最悪な花粉症!-今年こそはとマンションの部屋での症状を劇的に改善させた方法-

花粉症は最悪ですよね!!

花粉症になると何が一番ダメかと言うと、作業効率が悪くなることですよね

  • 本を読むのも辛い
  • パソコンのキーボードを叩くのも辛い
  • 座っているのも辛い
  • 御飯を食べるのも辛い
  • 目がしょぼしょぼする
  • 起きているのも、寝てるのもつらい

結局、つらいしかない・・・

( ˘•ω•˘ )
杉を切って切って切りまくるんじゃー!!という思いになります。

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労働には搾取が伴う

労働には搾取が伴います。それが資本主義です。

だから、自分の生活を犠牲にしてまで働く必要はありません。

現金をもらえば、税金がとられます。

このようにある流れができると、そこから必ず奪われる仕組みが、網目のように張り巡らされているのが、資本主義です。

子供の目線に戻って気づいてください。

ー詳しい理由は後で書きますー

資本主義のサービス終了が近いと感じている

資本主義と言うゲームは、王様と家来、王国民、奴隷という王国を宗教や世襲ではなく、お金というパワーを持った順にルール変更をした世界だったということは、誰の目にも明らかになってきていると日々感じている。

市民革命とかいかにも奴隷が、奴隷のために作った革命が起きたかのような言葉があるが、事実上は王族も金を所有したままだし、パワーをそれなりに持ち続けている。

資本主義は、目の前にニンジンをぶら下げた馬車馬のように、お金が目の前にぶら下げられた人間が家畜として働かなければ成立しない。

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百日祭 -母が亡くなってから約100日目-

昨日の2/24は、母の百日祭でした。

故母親の神様の祭りということで、風習の一つなのですが、普段気にすることのない、神式での祭事を行いました。

清祓いの儀を行い、祝詞奏上、玉串奉奠、会食

これが百日祭の流れです。

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虫歯が増える確率50%から35%に低減-チョコ味のキシリトールガムを検討し始めました-

毎年のように歯医者に通うようになって10年以上、もういい加減、二度と行きたくないと思いながらも、詰め物が取れた、激痛が・・・ということで、結局10年以上、次こそは!と思いながらも、私は毎年のように歯医者に通い続けています。

先日も歯医者に行ってきました。今回の治療は昨年8月頃からスタートし、当初は詰め物が取れたのだけなので、すぐに終わるかなと思っていたのですが、なんと年をまたいで、2月の現在になって、ようやく終わりました。

期間約6か月、ようやくめでたしとなりました。

それでも、メンテナンスで、今後も3か月に1回は通わないといけない

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退職後の確定申告の提出方法を郵便にした理由

会社を退職し、その後、自営業なり起業をするなりしたサラリーマンは、基本的に確定申告をすることになると思います。

その際の、税務署への確定申告書の提出には、次の3つの提出方法があります。

  • 郵便or信書便(送料自己負担)
  • 税務署の受付に持参
  • 税務署の時間外収受箱への投函

私はこの提出方法について、今回次の方法で行うことになりました。

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嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

私の人生は、学生時代は勉強、社会人になってからは仕事が主要な人生のメインテーマでした。しかし、現在は、自由がメインテーマになりました。

そんな自由人は現時点の社会では多くはないと思いますが、今後の社会では増えていくだろうと私は予想しています。

なぁぜぇかぁ!?

その理由を今は感覚でしか持っていないので、その理由となるものをこのブログで紡ぎあげて、提供できればなと考えておりますので、今回よりこのテーマで記事を書き始めました。

今回のテーマは、「嫌なこと」です。

嫌なことをして得られたモノ・失ったモノ

  • 学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 仕事を始めてから嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ
  • 嫌なことをやることに意味があるのか
  • そもそも嫌なことは続けられるのか
  • 果たして嫌なことを続けられる人がいるのか
  • ITの進化で記憶=勉強に価値は既にない
  • 教育が変わらなければ、勉強に価値はない
  • それでもあなたは嫌なことを続けますか?

今回は、嫌なことをして得られたもの・失ったものをテーマにして深堀していければなぁと思います。

学生のころ嫌なことをして 得られたモノ・失ったモノ

学生の頃の嫌なことは、勉強でした。しかし、やらなければいけないものでした。

好きかと言われれば嫌い。嫌いなものは、当然やりたくないのだけど、学校や周りが勉強は大事だと言うので、嫌々ながらもやった勉強が私の青春でした。

中学時代は塾に週3通い、毎日1時間は勉強。テスト前は可能な限り6時間から8時間は勉強しました。

高校になると毎日2時間は宿題に追われ、塾は週に2回。テスト前でなくともそれなりに勉強する必要があり、大学受験の頃には、休日は10時間以上勉強をする。

そんな生活をしていました。

勉強は嫌ではありましたが、やらなければいけないものなので、やるべきものに脳内変換してやりました。それが私の高校生生活でした。

希望は、大学受験が終われば、この生活も終わりにできるでした。(こんなことは、これからの世代の人はやってはいけません。後で、そのことにも触れます)

高校生の頃失ったモノ

  • 恋愛などの普通の青春
  • 友達とゲーセンで遊ぶこと(年に1回あるかないか)
  • 部活動はなし
  • ファミコン・スーファミ・プレイステーションも禁止
  • アルバイト

高校生の頃得られたモノ

  • 成績
  • 進学
  • ご褒美(食事)
  • テレホンカード(塾から)
  • 電車通学

高校生時代の頃、頑張ったのか、頑張らなかったのかと言われれば、頑張りました。高校3年生の時は、時間があれば勉強をしなければいけないという恐怖概念があるくらい勉強を意識していました。しかし、進学校に通っていましたから、成績は頑張りに比例して伸びることはなく、その学校の普通の頑張りでは現状維持でした。

高校生時代の友達が、生涯の友達になる人もいると聞きますが、私の場合は、あり得ません。そもそも一緒に遊ぶ時間も少なく、深い中になるほどの関係もやや陰湿な競争の中では気づけません。趣味や娯楽の話を共有するよりも、嫌いな勉強が毎日の中心なのですから、楽しい会話もありません。

それが私達の高校生活でした。

今振り返っても、人生にとって本当に大切なものが得られたとは思えません。

高校生活は、充実していませんでした

学生時代は、やりたいものが見つかるよりも先に勉強や成績を求められました。そもそもやりたいものや実現したいことが、明確でないのに、いわゆる進学するための成績が良かったところで、それが使い物になるわけではないのです。

しかし、学校や周囲は、勉強できることが特別のように扱いました。私には、違和感しかありませんでした。

大学生の頃失ったモノ

  • 成績

大学生の頃得られたモノ

  • バンド活動(音楽)
  • 友達と遊ぶこと
  • アルバイト
  • ゲームをする

大学生になると、私は勉強することを拒みました。真面目に拒みました。この時期にやりたかったことは、音楽活動でした。やりたいことがこのタイミングで見つかりました。

中学、高校と学生生活が6年も奴隷のようにやりたくないことをやらされた反動が、ここで反発を起こさせました。私は本当にやりたいことを、やることに決めました。しかし、大学生からバンド活動をするような人は、その時代、もう時間的に厳しいものでした。

それでも、私は精一杯、可能な限り、時間を音楽に当てましたが、結果的には、成功を得ることはありませんでした。

しかし、このときに、最高の学びを得ることができました。本当にやりたいことをやっているときの、人生の充実感です。

私の大学生活は、あまり実り豊かなものではありませんでした。しかし、生きているというものの実感を得たのでした。



続きは、また別の機会にかきます。

当たり前のように目の前にあるニュース・新聞とは何なのか?-その情報が果たして役に立つのか!?-

私達の身の回りで起きているニュースは、学校のニュースだったり、地区のニュースだったり、地方版の記事だったり、本来は身近にあるもののはずです。

しかしながら、テレビや新聞を見ると、日本の東京で起きていることの話題、世界で起きていることの話題、アメリカと日本だけの視点の話題、中国とアメリカと日本だけの視点の話題と、まったくもって偏っていて

日常の私達の生活と関係のない情報が中心に垂れ流されています。

しかし、学校の先生は、このニュースが大事だ、テストに出すぞなんて言って、とても大事であると伝えて子供たちを教育していきます。(先生が宣伝するように、洗脳されているのでは?と疑わしいのに)

さらには、時事ニュースを、インテリが、さも私はすべてをわかったかのように振舞い、ネットや書籍から集めた短期学習の情報で取り繕ろっているにも関わらず、どうあるべきかを一方的に述べ、国の方針までも、すべてわかったかのように指示してコメントを出して、一方的に終了させます。

それが、ニュースがやっていることです。

これって洗脳ではないですか?
⇒情報が常に限定されている、反論意見が入るスキがない

本当に誰かの思惑が入っていませんか?
⇒どの番組も似たような話題を取り上げている

専門家って、本当に専門家何ですか?
⇒国家資格すらないような買える経歴だけを並べた専門家たち

私は、このようなニュース番組はニュースだとは思っていません。一方的な解釈で、小さなテレビという箱の世界で、自分達が取り上げたいニュースだけを集めて流すだけを、ずっと続けてますが、これってそろそろおかしいと気づきませんかね、みなさん?

  • 10歳の子供が両親の虐待で死にました(個人攻撃で視聴率集め)
  • 麻生大臣が問題発言をしました(あるのは一部抜粋)
  • 国会でこんなことが起きました(あるのは一部抜粋)
  • トランプ大統領が中国と問題を抱えています(属米)
  • 北朝鮮がどうだこうだ(属米)
  • 北方領土問題がどうだこうだ(終わらないネタ)

そんなニュースを受け止めてますか?はっきりいってどうでもいい。そんなニュースをたれながされても、私達の生活は影響を受けないばかりか、何もできません。

影響がありません。

メディアが個人をレイプしていいることの方が多すぎます。

そんな情報に価値があるのでしょうか?

既にニュース番組は、雑誌と変わらない宣伝番組としてしか機能していない

報道番組、ニュース番組、という番組枠で、テレビを見るタイミングは、御飯時です。それを狙ったかのように、6時or7時から、12時から、18時からニュース番組が放送されています。

当たり前の日常です。

そして、そこで流されるのは、確かに15分くらはニュースがありますが、10分はお天気で、残りは、食べ物の情報、ファッションの情報、アイドルネタ、流行ネタ、スポーツ、などなど、結局気づくと、雑誌のような、宣伝番組となっているのです。

これが、何かを伝えるテレビのニュースが配信している情報です。

CM枠もあるというのに、1時間にこれだけ様々なことを流して、価値がある情報が流れてるわけありません

考えることなく、ただ単純に洗脳の言葉が人々にもれなく与えられるだけです。

覚えていますよね、マスコミが韓国を持ち上げまくったのに、気づいたら韓国は問題だらけで、報道できないような状況になっているという現実を。

多くの人はニュースに価値がないことを既に気づいている

インターネットの普及に伴い、テレビがやってきた多くの嘘やごまかしが暴かれるようになりました。

一般の町の人の声は、 プロ市民と呼ばれる、プロの視聴者がインタビューを受け、自分達が欲しい回答を作っていたこともバレています。

つまり、テレビ番組がやっていたかというと、情報のねつ造であり、人々の洗脳なのです。

このことは、私が言っているだけではありません。フェイクニュースという言葉がある通り、世界でこのことが伝えられているのです。

報道番組という、創られる番組に、嘘が入らないことは、そもそもあり得ないとおもいませんか?人間というのは、毎日のように、意図的であれ、そうでないとしても、嘘を平気でついてしまうのにです。

そもそも人が本当のことを言わないのは、日常茶飯事ですよね。

カメラが向けられたら、本当のことをしゃべるなんてことは絶対にありえないのです。

このことは、新聞が売れないということで、明らかになってきています。

価値がない情報を、価値があると洗脳され、買っていた昭和と平成のこれまででしたが、もう洗脳されつづけるのは、そろそろやめませんか?

自分で情報を集めて、自分で分析し、それを行動に活かせる時代が来ている

本来であれば、興味を持ったら、現場に行き、本当は何があったのかを調べて、きちんと理解し、真実らしきことをきちんと自分の目でみて確かめなければいけません。

しかし、どうでもいいことは、そんなことはしませんよね。

だからこそ、ニュースやどうでもいいことは、だまされやすいのです。

これが最近流行っています。という流行の言葉は、これから売りたいものに対する、宣伝の言葉であることが、よくあります。

年中50%オフで商品を売っているのに、いまだけ半額という宣伝があります。

どうでもいいことは、どんな表現をしてもかまわない、うわべだけの世界が、この世界ではまかり通っています。

だからこそ、ネットにより情報は増えましたが、無駄なものが多すぎます。

しかし、悪いことばかりではありません。この現実がわかったのもネットを通じてでありますし、ツイッターやSNSなどの、様々な視点の分析から、嘘や作為的な作り込みが、バレてくるからです。

ニュースは人々の活動の集合体でしかない

私達は毎日のように活動をしています。

仕事をしています。買い物に行きます。遊びに行きます。友達と話をします。学校に行きます。喧嘩をします。笑います。喜びます。

本当に、本当に、たくさんの行動をします。

元気なほど活発に動きます。

その中で起こった出来事は本来であれば、すべてがニュースであり、取り上げてもいいモノなのです。

しかし、その一部だけが取り上げられ、作為的に情報が選択され、社会で利用されるということが、残念ながら何十年も行われてしまいました。

これは悪いことでしたが、既に私たちは、その間違いに気づいてきています。

私たち一人ひとりが、本来は価値がある人間であり、社会を動かしていく力をもっていることを今一度自覚しなければいけません。

ニュースは、あなたが今日も作っているのです!

テレビのことはそろそろ忘れましょう!

人生は今日終わってもおかしくない-今日もやりたいことをやらなくてはダメな理由-

  • 死は突然やってくる(やりたいことは今日やるべき)
  • やりたいことが今日できなくても、それに向けた今日できることがやりたいことになる
  • 人間はやりたいことしか最後は続かない
  • 明日があると思って生きていたら後悔する
  • お金と人生には相関関係がない
  • お金がなくてもたいていのことができる社会が既にあることを理解しよう

死は突然やってくる(やりたいことは今日やるべき)

あなたは何歳くらいで死ぬと思っていますか?

両親が生きてるから、そんなの考えたこともない。

死んだ人なんて聞いたことないし?

近所で葬式やってるの見たことないよ!?

本来は、赤ちゃんが生まれるように、日常的に見えてもいい人の死ですが、家族葬で規模が小さくなり、また、孤独死で淡々と処理される死が増えてることもあり、日常的に死が見えることが、だいぶ減った気がします。

テレビでも、死亡が確認されたという表現は既に過去の言葉となり、最近は心肺停止の状態で発見されたということが、通常使われる言葉になりました。

また、漫画やアニメ、ゲームの世界では、当たり前のようにキャラクターが復活しますから、死というのは、非日常であり、本当にあるかどうかもわからない状態で、多くの若い人は生きていると思います。

しかし、私は子供の頃から死というのは日常にあるものだというエピソードが少なからずあったことを覚えています。

  • 4歳で死ぬ人がいた
  • 小学校で弟の同級生がやけどで死んだ
  • 社会人で死ぬ人がいた
  • 30代の親戚が突然亡くなった
  • 母親は60代で死んだ

食べ物で人が死ぬ

親の車で祖母の家に送られてから小学校に通う生活をしていました。 私はテレビだったかラジオだったかで、ある日、パンを食べていて窒息して人が死んだニュースを聞きました。さらには、おもちをのどに詰まらせて死んでいく人のニュースを聞きました。

食べ物を食べるだけで人が死ぬという現象をニュースから聞いたのです。

食べ物で人が死ぬ。小学生の私にとっては衝撃的な話でした、安全に食べている食べ物で人が死ぬ。そんなのありえない、かんがえられないのに、そんなもので人が死ぬ。

それを始めて聞いた時、次の日から食べ物を飲み込むのが苦手になりました。

オフロに入っていて人が死ぬ

毎日のように入るオフロですが、ある日、弟の同級生がオフロに入っていて死んだという話を聞きました。

今のように湯沸かし器の設定温度が決まっている時代ではなかった昭和の話です。60度から80度のお湯に、小学生が入ってしまったのだろうと思います。

全身やけどで、その同級生は死にました。

昔のお風呂は、50度くらいまでは簡単に上昇していた気がします。寒い冬に気を使ったから起きた事件だったかもしれません。

このように事件・事故を見ようと思えば、たくさんある死。私たちは、自分の死が来るなんて考えることなく生活しています。

しかし、死は突然やってきます。

やりたいことが今日できなくても、それに向けた今日できることがやりたいことになる

やりたいことが、ハワイに行くということだったとします。でも、今日は仕事があり、スケジュールが詰まっていて、無理だとしても、心はハワイに行くこともできます。

仕事をできるだけ短時間で終わらせ、余った時間を、ハワイの情報を集めたり、ハワイの動画をみたり、ハワイの音楽を聴いたりすることができます。

もっと言うと、日本にあるハワイ風レストランやショップにいくことで、ハワイに行く気分を味わうことができます。

このようにやろうと思えば、既にやりたいことがどんどんできるようになる。それが今の社会のメリットです。

それでも、まだ、ハワイに行ってはいないわけですが、モチベーションが上がって、仕事もはかどるというものです。

やりたいことがあるけど、やらないというのなら、それはあなたが望んでいることではないでしょうか。

例えば50歳になったら、イタリアに行くという目標を立てたとして、あなたが30歳だとすると、いま、あなたは、イタリアには行きたくない。これが現実です。

今はやりたくないのです。だから、やらない。

つまり、行かないことをやりたいこととして、今日もやっているわけで、それがハッピーな日常につながっているとも言えます。

人間はやりたいことしか最後は続かない

※ここから先は、また別の機会にお話ししましょう。閲覧ありがとうございました。

他人の意見を尊重することがいいとされる社会のうそ

「他人の意見を尊重しよう」そんな言葉があったことを私は、覚えています。小学校だったか、中学校だったか、昭和の時代には、そんな言葉が普通にあった気がします。

その意図としては、みんなの意見を取り入れれば、良い考えが集まり、世界がより良い世界になっていくという理想だったと思います。

そんなことを教えられていたような気がします。(ある意味、洗脳ですが・・・)

でも、社会人として十年以上働いた後の今の私からすると、それは、間違った教育ではないかと主張することができます。

今の社会は、言ったもん勝ちの世界になってしまいました。

他人の意見を意識した瞬間に、自分の思考が止まるなどしたら負けです。

如何に相手の意見が劣り、自分の意見が正しいかを考え続けるのが正解です。

相手の立場に立って考えた瞬間にスキが生まれ負けます

相手のことを考える余裕がない時代が到来している

既に日本は、日本ではない。そのように私は感じています。

もし、同じように相手のことを考える人間が集まったら、「相手の意見を尊重する」社会が成立したかもしれません。

しかし、二ホンはそうなりませんでした。外来種によって開国を迫られ、日本の教育はすべて覆され、教科書は燃やされ、江戸に開花したであろう平和の文化・生活は、もろくも消えてなくなる、家畜社会ができあがりました。

いがみ合うことが日常のような、勝ち負けばかりになってしまったこの社会において、他人の意見は蹴落とすべきものになり果ててしまっているのです。

それが、世界基準のスタンダードです。日本は劣化することで、世界標準になっているわけです。

そんな社会がまかり通っているからこその、うつ病ということだと、私は理解しています。

学校に教わったことを真に受けたら負けるのが今の社会なのですから。

劣化した二ホン社会

日本と二ホンを分けて考えなければいけないと考える時があります。

従来の日本を日本と呼び、新しい日本を二ホンと呼称したい。そのくらいの差が今の二ホンにはあります。

もちろんそんな二ホンで私は生きていきたくないし、存在もして欲しくないのですが、現実的にそのような二ホンが創り上げられてしまったので、残念ながらそれに対応した生き方をしなければなりません。

うつ病とは二ホンに対応できないから起きる病気

人と人とがお互いを尊重し合い、お互いの苦労をねぎらい、限りある資源を維持しながら努力でみんなが頑張る世界の日本はありません。

資本主義、グローバリズムで、奴隷制度が今だに続き、相手をいかに支配して、お金を巻き上げるか、それが主流の社会となっています。

つまり、世界大戦前と同じ、奴隷を作るシステムが、資本主義であり、株式であるわけです。

古来より続く日本では、「他人の意見を尊重しよう」という相手を思いやる言葉は、価値のある言葉でしたが、「他人は、服従させるために存在する」グローバルでは通用しません。

ルールが違うのです。

私の時代は、社会人になって、就職した瞬間に、日本文化が消える時代でしたが、最近の子供たちは、大学生、高校生、中学生のどこかのタイミングで、日本文化が消えた世界に入り込みます。

そこでは、学級崩壊があったり、不登校・差別・区別。世の中の動きと連動した、崩壊が見つかるのでしょう。

うつ病になったとき、社会の違和感を理解しよう

私はうつ病になったとき、上記のような二ホン社会の変化が背景にあることを意識しました。このブログを読んでいる方が、そのような印象を受けるかはわかりませんが、私は強く意識しました。

学校で習ったこと、団塊の世代の両親が信じていること、そのようなものは一切通用しない社会ができあがっていたからこそ、そこでうまく振舞えない自分が、うつ病として、無限ループに陥ったのです。

誰かが助けてくれる、私が思いやったように、誰かに親切にしていれば困ったときに助けてもらえる、そのようなことは、ありません。

ないことはありませんが、最前線にいけばいくほど、ほとんど、思いやりがなくなっています。

既に書いた通り、他人のことを考えて、思考停止になっているようでは、勝てないのです。