冬期講習の参加、ソルフェージュの経験を積みました 音大の非常勤講師の手ほどきを受けました。

4.毎日どんなにすくなくとも1時間30分以上は自ら練習していました

5.音楽中学校の受験をしました。

[the_ad id=”1394″]

親としては、お金にして月1.2万円くらいの出費の増額はありましたが、特待枠で合格できたのもあり、結果的なリターンは大きかったかなと、感じるくらいに、子供は成長をしていたわけですね。

何事も経験させれば、そのことが、そもそも人を成長をさせるんだなと、実感した1年でありました。

本当にすげーです。

さて、そんな子供の成長に立ち会うと、私自身も頑張らなければならないな、子供に負けてられないな、なんて思う自分に気づきます。

毎日頑張っているとはおもいますが、私たちも今日も大事にしないといけませんね。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

西新宿三井ビルディングの「お昼のひと時コンサート」に行ってきました

今日はお昼休みに近くのビルで、ランチタイムにコンサートがあるということで、行ってまいりました。場所は西新宿三井ビルディングで、時間は12:00~12:40です。月1回毎月やられているコンサートのようで、楽しみに待ってました。

出演者さんは、
Vn.吉田篤貴さん(東京音大卒)
https://ameblo.jp/atsuki-viology/
Cl.篠塚恵子さん(東京音大卒)
Pf.田口真理子さん(桐朋学園大卒)
https://mariko-taguchi-piano.jimdo.com/

曲目は、
チャルダッシュ/モンティ
8つの小品より第2番/M.ブルッフ
亜麻色の髪の乙女/C.ドビュッシー
無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ短調より第3楽章/J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリンソナタ第4番ホ短調より第3楽章/E.イザイ
8つの小品より第8番、第7番/M.ブルッフ
ラ・フィエスタ/C.コリア

ヴァイオリン、クラリネット、そしてバイオリンというトリオの組み合わせで、お昼休みを楽しませてもらいました。私は初めてだったので、様子はわからなかったですが、開始時点では無料にかかわらず席が1/3しか埋まっていなかったので、寂しい感じでしたが、終わりには、半分以上席が埋まって、寒いホールにも関わらず、温かい雰囲気になっていました。音楽ってのはいいものです。

演奏は録音してよい雰囲気ではなかったので、録音しませんでしたが、やはり音楽大学を首席卒という人たちですから、間違いなんてありませんでした。それでも、お客さんは満員ではないという感じ。。。やはり音楽は厳しいなぁと思いました。

私も昔ライブハウスで音楽をやっていたわけですが、そのころを思い出してしまいました。私の子供も、音楽中学に通うことになり、こちらの世界に踏み入れるかの瀬戸際ですが、いろいろ考えながら、比較的大きな拍手で、感謝をさせていただきました。ありがとうございました。

次回は、3月15日(木)12:00~

だそうですよ、無料ですから、興味のある方は西新宿三井ビルディングに来月足を運んでみてはいかがでしょうか!

藝大声楽科卒の方のお話を聞いてきた

先日、奥さんが、あの東京藝術大学の声楽科卒の方にお話を聞いてきたので、少しばかり内容を参考までに書いておこうと思いました。

いつ藝大受験を決めたのか?

勉強はできていたので、高校2年の時に決めたということでした。高校1年の頃のピアノのレベルはブルグミュラー程度で、ソナチネに入っていなかったそうです。そこから猛特訓してどうにか間に合わせたということです。

声楽科の場合は、副科としてピアノも必要ですが、そこからでも間に合うようです。勉強が普通にできないと厳しそうですね。

大学生活について

好きなことを学べた期間はとても楽しかったらしいです。当たり前ですよね、やりたいことをやるのが一番です。

就職について

その方よりも明らかに優秀な生徒さんであっても、就職活動の段階ですっぱり音楽の道から普通の仕事に切り替える方も多かったそうです。

音楽の道は厳しいですが、自営業のようなものなので、やり方次第です。そのあと上手くいったかたもいるようで、やはりビジネスのセンスと才能と努力のどちらものが必要のようです。

その方の現在の職業について

いろいろあって保育士を今やっているそうです。直接理由は聞いていませんが、保育士さんにはピアノも必要ですし、国家資格もありますから、今の時代では、そちらの方が安定しているのかもしれません。

まとめ

東京藝術大学に行けば、皆さんが音楽の仕事につける、そういうイメージを持っているかもしれませんが、やはり音楽の道は簡単ではなく、声楽科といっても歌の教室は少ないわけで、ピアノの能力が高くないとピアノの先生になるのも厳しいではないかと感じました。ソナタくらいのレベルに達していないと、やはりピアノの先生にはなれないだろうし、そういったところで、今は保育士さんに落ち着いていらっしゃるのかなぁと、私は感じました。

ただ、学費に関して言うと国立ということで、お安かったそうで、そこはすごくいいなぁと思いました。

参考になれば幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

人生で大切なものについて

昨日「大切なもの」という楽曲のピアノの伴奏動画を作りました。

私には中学生になる子供がいるということで、すでに40歳という年齢です。子供の頃は、伝記などを読んでいると、30代で死んでいる人も多いので、40歳まで生きれるのかなぁって思ったものですが、今振り返ってみると、あっというまになってしまったような気もします。

ショパンも38歳で亡くなっていますからね。。40歳は遠く感じてました。

ということで、まだ、生きている事実に日々、感謝するようになっています。

そして、生きているとどうしても付きまとうのがお金のことなのですが、私も20代はお金がないと生きていけないとか、お金をどうしても稼がなきゃいけないとか、考えていた時代もありましたが、今は、お金なんてなければ、ないなりに生きればいいんだと思うようになりました。

といっても、80を超える私の祖父は、「この世にお金より大切なものはない」と今も言っていますので、ちょっと、まだまだだなぁと思うことがあります。上から目線で、すみません、おじいちゃん。

さて、そんな40歳の今、私が「大切なもの」というキーワードを聞いた時に思うことは何か、を考えると。

  • 家族
  • 心と健康
  • 自分を信じること

モノではなく、マインド的なものになってきています。お金はなくても、心にエネルギーさえあれば、手に入れられます。そう考えています。

けれど、心や健康を失ったら、生きることはできません。支えてくれる、家族もいなければ生きていけません。

そして、自分を信じることは、明日につながることであり、それを失ったら、なにもできなくなります。

私は一度、うつ病になっていたことがあり。自分を見失っていた時期がありました。すっかり改善している今からみると、その時期の記憶がロストしているくらいに、その時期がうつだったとはっきりとわかります。

だからこそ、生きるためには、「心」というのが、大切なんだと、今は思うようになりました。

元気があれば、なんでもできるは、事実だと思います。

このサイトを、良くしていこう、ピアニストを応援できるサイトにしよう、子供も応援しようと思えるようになったのもつい最近のことですが、その根本は、心が回復したことにあります。

うつ病時代にピアノ曲にのめり込み始め、ピアノに救われたとは思いませんが、ピアノの音色には、そのような力があると私は思っています。だからこそ、そういった視点でも、このページにいろいろとエネルギーを吹き込んでいきたいと思っています。

このページが「大切なもの」になるかもしれません。

最後まで、閲覧ありがとうございました。

ピアノは生涯を通じて演奏し続けることに価値があるものである

ピアニストの演奏は、不変じゃない

若いころは、若い人らしい、そして野心あふれるような

元気な演奏が多い気がする

それが歳をとると

まろみのあるやさしい演奏に変わったりする

それが上達によるものというよりは、人生の経験を重ね生きるということ

無理はするものではなく、続けられるレベルで奏でるもの

そういったものを理解した、あるいは、妥協した、限界を知った

演奏をすることの意味を理解した

モノの演奏になる、と私は感じる

[the_ad id=”1394″]

受験に伴いピアノを辞める、一時的なコンクールの結果に一喜一憂して、辞める、ビジネスにならないからとピアノを辞める

いろいろ現実では続けることは難しいかもしれないけれど

続けた先にでしか見えないものがあるということに、生きていればみな気づく

それが人生である

アイドルやロック、歌謡曲、J-POP、どれも若い人達のために存在する音楽であっても、歌い手が歳を経れば、その歳を重ねただけのエネルギーが伝わってくると私は感じる

辞めてしまうことで、それが失われることは、とてももったいない

一度始めたことは、生涯続けることにも、嫌で続けることにも、意味があるが

そこに価値を生み出せるかは、人間自身に問われているのだろう

ピアノコンクールは勝つ為の練習をしないと勝てない

音楽が好きで、ピアノを毎日練習していれば、ピアノが好きな子がいい結果を残せるか?

と問われると、私は、完全にノーと言いたい。

新しいジャンルを自分を創ったり、作曲をするのであれば、時には、良い結果を残せることがあるかもしれない、けれど、コンクールは、そういう場所ではない。

そもそも、クラシック音楽というのは、数百年前に生まれた音楽であり、作曲の世界ではなく、再現の世界。

職人技の世界と言ってもいいくらいの世界だと思います。ピアニストは、ピアノの演奏職人とも言えるでしょう。入門してから結果を出すまでに、10年以上かかるのですから、間違いなく職人技の世界だと私は思います。

昨日、ヤフー知恵袋で、コンクールで勝つことだけを頑張ることが、よくないという意見がありました。たしかに私も、受験の世界や、会社の中で、そのような勝負という争いについて、疑問を持っていたこともありますが、それは渦中にいるから、感じることであり、少しはずれ客観的に見ると、争いはやはり、それでもあったほうが、私はいいと感じます。

なぜなら、客観的な評価は自分の理解を確かめる上で大事であること、次のコンクールまでは何日といった区切りも、長期にわたる練習期間を考えると、あった方がよいこと。そんなところでしょうか。

やはり、コンクールは、ないよりは、あったほうがいいと思いますね。

さて、そんなピアノコンクール。勝つ為には、練習をしなければいけません。そして、テクニックを磨くことが大事です。とあるコンクールは、お手本に忠実に再現することを目指すから、あのコンクールはダメ。という意見もありますが、どんな演奏でもできるようになるのが、職人には使命の部分があるので、私は、ある意味仕方ない気がします。

負けた理由が、再現できなかったことにあるのであれば、再現する練習をすればいいでしょうし、勝ちたいのなら、そのような練習もやればよいでしょう。

いろいろと勝ち負けにこだわるからこそ、批判も生まれるわけで、本当に、純粋にピアノが好きであれば、コンクールの結果にもそれほどこだわりを持たないのが、本来のところだと思います。批判をする時点で、勝ち負けにこだわる人になります。

さ、何よりも練習です。一生懸命練習して、コンクールに出る皆さんは、輝いています。がんばってくださいね。

最近「ピアニストになる」と発言するようになる・・・

先週のある回転寿司店での出来事。

店員さんの「願い事を書いてみる?」と息子は七夕飾りの短冊を見せられた。

数秒考えた後、息子は

「うん、やってみます」

ということで、私には「絶対見ないでね」と言いつつ、短冊の内容が見えないように隠しながら、長男が書いた短冊には、なんと

「ピアニストになって、よい演奏をして、たくさん拍手をもらいたい」

と書いてありました。

まじで・・・

本当ですか?

マジですか?

ものすごく茨の道ですよ・・・お前さん

という言葉が、もうそこまで出かかっていましたが、息子は、まだ小学生ですから、現実なんて気にせずにやりたいことをやった方がよいと思い、

「じゃあ、真剣に頑張れよ」と応援しました。

さて、こんな風に、なぜ、なってしまったんでしょうか?

私のピアノに関して、子供にいつも言っていってきたことは

「人に負けるのはしかたがない、でも自分には負けるな」

「ミスタッチは恐れず、やりきったと思える演奏をやろう」

「どうせやるなら真剣にやろう」

このくらいです。真剣に=ピアニストでは、ありませんでした。

習い事はしっかりやりましょう、という意味です。同じくやっているスイミングも、休まず通いましょうという意味で、伝えているわけですね。

ですが、ピアニスト。まぁ、基本無理。それをやるんですか?

まぁ、何事も、やってみなきゃ、なんにも進まない、やるのは自由です。

特に小学生や中学生くらいの頃なら、まだまだ、やりたいことを真剣にやってたって、まだまだ、大丈夫。

私自身は、まぁ、何歳になったって大丈夫だと思ってますが、世間的には、どうかなぁ。

けれど、やるなら真剣に、目指すなら、日々の練習も妥協せずで頑張らなきゃ、そもそも一流にはなれません。

本当に、ピアニストになりたいのか、これからの日々で、確認していくのが、私の役割ですね。

厳しくあたっていきたいと思います。

音楽家になるためには

今日は息子のピアノ練習中にピアニストと、コンクール優勝者との違いを話し合った。

なぜ、そんなことを話したのかといえば、仕事としてピアノを弾ける人と、そうでないひとの違いをきちんと理解してもらうためである。

音楽でお金をもらうということは、どういうことか。

コンクールで優秀すれば、お金がもらえるのか?

否、それは違うことを伝えた。

技術があれば、確かに、お金をもらえる可能性はある。しかし、仕事として、音楽を奏でるのであれば、お客さんが望むものを演奏したり、創らねばならない。コンクールの優勝が宣伝になるのは、短期間であろう。

たいていのピアニストは有名音大を出れば、ピアニストになれると勘違いしたまま、音楽大学に行き、技術だけを学び、サービス精神、音楽を提供する人としての、心構えを持たないまま、卒業して、本当の意味でのピアニストになることはない。

技術がある、上手い。それだけでは、根本的に間違っているのである。

料理人を見れば明らかだ。

技術力があり、高額な値段を得ようとする料理人は大衆には受けない。

ファミリーレストラン、回転寿司、外食産業が提供するものは、どれも実は技術を求めているものではなかったりする。

確かに高級料理を望む一部の富裕層もいるが、数は圧倒的に少ないのだ。

これが、音楽にも当てはまるのだ。

お客さんが望むものを提供できるか。

その時代にマッチすれば、アイドルのように稼げる音楽家にもなれるかもしれない。

シンガーソングライターで、稼げるかもしれない。

しかし、そうでなければ、CM,ゲームやアニメに音楽を提供したり、結婚式やホテルで演奏することになる。

いずれにしても、お客が望むものを瞬時に提供できなければ、音楽家としては誰もお金を払ってはくれないのである。

技術力があることで、知名度はあがるが、それだけでは、はっきりいってお金はもらえない。トーク力も必要であったりする。

一般の人に音楽をどうすれば聴いてもらえるか、そこに自分をどうのせることができるのか、そのような試行錯誤を続けることで、一部の人は音楽家になることができるだろう。

しかし、大半は、生活できずに、音楽家にはなれない。

ピアノの先生、教授などをしながら、たまに演奏会をひらいて、他のピアニストの真似事をする程度で終る。

だからこそ、ピアニストは茨の道であり、普通にやっても到達できない、職業なのである。

そもそも、バッハですらそれほど稼げていないし、芸術家は死後評価されることの方が多いのである。

それでも、続ける。続けてしまう、やめられない。そんな人にしか、その道が開かれることはないのであろう。

好きこそ物の上手なれ

これは小学校1年生の頃の息子のピアノ発表会の演奏です。当時は、まだ、電子ピアノでした。

いやぁ、恥ずかしい。自分の息子の演奏だけど恥ずかしい演奏ですね。

この頃は、好きな曲は弾けないということで、発表会の曲は、良くわからないと息子は言っていたと思います。

先生に、この曲は無邪気で、全然、息子が無邪気じゃないので、意味わからないよねって言われてて、当時教室につれてかれて走り回っていた弟のような子供を無邪気って言うんだよって先生に言われたりしていたのを思い出します。

そういえば、このとき先生が変わったばかりで、出会って半年も経っていなかったので、先生との信頼関係も薄かった気がします。

実際に、こんなにも弾けるんだって、先生に驚かれた2年生の終わりまでは、普通のおけいこだったので、この頃は、誰もあまり気にしていなかったピアノのおけいこでした。

ただ、絶対音感はあるよね!ってわかりはじめた時期でもありました。

こんなへたっぴだった子供でも、好きで続ければ上達はしていき、今ではコンクールでも入賞できるようになりました。

ピアノを習っている皆さんも自分を信じてがんばってくださいね。