嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

私の人生は、学生時代は勉強、社会人になってからは仕事が主要な人生のメインテーマでした。しかし、現在は、自由がメインテーマになりました。

そんな自由人は現時点の社会では多くはないと思いますが、今後の社会では増えていくだろうと私は予想しています。

なぁぜぇかぁ!?

その理由を今は感覚でしか持っていないので、その理由となるものをこのブログで紡ぎあげて、提供できればなと考えておりますので、今回よりこのテーマで記事を書き始めました。

今回のテーマは、「嫌なこと」です。

嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

  • 学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 仕事を始めてから嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 嫌なことをやることに意味があるのか
  • そもそも嫌なことは続けられるのか
  • 果たして嫌なことを続けられる人がいるのか
  • ITの進化で記憶=勉強に価値は既にない
  • 教育が変わらなければ、勉強に価値はない
  • それでもあなたは嫌なことを続けますか?

今回は、嫌なことをして得られたもの・失ったものをテーマにして深堀していければなぁと思います。

学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ

学生の頃の嫌なことは、勉強でした。しかし、やらなければいけないものでした。

好きかと言われれば嫌い。嫌いなものは、当然やりたくないのだけど、学校や周りが勉強は大事だと言うので、嫌々ながらもやった勉強が私の青春でした。

中学時代は塾に週3通い、毎日1時間は勉強。テスト前は可能な限り6時間から8時間は勉強しました。

高校になると毎日2時間は宿題に追われ、塾は週に2回。テスト前でなくともそれなりに勉強する必要があり、大学受験の頃には、休日は10時間以上勉強をする。

そんな生活をしていました。

勉強は嫌ではありましたが、やらなければいけないものなので、やるべきものに脳内変換してやりました。それが私の高校生生活でした。

希望は、大学受験が終われば、この生活も終わりにできるでした。(こんなことは、これからの世代の人はやってはいけません。後で、そのことにも触れます)

高校生の頃失ったモノ

  • 恋愛などの普通の青春
  • 友達とゲーセンで遊ぶこと(年に1回あるかないか)
  • 部活動はなし
  • ファミコン・スーファミ・プレイステーションも禁止
  • アルバイト

高校生の頃得られたモノ

  • 成績
  • 進学
  • ご褒美(食事)
  • テレホンカード(塾から)
  • 電車通学

高校生時代の頃、頑張ったのか、頑張らなかったのかと言われれば、頑張りました。高校3年生の時は、時間があれば勉強をしなければいけないという恐怖概念があるくらい勉強を意識していました。しかし、進学校に通っていましたから、成績は頑張りに比例して伸びることはなく、その学校の普通の頑張りでは現状維持でした。

高校生時代の友達が、生涯の友達になる人もいると聞きますが、私の場合は、あり得ません。そもそも一緒に遊ぶ時間も少なく、深い中になるほどの関係もやや陰湿な競争の中では気づけません。趣味や娯楽の話を共有するよりも、嫌いな勉強が毎日の中心なのですから、楽しい会話もありません。

それが私達の高校生活でした。

今振り返っても、人生にとって本当に大切なものが得られたとは思えません。

高校生活は、充実していませんでした

学生時代は、やりたいものが見つかるよりも先に勉強や成績を求められました。そもそもやりたいものや実現したいことが、明確でないのに、いわゆる進学するための成績が良かったところで、それが使い物になるわけではないのです。

しかし、学校や周囲は、勉強できることが特別のように扱いました。私には、違和感しかありませんでした。

大学生の頃失ったモノ

  • 成績

大学生の頃得られたモノ

  • バンド活動(音楽)
  • 友達と遊ぶこと
  • アルバイト
  • ゲームをする

大学生になると、私は勉強することを拒みました。真面目に拒みました。この時期にやりたかったことは、音楽活動でした。やりたいことがこのタイミングで見つかりました。

中学、高校と学生生活が6年も奴隷のようにやりたくないことをやらされた反動が、ここで反発を起こさせました。私は本当にやりたいことを、やることに決めました。しかし、大学生からバンド活動をするような人は、その時代、もう時間的に厳しいものでした。

それでも、私は精一杯、可能な限り、時間を音楽に当てましたが、結果的には、成功を得ることはありませんでした。

しかし、このときに、最高の学びを得ることができました。本当にやりたいことをやっているときの、人生の充実感です。

私の大学生活は、あまり実り豊かなものではありませんでした。しかし、生きているというものの実感を得たのでした。

続きは、また別の機会にかきます。

タイトルとURLをコピーしました