2017年度は、ピアノを趣味としてやっていた私たち親子にとって激動の一年でした。
それはピアノを「単なる趣味」から「ピアニストを目指す」と決意するまでの1年となったからでした。
この激動の小学校生活最後1年の出来事について、単なる振り返りにするだけではなく、今後、私達親子と同じように趣味でピアノをやっている家庭の皆さんが、茨の道である「ピアニストの道」を歩むと覚悟するときの参考資料として、参考になればと思い、記事とすることを決意いたしました。
この1年の主な出来事
- 初のカワイピアノコンクールCコース関東地区予選参加
- ピティナ予選への参加
- 音楽大学付属教室の無料体験レッスン参加
- 音楽大学の中学校入試向け夏期講習への参加
- ピアノの先生の個人発表会参加
- 音楽科の学科試験
- カワイピアノコンクールBコースでの参加
- 謝恩会の伴奏オーディション
- 音楽中学校の筆記試験
- 音楽中学校の進学確定
2017年4月
2017年度の始まりである、2017年の4月は、ピアノは辞めた方が良いという話し合いから始まったのでした。
3年生で入選、4年生で審査員特別賞、5年生で入賞という毎年着実なステップアップを乗り越え、2016年末に始めてコンクールの予選を突破。長年にわたる努力がようやく実り、それもダントツトップの成績でのコンクールの予選を突破して迎えた、4月のカワイピアノコンクールCコース関東地区予選。
ダントツトップで予選を超えてきたのですから、必然的に4月の関東地区予選も何かしら賞はとれるだろうと、先生も私たちも期待がかかっていました。
そして、その結果は下記でした。
奨励賞・・・つまり参加賞
才能なし確定でした。
今なら敗因はわかっています。痛恨のミスタッチと、楽曲のイメージを超えた自身の世界観で弾いてしまったことでした。ミスタッチはしかたがありません、誰でも調子が悪い日があります。始めての会場の雰囲気にも飲まれてしまっていたかもしれません。しかし、自分の世界観で演奏するというのは、やはり原曲を知り同じ曲を弾いている子供達と較べると明らかに、亜種となってしまい、審査員の先生にとっても評価しにくいものになっていたはずである。
よくわからない未知のモノを、審査員は評価できない。厳しい言い方をすれば、課題曲を弾いたことにはならないのである。
ということを気づかされた日でもありました。
その翌日
私と息子は、朝から話をしたのを覚えています。
ピアノを仕事にすることは、お医者さんのような国家資格がある職業ではないから、とんでもなく難しいことであること。さらには収入の面でも厳しく、あえて難しい道を選ぶよりも、ピアノは趣味としてとどめて、受験勉強をやっていったら良いのではないか
そう話し合っていた。
おそらく、3時間程、朝から話し合って、子供は最後には黙り込んでいたはずです。(この長い話があって、その翌日には、ピアノの道は、茨の道だという旨のブログ記事を書いた気がする。過去記事を探ると出てくると思います。)
やりたくないことをやるのは嫌だ。
それでもと、子供は言った。私もその気持ちはわかる。けれど、親がピアノを続けることを認めてしまっていいのだろうか?そんなことを素直に許しちゃう親だと、子供にとってはよくないだろうし、今現在の状況では実力だってないわけで、できることは、ただ未来に賭けることしかないのである。
子供は黙ってしまい、泣き出した。
現実を理解したとき、何ができないわけでもないが、呆然とはなるだろう。
ただ、未来。未来は、みんな未知数だ。
生まれた時から未来がわかっていた子供なんて誰一人としていなかったはずだ。みんな努力した結果があるだけだ。
そして、私たちが出した結論は、1年やって実力をきちんと確かめようだった。
— 現在はここまで完成 – 以下乱文あり
この日から全国的に有名なコンクールに出場してみようと各種コンクールを調べてみたが国内トップのコンクールを知った後で、すぐに愕然としたレベル差があることを知ることになった。全日本学生音楽コンクールの小学校の部の課題曲、子供がそれまで出ていたカワイ音楽コンクールではA級レベルであり、高校2年生までが出場するコースの課題曲だったのである。
5年先の差が目の前に現れたのである。私自身、明らかにピアノの道はありえないなと思ったのを覚えている。