私にはサラリーマンをやっている間に指摘された欠点がありました。
何年も指摘されるので、自分自身も問題だとずっと思ってきました。
最初は、勝手に言ってちょうだいなと思ってたのですが、長期にわたり何度か指摘されると、やはりそうなのかなぁという思いになり、さらには、やはり欠点なのかもとなり、これは欠点だと、潜在意識にまで、勝手な意見が到達してしまうのです。
これを洗脳というんですね。
さて、どんな欠点かを書いておくと
・人に任せられずなんでも自分でやらないと気が済まない
・対人ストレスが強く大人数の仕事が得意ではない
・自分で細かいところまでやりすぎる
・おおざっぱにやらず、最初にいろいろ調べすぎる
・寡黙でコミュニケーション能力が低い
・リーダーシップがとれない
ざっと上げるとこのようなものです。まあ、それぞれ私の考えもあり、言う方の主張をそのまま受け取っていなかった節もありますが、いずれにしても何度か指摘されるので、周囲だけでなく、自分自身にも欠点というレッテルが貼られていました。
しかし、これって欠点ではなかったなと今は思っています。
そのことについて今回は書いてみたいと思います。
ㇾ 欠点とは人とは違う尖った部分である
ㇾ 欠点は裏返せば、利点である
ㇾ 環境が変われば、世界が変わる
ㇾ 欠点を指摘されたら『ありがとう』と受け取り前に進もう
欠点とは人とは違う尖った部分である
私の欠点とされていたものをもう一度掲載しますが、
・人に任せられずなんでも自分でやらないと気が済まない
・対人ストレスが強く大人数の仕事が得意ではない
・自分で細かいところまでやりすぎる
・おおざっぱにやらず、最初にいろいろ調べすぎる
・寡黙でコミュニケーション能力が低い
・リーダーシップがとれない
これって、基本的に言われていたことは、
一人で仕事しているよね
ということなんですよね。そもそも私は、人があまりいない田舎で育ちました。両親は共働きで、多くのことを一人でこなさざるを得ませんでした。また、弟がいますが、4歳も年が離れ、親しくしていた期間も短かったですし、学校などでも、集団に群れるというよりは、独りの時間を過ごすということの方が多かったんです。
つまり、欠点というよりも
生き方
だったんです。
それぞれの人間は独立して生きているわけで、誰かの命令なんて受けたないはずだ
だから、リーダーシップなんてとらない。自分で考えてやれ。見ればわかるだろ?
しゃべっている暇があるなら、もっとやれる作業があるだろう
だから、寡黙に仕事する。
人に任せられずなんでも自分でやらないと気が済まない
だから、レビューするのは、二度手間。
人の仕事は品質が低いので、やれることは、自分でやりますよ。
人に聞いても、それが正しい理解かなんてわからない
だから、自分で調べて、責任を持った結果をアウトしますよ。
このように生き方や性格からくるものを、職場という狭い世間が欠点と呼んでいました。
そしてこれは、人と違う部分でもあります。なんでも大変なところは、一人で最初から最後まで、やろうとしてしまうのは、私くらいでした。
国際分業のような今の時代だから、分業はあたりまえです。しかし、これがなければ、実は最初から最後まで、自分でやらなければいけません。
田舎で農作物を育て、生きること。すべてを自分でやっていた時代の暮らしは、何から何まで、自分一人でやる必要がありました。そうでなければ、常にだれかに頼りきりで、田舎では、自立できなかったでしょう。
その適正が私にはあり、尖っていた部分だったのです。
欠点は裏返せば、利点である
先ほど書いた、私の欠点は何かというと一言で言うと
・何から何まで自分でやろうとして、リーダーシップをとらず、非効率的に働いているように見える
というものです。
確かに、大人数でやる仕事の場合は、そのように見えたでしょう。しかし、緻密に計算して作業をしたことで、とある悲惨なプロジェクトでは、私の関与したチームだけが、スケジュール通りに納品でき、品質も高い結果を生み出しました。
まぁ、上司が非効率的に見えると判断しているので、それでも、このことをプロジェクトが評価するということはなく、たまたまとうやむやにされました。かなり努力してたんですけどね。
さて、この欠点なのですが、大人数で仕事をするという場所では非効率的に見えるわけですが、少人数あるいは一人となった時には、まったく状況が変わるのです。
一人の仕事になると、何から何まで一人でやらなければいけません
・皆忙しく、協力者はほとんどいない
・誰かに答えを聞けるわけではない
・一人静かな環境でも仕事ができなくてはいけません
・全部自分でやらなければいけない
となるのです。そうなった場合には、先ほどの欠点が嘘のように、欠点ではなく利点に変わってしまうのです。
これって、おそろしくないですか?
あなたの欠点も、本当に欠点なんでしょうか?
わかりやすい見た目の話をすると、子供というのは残酷で、見た目で他人を馬鹿にしてしまいます。あごが尖ってると、あごのこと。太っていると、太っていること。鼻の形が悪いと、鼻のこと。ぶさいくだと、ぶさいくだと。
けれど、それって、目に付くということなんですよね。よくいうと、そういう身体的特徴を持っているということなんです。
それって、逆に言うと、利点に成りえるです。
とがってるあごが目印の山田です。あごで世界を目指します!
ぽっちゃりの川田です。ぽっちゃりで、イケメンゲットします。
鼻がぶちゃいくな清水です。この鼻で、世界に挑みます!
ぶさいくで有名な富田です。ブサイクが、セレブ目指します!
一発で、覚えてもらえそうではないですか?
欠点て、欠点なんですかね? 利用すれば、利点になりませんか?
環境が変われば、世界が変わる
閉じられた社会である、学校、職場、とある集団、etc
これらの世界にいると、同質を求めることが多く、おなじような人を集めたがります。ちょっとでも、人と違うと、
・あいつ変わってるよね
・やり方おかしいよね
と批判的な目で集団が個人を見始めます。そして、集団が思い描く同質感が、区別を生み出し、多様性を認めない、一様な世界観を作り始めます。
環境というのが、すごく大事な理由は、ここであり。制限された空間であり、閉じられた集団というのは、だいたいにして、全体的に見るとおかしな偏見が通ってしまっています。
それが、ときには、いじめ・差別となって現れます。
ところが、そのような閉じられた集団から、離れ別の環境に移動すると、世界が違うことに気づきました。
私は会社を離れました。一人でできる仕事を選びました。何から何まで自分でやらなければいけません。基本的には、寡黙に仕事できなくてはいけません。
けれど、それがものすごく自分にフィットしているのです。
これは極端な例かもしれません。
しかし、集団の中で、溶け込めない人間というのは、その中ではない、別の場所で活かせる何かを持っているということは、明らかです。
仕事ができないのできないの理由が、単純に細かいところまで丁寧に仕事をしていて、他の人よりも遅いという場合は、高い品質を求められる職場に移ったとたんに、世界が変わります。
これから少子化かつAIやロボットを活用し仕事をするということが、増えれば一人で働くことが、メリットにも変わります。
もし、今の環境があなたにとって、相応しい場所でないなら、相応しい場所をさがすということは、誰にでもできるはずです。
大丈夫、みんなこれまでも頑張ってこれたんですから!
欠点を指摘されたら『ありがとう』と受け取り前に進もう
人と出会い、会話をすれば、時には欠点を指摘されると思います。
一見、友好的な人かなと思っていても、あなたのことをどこか否定的にみているのが人というものです。
それが人間という生き物の普通です。
基本的に自分を中心にして生きる脳がある限り、これは残念ながら変われないと私は感じています。
しかし、何かの欠点や否定的なことを、指摘されたのであれば、それが本当に欠点なのか、否定的なことなのかは、よく考えるべきです。
何か、人よりも尖っている部分。それが目に見えて、指摘となってあらわれてくるわけです。
それをメリットにするのか、デメリットにするのかは、実は、自分自身なのです。
あなたがそれを言葉の通り受け止め、デメリットのまま進んでしまうと、マイナスのイメージを抱えたまま生きることになってしまいます。
しかし、私の尖っている部分を指摘してくれてありがとう。大丈夫、わかってるわ。けれどね、それってメリットなのよ。
そんな風に、考え方をスイッチすることで、いくらでも、欠点をメリットに変えていけるはずだと思います。
劣等感に負けないで、その欠点のどこがメリットなのかを考えましょう!
絶対に、メリットに変えられます!