人はお金を手に入れるためだけに生きているのか?

戦後の日本は、経済発展だけを中心に活動を続けてきており、気づいたら働かないといけない社会で男女平等が叫ばれ、男性も女性も社会で働くことが良いような社会を創り上げました。

しかし、新たな問題が生まれきたのは事実です。

  • 増え続ける若者の自殺
  • うつ病の増加
  • 希薄な人間関係
  • 日本人口減少(少子高齢化)

どこかが豊かになったら、どこかが貧しくなるようでは、結局なにも変わらないのに、一部の豊かになる人(勝ち組)だけが豊かになって、その他大勢(負け組)は不幸でいいという資本主義の姿が、昔は見え隠れするだけだったのに、今は隠すこともせずに、堂々と弱者を排除する現実に、私はおかしいのではないか?と感じるようになりました。

  • 機能しない労働組合
  • 忖度だけの狂った社会
  • 金持ち優遇
  • ルールになければなんでもやってOK

道徳という教育が学校から消えたように、NHKが偏向を繰り返すように、社会は、一方的な情報だけを垂れ流すことが当たり前になっていました。

これは問題だと私は考えています。

  • 男女平等は税金を集めるための仕掛け
  • うつ病などの新病はビジネスのネタでしかない
  • 希薄な人間関係は管理しやすい人間を作るための布石
  • 人口削減計画は動いている

すべては、実は秘密裏に裏の思惑があるのが現実です。陰謀論などと言うことなく、堂々と勝ち組のやりたい放題が許されるようになってきてしまいました。

今回は、これらの問題を考えるうえで基礎となる、「人はお金を手に入れるためだけに生きているのか?」をテーマに考えてみたいと思います。

ㇾ そもそも生きることに目的があるのか?
ㇾ 豊かとは何か?
ㇾ お金で何が買えたのか?
ㇾ あなたがお金を手に入れるときに、同時に何がおきているのか?
ㇾ お金は必要なのか?

そもそも生きることに目的があるのか?

いきなり答えが見つかるもはずのない、難しいテーマを出してしまいました。

生きる目的を考える余裕もなく、食べるために、生きるために生きるのが、実は戦国時代までの時代ではなかったのではないか?と私は考えるようになりました。

歴史のフタをあけてみると、人々が戦争を行うとき、そこには誰かの物を奪う必要があるから、争いが行われていたことが見て取れます。今ある戦争も、ほとんどは、持たざる者が、多くを持つものから、生きるために、持ってないものを奪うために、引き起こされるものがほとんどです。

・平等に扱われないことに対しての戦争
・原油を奪うための戦争
・土地を求めての戦争

人間は、誰かの持ち物を奪うために戦争をやりました。そして、それが目的だったはずです。そこでは「生きること」が目的であり、そのための手段として、食べるための戦争があった。

そして歴史は勝ったものが正義でありました。ねつ造も普通にありました。

さて、それでは、当たり前に人が生きれるようになった後で、生きる目的は何になるのでしょうか?

働いてお金を得ることでしょうか?

答えはまだわかりません。

ですが、当たり前に生きれるようになった後では、より豊かに生きるための競争を続けることが、目的となっているようです。

テレビや雑誌などをみればそれが感じられるでしょう。

そして、結局は、お金を手に入れるために働かされているようです。

豊かとはなにか?

豊かとは何かと聞かれたとき、私達は真っ先に何をかんがえるでしょうか?

簡単ですよね、お金をどれだけ持っているかです。

しかし、お金を持っていることが豊かなのでしょうか?

人間の体は、それほど大きくはありません。それなのに、人はより多くの物を求めます。

  • 使わない部屋ばかりの大きな家
  • ホテルと海にしか行かない海外旅行
  • 生活の工夫の必要のない食卓
  • 食べきれない大量の食事
  • 時間を潰すための娯楽

食べることが目的でなくなった現代の日本において豊かさの象徴となると上にあげた5つの贅沢だと思います

これを手に入れることが、どうやら豊かであることを表すようです。

本当ですか?

最近生まれた言葉として、ミニマリストというものがあります。これは、生きるために可能な限り最小限の範囲で生きることであり、その考え方です。

①10万円の仕事をして、9万9千円の贅沢をする毎日と、②1万円の仕事をして、9千円の暮らしをするとき、残るお金はどちらも千円です。

ですが、多くの人は①の暮らしを選びたいと思うようです。そして、人々は都市部に集まります。

それが現代社会が与えてくれる、生活であり、労働です。これを豊かと呼んでいます。

ミニマリストであれば、②を選ぶことがあるというくらいです。

お金で何が買えたのか?

「お金で買えないものはない」これは私の祖父が今も言っている言葉ですが、本当でしょうか?

私は豊かな学生時代を手に入れたかったですが、それがかないませんでした、今から、お金で買いたいです

私の母は既にこの世を離れましたが、もう一度一緒に食事くらいしたいので、お金でその時間を買いたいです

私は学生時代の友人たちと別れてから離れ離れになってしまって、ずっと会えていません。疎遠になってしまってなかなか会う機会も持てなくなりました。その時間を買いたいです

私の次男は私の思い通りには成長してくれません。お金で私の思い描くような子供にしてもらいたいです

・・・

実は、お金で買えないものを、いくらでも書くことが可能です。

本当にどうにかしてもらいたい問題程、お金で解決などできません。また、大事なものほど、お金に換算することもできません。

それでは、何が買えたのかを書くと結局は、消費財だけです。

毎日の食事や生活用品を買うことはできますが、本当に大事なものは何一つ買えませんでした。

結局お金で買えるものは、それほど価値のないものだけです。

あなたがお金を手に入れるときに、同時に何がおきているのか?

People at after work at a pub

私達は、労働で、サラリーマンとしてお金を手に入れる人が大半です。この行為は、おそらく、ピラミッドを作るという公共事業の労働と同じではないかと考えています。

さて、そのような労働によってお金を手に入れる時、私たちはには何が起きているのでしょうか?

会社の利益が出て、役員報酬があり、それでいて株主への分配金が出るような範囲で、給与は支払われます。

つまり、あなたが豊かになるよりも先に、社長が、経営幹部が、株主が、そして、税金により国が、地方が豊かになる支払いをした後で、ようやくあなたの手元にお金が渡ってきます。

それが現代の労働です。

あなたが豊かになるよりも先に豊かになる人が多すぎて、永遠にあなたは豊かになりません。

お金は必要なのか?

それでは、お金が必要なのか?と問われたとき私は今、なんと答えるかというと

必要と回答します。

しかし、それは支払いがあるから必要だというだけです。

・家や土地を持っているだけで請求される、固定資産税

・電気代、光熱費、水道代など、生きるために必要なインフラのための支出

・学費

これらの支払いを済ますだけのお金は必要でしょう。しかし、それ以上のぜいたく品やぜいたくな暮らしとなると、果たして必要なのかというといに悩むことになろうかと思います。

そもそも支出とは何か?

国の運営のために必要なのが税金です。彼らが国民一人一人のために働いてくれるならいいですが、そんなことはないようです。

電気代、光熱費、水道代、これらは長期的には安くなってもいいはずですが、経済活動が活発になると費用が増大する性質を持っています。

学校の勉強だけなら、無料かもしれませんが、カバン、制服、給食、塾、などなど、たくさんのものを買うために、お金が掛かってしまいます。

まとめ

資本主義システム下で民主主義国家であり、第2次世界大戦で負けた日本という国に生まれると、生まれた瞬間、もれなく支払わなければならないお金を課されます。

だからこそ、お金を手に入れて、働かなければいけません。

そんなシステムの中で生きていかなければいけません。

それが不幸なのか、幸せなのかは、生きている人々が決めることですが、私自身は、ちょっと抵抗があります。

生まれながら、宗教に染まっている家では、その子供も、その宗教を受け入れます。それと同じようなことが、実際は人間社会で行われています。

お金を支払う必要がなくなった時、あなたは何のために生きたいですか?

その時は、何をしたいですか?

そこが、あなたにとっての生きている本当の意味になってくることは間違いありません。

人生を楽しむコツ ~お金より大切なもの~

2018年11月24日に、私の実の母は天国に旅立ちました。

そこから一週間、親戚だけではなく、生前の母を慕う人達の訪問があり、母の知らなかった一面・学生時代や職場のエピソードを聞く機会もあり、通夜があり、葬式があり、人生の先輩方とたくさんのお話をすることができました。

いろんなことを感じたり、考えたり、泣いたり、いろいろありました。大変有意義な時間が、そこにはありました。

そんな中、今一度、人生に関し、実感として、理解できたことがいくつかありました。

そのことを今回は、書いてみたいと思います。

人生というのは本当にあっけなく終わる
やはりお金に価値はない
大切なものはお金では買えないばかりか、お金で評価できない
どんな人もかけがえのない資産を既に持っている
毎日を楽しもう!

人生というのは本当にあっけなく終わる

人生は50年だとか、平均年齢は76歳だとか、いろいろ言われていますが、個々の人の寿命というのがいつかなんて、自分でも本当にわかりません。

平均寿命が70年超と言われていても、30代や40代で亡くなる人、100歳まで生きれる人、それどころか4歳で亡くなる子供もいて、自分の寿命がどれほどかなんて、実は、だれも知ることなんてできません。

テレビの保険のコマーシャルや年金の話が、食卓の話題にでることが多いので、私達は、平均寿命まで生きれるなんて、思い込んでいますが、果たしてそれが自分に当てはまるのでしょうか?

昨年の11月、多忙な仕事の合間でとれた休暇のつかの間に、私は母と近くの公園の池の周りを一緒に一周散策したのを覚えています(上の写真がその時撮影したものです)。

この写真は、たった1年前のことです。あの時は、私の方が体調が悪く、「CTを明日撮るんだ」なんて言っていたのに、その1年後、先に逝ったのは、母の方でした

本当に信じられません。

やはりお金に価値はない

私の母がガンだとわかり、それがステージ4だとわかったとき、医者にできることは何もありませんでした。いくらお金を積もうが、何もしてあげれることはありませんでした。

治療することができないので入院することすらできませんでした。医療機関は治る病気でなければ、利用することができません。

そんなときに、母の価値ってどれくらいだったのか?と私は野暮なことを考えました。これまでに自分の母親の価値をお金で計算するなんてことは、しようと思ったことすらもありませんでしたが、そんな不謹慎な発想をしていたとき、ふと思い出したことがあります。

それは、

「大事なもの、大切なものは、お金では買えない」

今回の状況は、まさに、その通りだ。母の死で、まさにそれを強く実感しました。

自分の面倒を見てくれる両親、学校で叱ってくれる先生、毎日遊んでくれる友人、何気なく友達になるフレンド、フォロワーさん。

たくさん、たくさん、いろんな人が地球にはいて、偶然の縁があって、毎日があって、何気なく生きている中で、お金に換算することはないのだけれど、とても大切なものが、大事なものが、私達の周りには、たくさん、たくさんあります。

そのことに、改めて気づくことができました。

あたりまえのことは、実は、あたりまえでない。

急にすべてが、奇跡なんだと思えてきました。

子供を産めば、子供には、お金がかかります。けれど、それ以上の価値が、お金で計算できないような、意味が、そこには生まれます。

そうなんです。

そのことを、なんでもお金で計算しようとする現代社会は忘れてしまっています。忘れさせようと洗脳するがごとくです。

やはり、価値があるものは、お金ではないんです。

お金に価値があるなら、母の病気を回復させる方法だってあったはずですが、それは、不可能なことでした。

結局、生命をどうにかすることを、お金ができるわけではありません。医療機関は、助かるものであれば、そもそも助かる命を、いくらかのお金で手厚くサポートができるだけです。

大切なものはお金では買えないばかりか、お金で評価もできない

自分の両親。自分の親戚。学校の先生。仲良く過ごせる仲間、友達。何気ない挨拶。何気ない会話。何気ない人生。

気づけばそこにあるのに、価値なんて考えない当たり前の現実に、存在価値なんて考えもしない。お金に換算しない。それが私達の生活にいつもあります。

仕事に、会社に、生活に、支払いに追われ、経済活動を無理やりにでも実行させられ、経済成長率を毎日のように計算している、現代社会は、どうでもいいお金に翻弄させられすぎています。

資本主義とは、何なのでしょうね?

人を幸福にすることも、不幸にすることもできると思い込んでいる「お金」は、実は、幸せとは異なるベクトルにあるのではないでしょうか?

お金があれば幸せ?

それって、誰があなたに教えたんでしょうか?

お金に、価値があるなんて、誰が、私達に教えたのでしょうか?

本当に大事なものは、お金では買えないのに、誰が、お金が大事だと教えているのでしょうか?

どんな人もかけがえのない資産を既に持っている

・人生
・健康
・両親
・元気、やる気
・家族

大事なのもは、お金では買えない。それが、わかったときに見えてくるのは、本当に大事な、資産です。

そして、それは、結局、最後は、家族なのです。

本当にそうなのです。

私の母は、生前、常に言っていました

・今の社会はおかしい。人を人だと思っていないと。

・女の人を働かせるのはおかしい、子供を親が育てなくてどうすると。働かせ税金をとり、何も教えなくて、社会が狂うのは当然だ。

・男女という区別があるのに、男女を平等なんてなるはずはない。そもそも役割が違うのだと。

人生で大事なものは何か、本当は私達自信が、もっとよく理解し、考えるべきなのです。世間に騙されて、社会の奴隷にはなってはいけないのです。

毎日を楽しもう!

人生はいつ終わるかわからない、そんなことみーんな知ってます。生まれた時から、死に向かって続くのが人生というものです。

何度も書きますが、そーんなこと、みんな知ってます。よね。

けれど、目の前にある、仕事、退屈な作業、つまらない現場、そんなことで、毎日を、どこか浪費しちゃいがちです。

でも、そんなの、やめちゃったっていいんです。人生今日終わるかもしれないなら、退屈なことはやめちゃいませんか?

つまんないことをやってるなぁって感じるなら、辞めちゃって他のことを探した方が、前向きなんです。

今は、いろんなことができる社会になりました。つまらな仕事は、つまらない仕事をロボットにまかせようと頑張っている人たちがいるから、いずれあなたがやる必要は、なくなっちゃいます。

つまらないこと、たいくつなこと、やりたくないことで、今日を過ごしているなら、そんなの、すぐに辞めてしまいましょう!

何でも可能性がある、それは、今だからではなく、人類がこの世に誕生したときから、可能性は常にあるんです。

空を飛べるようになったり、宇宙にいくことができるようになったり、インターネットで知らない人と友達になったり、出会ったり、結婚したり!

いろーんなことが、既にできるようになっているんです。

できないことなんて、ないんです!

あなたが変わろうと思えば、世界は一瞬にして変わります。

疑ってますか?

疑ってたら、何もできません。できることを知ってください。

やろうと思えば、なんでもできる。元気があれば、なんでもできる。

そして、何かを捨てれば、何かが手に入ることを知ってください。

これは楽しいと思ったこと、やりたいと思ったこと、絶対楽しいはずと思ったこと、それは絶対にやるべきです。

人生はお金にコントロールされるべきではありません。

やったらやったことに対する知識、経験が手に入ります。知識と経験が手に入れば、それを人に伝えることができる。そして、それを人に伝えることだって、仕事になるんです。

あなたが経験したこと、それが、人類にとって有意義であること、それをうまく伝えることが、人類にとって有意義であること、それを理解してください。

大学教授じゃなくたって、ジャーナリストじゃなくたって、ただの一般人だって、あなたにしか経験できないことはたくさんあります。

あなたしか楽しみをみいだせないことたくさんあります。

誰かの意見や教科書、先輩や世間に言われるがままの世界ではなく、あなたが創り上げた本当の世界に、足を進めてみましょう!

きっと、世界がどれだけ楽しい場所だったかを再認識できるはずです!

さぁ、心の扉を開いてください!

なぜ!?男たちはテレビゲームにハマるのか?

ファミコン
スーパーファミコン
メガドライブ
セガサターン
プレイステーション
3DS
Nintendo Switch
・・・

昭和以降、数々のゲーム機が日本では販売されてきました。

ゲームが出来たばかりの時代、テレビゲームは、子供がターゲットの娯楽だったわけですが、その子供達が成長し大人になると、今度はその大人たちとその子供たちがゲームに夢中になり、さらには、おじいちゃん、お父さん、孫までと、家族全員が、テレビゲームをやるという時代が、まもなく来ようとしています。

日本全国どこの男の子も、大人も時間があればテレビゲームをやっているということは、今後少なくない現象にすでになっていると思います。

2000年以降は、オンラインゲームなどの発達もあり、ネット上で知り合った人が一緒にゲームをするということも増えました。

現代では、スマホでもできるゲームが爆発的に増えており、日本全国、否、世界的にゲームにハマる大人たちは増え続けています。

ではなぜ、これほどまでに、男たちはゲームを求めるのかを、今回は考えてみたいと思います。

 現代社会における男の役割とは
男女平等がもたらした男の悲劇
男にとってゲームとは
現実にはない疑似空間に夢とロマンを求めている

社会における男の役割とは?

・力仕事をする
・家庭の大黒柱になる
・家訓を伝える、守る
・暴力から女性を守る
・家族を守る、子供を育てる
・女性に精子を提供する

ざっと男の役割として挙げられるものを上げてみますが、これを見ると既に、現代社会では、不要となっている役割があることが見えてきます。

力仕事をする

既に力仕事は、機械やロボットのサポートにより女性でもできる仕事になりました。トラック運転手や大工など、昔は女性が就職することはありえなかった業種でも、女性が進出することができています。

家庭の大黒柱になる

これも昭和時代で終わってしまった、男の概念です。現代では、共働きは当たり前ですし、そもそも家庭を持たない人も増えてしまっています。男だから家族の大黒柱として、家を支えるという概念はもはやありません。

家訓を伝える・守る

先祖代々続く家庭では、ご先祖様から続く家訓なるものがあることもありましたが、それが機能している家庭というのは、ほぼなくなってしまったのではないでしょうか。社会が大きく変わり、これまでの時代では考えられなかったことが、可能になり、家訓などが時代遅れとなっていることもしばしばでしょう。

時には、家訓が通用しないことも増えているのではないでしょうか。

暴力から女性を守る

女性を暴力から守るのは男の役割とは言いますが、実は強い女性も多く、男性だからの役割ということもなくなっています。また、警察のような組織であったり、アルソックのような警備会社も発達したことで、暴力から女性を守るのは、男性というよりも、プロということになりつつあると感じます。

家族を守る、子供を育てる

既に、書いている通り、家族を守ることは男性ではなくともできます。また、子供を育てることは、女性の方が歴史があります。

そのため、これは男性だからという役割でなくなりつつあります。

女性に精子を提供する

これだけは絶対に女性に変わることのできない、男性の役割は、子種の提供です。さすがに、これだけが、男しかできないものというのが現代の社会です。

つまり、男性という立場での役割がこの世界からなくなってしまっているんです。

男女平等がもたらした男の悲劇

昭和の時代まではあった、先ほどの男性の役割というものは、平成も終わるという今となっては、ほとんどなくなっているのです。

これは急激に起きたということではなく、徐々にそうなったということになります。女性の権利を主張し、女性が社会進出することが当たり前になりました。

これは結果的に、社会における男の役割と女の役割を等しいものにするものとなりました。

その結果、男がそれまで培ってきた社会の役割も、失うことになりました。

女性が社会進出をするということは、家庭におけるしつけや、家族間の結びつきを同時に、薄いものにしたことも、結果から見えてきています。

男だから、どうこうということは、なくなってしまいました。

男にとってゲームとは

これまで述べてきたことを理解すれば、見えてくるかと思いますが、男性はこの世界での役割を失ってしまいました、筋肉、力、そして、戦い。

平和な時代では、本来男が担っていた役割というものは、まったく不要となります。

しかし、歴史を見ればわかる通り、人間の歴史には、戦争がつきものです。

男というものは、本来戦いを好む生き物でした。しかし、平和な世の中では、その力は無用な暴力として、去勢されてしまいます。

その結果、その平和な世界の暴力のはけ口として向かうのが、テレビゲームという姿が見えてきます。

女性から見たら、馬鹿げたことに熱くなってとなりますが、それは平和な時代だからこそです。今も戦場が残る地域では、必ず男は、勇敢に戦うことが女性から望まれているはずなのです。

現実にはない疑似空間に夢とロマンを求めている

戦争なんてやってはいけません。戦争が生み出すのは、憎しみと悲劇であり、その憎しみは、国家間の憎しみとなって、永遠に続くことになってしまいます。

そんなことは、100も男性は承知なのです。

しかし、それでは、男性というのは満たされないのです。歴的に見れば、争いをすることが当たり前だったし、スポーツをするのも、ギャンブルをするのも、仕事をするのも、つねに、勝負事に熱くなってしまうのは、男性の方です。

そんな遺伝子があるからこそ、国家の危機の時には、力を発揮し、国や家族を守るという行動に出れるのです。

しかし、それがない、平和な時代においては、その力は不要となってしまいます。そのため、多くの男性は、どこか満足せず、生きることになってしまうのでしょう。

だからこそ、ゲームなのです。

ゲームの中では、戦争をすることもできます。人を殺したとしても、それはゲームの中ですから、問題にはなりません。現実社会でそれをやってしまったら、極悪人として、メディアに登場する最悪の事態になってしまいますが、仮想現実であるゲームの中でそれを行っている限りは、問題になりません。

いかがでしたでしょうか。おそらく、男性にとっては、当たり前のこの認識は、女性からみると、へぇ~という感じになるのかもしれません。

男性は平和な社会では、子育てを女性と共にすることもできますが、戦乱の世では子育てなどする暇もありません。

どれだけ、今の平和がよいことなのだけれども、異常で、だからこそゲームをやるという姿。

見えてきたかと思います。

最後まで、読んでいただき誠にありがとうございました。

なぜ!?人はあまり歩かなくなったのか?

先週の土曜日の話なのですが、約7キロメートルを歩きまして、片道、約1時間30分ほどかけて上野に行きました。

片道1時間30分なので、往復で3時間ほど、合計約15キロメートルの距離を一日で歩くことになりました。

久しぶりの長距離の徒歩でした。

さて、そんなウォーキングというか、徒歩のお話なのですが、

職場やテレビの街の人の声を聴いていると、次のような願望のような会話ってよく耳にしますよね。

・運動不足なんだよね
・ダイエット中でー
・痩せたい
・健康になりたい
・スリムになりたい
・食べ過ぎちゃたぁ
・ジム行こう
・運動のためにサイクリングする

つまりは、ダイエットや健康のために気をつけたいということなのですが、こういった会話を聞いていて、いつも私は思うことがあります。

それは・・・

ダイエットしたい、運動したいと言うわりには、電車やバス・車での移動を選んでるし、座ってスマホを操作していることが多くないですか?

歩いて移動したら、もっと効果的に健康になれると思いますよ

ということです。

そこで、どうして人は歩かなくなったのか?ということが気になりましたので、今回はそれについて考えてみました。

そもそも人は、なぜ歩かないのか?

人がどうして歩かないのかを考え出すと、いろいろと浮かんでくることは当然あります。

・徒歩だと移動時間が遅い
・通勤や通学には電車があたりまえ
・目的地まで徒歩でいける移動距離ではない
・疲れ切っていた歩けない
・歩きたくない…

移動時間が遅い

これはもっともな理由の一つですが、徒歩は自転車と比べても、電車と比べても、車やバイクと比べても、スピードが遅く、車なら5分の道も、人が歩いたら30分~1時間かかってしまうなど、遅いです。

時間を大事にするので、徒歩を選ばないという考え方は利にかなっています。

通勤や遠方の学校の通学には電車あるいはバスがあたりまえ

学校や学校の通学に関して、徒歩移動が可能な場合は徒歩ですが、基本的には公共交通機関の利用します。特に会社などの通勤には、電車を利用することを前提に交通費の支給があります。

そもそも、都心などでは通勤は電車で通うことが前提になっているのですが、これを徒歩にされたら大変ですね。

目的地まで徒歩でいける移動距離ではない

移動時間が遅いと同じような話ですが、朝の9時に会社に到着しなくてはいけないその会社までの距離が電車だと1時間だけれども、徒歩では3時間以上かかる。

そのような場合に行くのに、徒歩という選択肢は当然ないとは言えます。

では、いつから、歩かなくなったのか?

飛脚という制度が江戸時代にはあったわけですが。

車が普及したのは戦後です。また、電車が広まったのも戦後とされています。となると、人が歩かなくなった理由には、電車や車の普及によるところが大きいとなります。

また、自転車の発達もその理由の一つにはなるかもしれません。

しかし、それ以前には、そもそも人は長距離を移動したのでしょうか?

日本のあちこちに、分家のような神社や、富士山の形を模したような山、また、お土産など、遠くに行くことが、珍しいことだったために、残る施設や風習が残っています。

それを考えると、昔の人はそれほど多くの距離を移動しなかったと想像することもできますね。

そう考えると、そもそも遠くまで移動することはなかったというスタイルが見えてきます。

また、田畑の野良作業も当然昔は多かったはずで、歩くよりも大変な作業を毎日やっていたと言えるでしょう。

もしかしたら、昔からそれほど長くは毎日、歩かなかったのかもしれません。

どのようなシーンなら人は歩くのか?

・観光地
・乗り換え
・自宅から駅まで
・近所の買い物

基本的に歩かなくなった現代人ですが、どのような場合は、積極的に歩くのでしょうか?

観光地における街での移動は確実に歩きますね。また、自宅から駅まで、駅から駅までの乗り換え、近所の買い物も徒歩となりますよね。

すると感覚的なものになりますが、5分から長くても30分くらいの距離だったら人は徒歩を選ぶ可能性があるとも言えます。

そもそも人は5分から30分くらいしか移動しなかったのではないか?

有名な松尾芭蕉のように歴史上の人物は、徒歩で各地を移動していましたが、その道すじをたどると、あちこちにその足跡があるように私は感じています。

そうなると、そのような旅をする人であっても、今のような長距離を一気に移動するということはできなかったと予想できます。

馬やろばなどの移動手段は、あったと思いますが、一部の人しか利用できなかったことも予想できます。

まぁ、そんな様子を考えると、当時の一般的な人であれ、長距離を移動するということはあまりなく、歩いても5分~30分というのは、昔から変わっていないような気がしてきます。

肥満の原因は?

これまで書いてきたことから総合的に考えると、肥満の原因は、やはりそもそもの運動不足、労働不足であることが見えてきます。

昔の仕事は、体力勝負だったのに、いつしか、事務作業がメインになってしまった昨今です。

また、テレビを見たりゲームをやったりする時間も増えてしまいました。

そもそも動いていないのですから、気を許すと肥満になるのは当然とも言えます。

できるウォーキングをやろう

歴史的に見ても、歩くということは、長時間ではなかった、また、現代社会で太る原因は、労働内容であるということが見えてきました。

そうなると、毎日の生活の中で、少しでも時間を作ってジムに通う、ウォーキングするというのは、贅沢な悩みであることがわかります。

もともとは日々の労働で、疲れ果て、栄養のある食事もとることができなかった時代が長かったのが、江戸時代ごろまでは普通でしょうから、今のように画面を見ながら、余暇を楽しむというのは、誠に贅沢な悩みであります。

冒頭に書かせていただいた通り、歩くということで、脂肪燃焼をするのであれば、10分以上の運動が必要というのは、昔から言われてきましたから、30分程度の徒歩を毎日行うことは良いことだと思います。

となると、自宅から最寄りの駅あるいは、会社から最寄り駅など、歩いて30分程度かかる距離の駅までは歩くということを習慣的に行うことが効果的ではないかという気がします。

「いやぁ、毎日の30分は超貴重だよ」と言う人は、ブラック企業にお勤めか、やはりそれでも、歩くダイエットはしたくないということかと思いますが、歩くということは、無料ですし、それでいて脂肪燃焼効果もあるわけですから、朝の通勤・通学、および帰りの通勤・通学をその時間に当てるというのは、十分にウォーキングに効果のでる活動かとおもいます。

よろしければお試しください。

道の駅 ららん藤岡でファミリーダイニング『らん蘭』の「すきやき」をいただく

家族であちこちにお出かけするとみんな寄るであろう大人気の「道の駅」

ひと昔前は、昭和世代にはおなじみの「ドライブイン」という名前の場所が、選ばれていたのですが、今やそのキーワードは死語。長期的に利用されてきた言葉かつ施設であったため、言葉と共にその施設も人気がうすれていますよね

※死語すら死語かもしれませんね・・・

そこで今は道の駅が、みなさん大好きな場所へと変貌してますね。最近では、流行りの車中泊なども行われたりするようになっていましたが、駐車場でBBQをやるような常識を超えた使い方をする人まで出て、あちこちの道の駅で、車中泊は禁止の話がでてきているようですが…

さて、そんな道の駅。

今回訪れたのは、群馬県藤岡市にある「ららん藤岡」です

場所

関東地方での位置としては、こんな場所です。軽井沢から東のあたり、埼玉県の秩父市よりも北に位置しています。

この「道の駅 ららん藤岡」は関越自動車道から上信越自動車道に入ってちょっと行ったところにあります。

最初は、サービスエリアに併設なのかなぁとおもっていたのですが、そんなことはなく、インターチェンジから降りて利用する施設でした。

この藤岡市は、観光スポットとして有名なところはあまりないので、高速道路から降りるというのはあまりないきもしますが、この後私達も言った、冬のさくらのある「桜山公園」など、新しいスポットが出てきていますので、今後に期待する、地域かなぁと思います。

ららん藤岡の感想

道の駅としては、とても大きい施設でした。施設を彩る装飾もいろいろあり、ちょっとした観覧車もあるので、華やかに感じられると思います。

クリスマスが近いこともあり、イルミネーションが設置されていました。

今回は、メインの農協の直売所、ラスクのお店。

そして、お肉のお店「肉の駅」、で食材を大量に買いに来ました。

商品の価格に関して

道の駅で売られていた、野菜、肉のお値段に関してですが、これは現地価格で提供されているようでした。私の自宅のそばには、業者向けの激安で有名な問屋兼スーパーがあるのですが、そこの価格に拮抗する価格付けがされていました。

これなら、休日の小旅行がてら、買い物をするというのに積極的に利用できると思います。

キャベツやはくさいの葉物も、良い状態のものが現地価格で提供されており、大満足でした。

ランチを利用しました

そして、ファミリーダイニング『らん蘭』さんを利用いたしました。

すき焼きのお値段は、1500円でしたね。御飯とお味噌汁と、ブルーベリーソースのかかったヨーグルトが付いてました。生卵とおしんこもあります。

ガスのカセットコンロ付きで、現地の牛をつかったすき焼きで、1500円ですからね。これは、コストパフォーマンスとしては、かなり良いと思います。

近所のすき焼き店は、少なくとも5000円以上ですから、それと比較するとランチとしては満足するものでした。

私はちょっとだけもらったのですが、連れがビーフシチューを注文しており、そちらのほうが、感動モノでした。

写真はとり忘れましたが、まさに、牛のビーフシチューである、濃厚な旨味がありました。すきやきはちょっとという方には、ビーフシチューがおすすめだとかんじました。

訪問日時

2018/11/18 日曜日の午前9:30頃~午後12:00頃

混雑の状況

週末の日曜日、紅葉のシーズンの中盤でもあり、混雑を予想して、朝の9時を目指して向かいましたが、到着したのは9時30分。渋滞に捕まることはなかったのですが、混雑はしていました。

10時からオープンかとおもっていますが、JAの直売所、お肉のお店、などなど、飲食店以外は、朝の9時からやっているところが多かったので、9時30分に着いた時点で、7割の駐車場は既に埋まっている状態でした。

歯磨きをされている方もいたので、車中泊をされていたのかもしれません。なので、車で行かれる際には、少し並んだりということがあるかもしれませんね。

また、この日は、ファミリーダイニング『らん蘭』の隣にある、無料の飲食スペースが、バスの団体さんに利用されていたりして、スペースに余裕はない状況もありました。

午前中の11時くらいから、こんな感じですので、やはり人気がありますから、休日に行く際は混雑を想定された方がよいとおもいます。

まとめ

あまり行かない道の駅を探して、みつけた「ららん藤岡」。これまで、たくさんの道の駅をいっていますが、野菜の価格が非常にリーズナブルなのはおどろきでした。

こんな記事を書いてしまって、メジャーな存在になり、お値段が高騰するのは嫌ですが、とても良い道の駅なので、本日は記事にさせていただきました。

「桜山公園」の紅葉や冬の桜は、これからですから、来週以降も楽しめる場所になると思います。

奥秩父の紅葉

奥秩父の紅葉を楽しみに秩父に行ってきました。

昔私達がキャンプが今ほどブームになる前によく行っていた、秩父。日帰りでも十分楽しめる場所でもあります。

私にとって、秩父と言えば、キャンプとか長瀞の川下りのイメージしかなかったのですが、紅葉もすばらしい場所であるということで、今回は行ってまいりました。

道の駅大滝温泉

高速道路を使って奥秩父に行くとき、最初に立ち寄るのは道の駅「大滝温泉」という方が多いのではないでしょうか。

私達も今回の奥秩父の旅で、最初に立ち寄ったのは「大滝温泉」でした。

ここにはセルフサービスの飲食店があります、さっそく、ダムカレーうどんをいただきました。

特産品売り場では、道の駅といえば定番ということで、特産品が売られていました。この日気になったのは、「そば」と「はちみつ」でしたね。

はちみつは、900円~なので、いいお値段していました。

そして、なぜかここで買った「コッペパン」が想定外においしかったのです。また、買いたいですね。

そんな道の駅「大滝温泉」ですが、すでにここから紅葉をみることができました。

ついて早々に、川と木々の紅葉が美しく、奥秩父の入り口から目を楽しませてくれました。

滝沢ダム

道の駅大滝温泉を後にした私たちは、2000年以降にできた割と新しいダムである、滝沢ダムに行きました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E6%B2%A2%E3%83%80%E3%83%A0

ダムというと、そこに住んでいた住民の方と、行政との対立が常にあって、ポジティブな話ばかりではありませんが、出来上がってしまったダムは、楽しむしかありません。

そんなちょっとセンチな気分にはなりますが、ダムからの景色を堪能しました。

駐車場の入り口からもみじが鮮やかです。

キャラクターがあるようですね。

ダムの上流ですね。木々の小枝が多数浮いているものの、きれいなエメラルドグリーンが広がっていました。

ダムから下流を眺めると、まさにダムっぽい景色が広がっています。

ダムの上からの景色は、写真ではわかりにくいですが、恐怖を感じますね。高所恐怖所ほどではないですが、ダムからの眺めは、やや怖いです。

滝沢ダムには、どのダムにもあるようにエレベーターが設置されていました。

既に11月。温かい秋ではありましたが、ダム内の通路は肌寒かったです。

そんな通路を通ってB2階にいくと、地上に出られます。

あざやかな紅葉がお出迎えをしてくれました。

滝沢ダムの放流する場所の下にある、巨大な池のような場所です。

水の色がエメラルドグリーンです。

水質はそれほど悪くないのか、ニジマスと思われる魚が多数表層を泳いでました。

一応、上の写真でも写ってはいます。

2008年以降に竣工したダムなので、ダムの外壁も比較的綺麗に感じました。

こうやってみるとやはり巨大です。

進撃の巨人の壁を想像してしまいます。

先ほどの、巨大な池より先にはつり橋がありまして、底からの眺めが上の写真になります。

本当に水が綺麗でした。

ダムと紅葉をうまく組み合わせられないかと、ちょっと構図を考えて撮った写真がこちら。

フェンスが入ってしまって、あまりよくないかもしれませんが、まぁまぁかなと自己満足してます。

眺めてたらまた行きたくなりました。

アリオ亀有にある「長田本庄軒」の「ぼっかけ焼きそば定食」をペロリしました

アリオ亀有というと、葛飾区にある大型ショッピングモールですね。セブン系です。

ここには、「長田本庄軒」という珍しいお店が入っていまして、私のお気に入りのお店となっています。

このお店は注文してから、焼きそばを焼くスタイルなので、かなりおいしい焼きそばをいただけます。

また、麺も自家製麺なので、よくある屋台の焼きそばとはかなり違いがあります。

から揚げも、混雑時は作り置きがありますが、空いているときは、注文してから作ってくれます。

トッピングは無料で、かけ放題です。

ぼっかけ焼きそば定食をいただきました

知ってました!? お台場にあるミュージアム「リスーピア」に行ってきました


自然に潜む算数や数学の美しさ。
身近なくらしの中にある理科の面白さ。

「リスーピア」は、理数の魅力と触れあうための体感型ミュージアムです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/center/tokyo/risupia.html


先日、お台場にある、一応勉強系のミュージアムである「リスーピア」に行ってきました。

私たち家族は、科学未来館は、知っていたのですが、それ以外にも、お台場にミュージアムがあるとは知りませんでした。

スリーピアの場所

スリーピアは、お台場の国際展示場駅からおりてすぐの場所にあります。いわゆるお台場のゆりかもめを、新橋から乗ると、遠い位置にある駅なので、行きにくいかもしれません。

けれども、高速道路を使えば、それほど不便ではない場所です。

首都高を使って車で移動

今回は、お台場ということで、自宅から渋滞がなければ30分です。なので、渋滞がないこと願って、高速で行きます。

が千葉方面(ディズニーリゾート等)の渋滞に巻き込まれました。30分で行けるところ、1時間かかりました。

スリーピアの駐車場

スリーピアは、あまり知名度がないのか、土曜日だというのに車でいくことができました。駐車スペースは無料で、30台くらい止められます。

3時間を目安に利用できます。超過料金も現時点では、いただいていなそうです。

ただ、入り口は、ちょっとわかりにくいです。私は迷いました。わかりやすい看板みたいなものはありません。上の写真が、駐車場の誘導を示す看板なので、車でいくさいは確認ください。

スリーピアはパナソニックのショールームと併設

スリーピアは、博物館=ミュージアムとしている存在ではなく、大手企業であるパナソニックのショールームとして位置づけられているようでした。

そのためスリーピアの1Fは、パナソニックのショールームとなっていました。

子供たちが喜ぶ施設

リスーピアには、なぜか任天堂のマリオの看板が合って、今人気のニンテンドースィッチがプレイできるブースが用意されています。

ミュージアムとしていくのですが、結局は、子供はこれをやりたがります。

また、2Fにはゲームデザインの勉強スペースがあり、これについては、お勉強系の問題を解くものでした。

始めて、理数を意識できました。

3Fの展示

目玉となる展示スペースは3Fで、ここは間違いなくミュージアムでした。

ゲーム形式の展示

いかにも博物館らしい、オブジェクト

むすび

この日の前日、中学生の息子が、学校の「遠足」で、このリスーピアに訪問したそうですが、団体だと、ほとんどの展示物を見る時間がもらえずに、消化不良だったそうです。

なので、入館料も大人だけ、高速道路でいける、駐車場も無料という3点がそろったので、翌日の土曜日に息子はもう一度、このスリーピアを訪れることになりました。

科学未来館のような巨大なミュージアムを想像すると、まったくもって、規模が小さく、物足りなくなりますが、ゲームが遊べるという子供たちにとっては、魅力的なコンテンツがあるのが「リスーピア」です。

大人からみると、明らかに科学未来館がいいと思いますが、

・あまり混んでいないところがいい
・任天堂スィッチで遊んでみたい
・パナソニックの最新商品を知りたい

など、ある程度、わりきったミュージアムでもいいというのであれば、リスーピアはありかなぁと思いました。

展示されているものは、どうしても、文字を読まないと楽しめないので、小学生といっても、高学年くらいからじゃないと、楽しめない気がします。

当日は、高校生のグループも遠足できていたようで、3Fの展示コーナーでゲームに夢中になっている学生さんを見かけました。

一度は、いったほうがいい「ミュージアム」だと、思います。

足立区のオットセーが火事でヘリコプターがうるさいです

今日の記事第一弾ですが

足立区の梅田の火事ということで、騒がしかったのでメモ

今も、レスキューのサイレンが響いてるし、ずっとヘリコプターも飛んでます。

あそこは、学生服のお店ですが、最近ずっとシャッターがおりてたの建物は取り壊して、生まれ変わろうとしていたところなので、事件なのか、単純な不注意なのか、ちょっと気にはなります。

新しいことの創造 無価値からから価値を産むこと

この世界で創り出されるものは、すべて最初は価値がないところから始まります。

常に始まりは、無価値です。

そこから価値が生まれ、成長し、大いなる富を得られるようになれ、役目が終われば崩壊します。

この流れは、どなたでも知っているプロセスだと思います。

なぜなら、植物を見れば、誰もが、このプロセスについては、理解できるとおもうからです。

種をまく⇒発芽する⇒成長する⇒実る⇒朽ちる

これを知ると、新しいことは、利益を得るまでに、長い時間がかかることもわかってきます。

そのため、種をまいて新しいことをやるよりは、既に出来上がったものに参加したり、引き継いだほうが、経済的かつ合理的だと判断されて、実りだけをフォーカスして生きる生き方を選びがちです。

ちょっと、話がよくつかめないでしょうか?

どういったことを書いているかというと、新しく事業を始める、会社を立ち上げたり、新しい遊びを考えたり、新し何かを創るよりも、そこにある出来上がったもの、創られたものに、参加したり、引き継いだりするということを、皆さんはやられるので、それいいのか?

ということを疑問視させていただいています。

皆さんは、新しく何かを創るということを、そもそも考えていないですか?

という問いかけであります。

これについて今回書いた理由。それは、誰もが、何か創りたいものがあるのではないかと、私が思うからです。

この世界に生まれて来たのに理由がないという人が多くいますが、理由がないのには、私も同意する部分はあります。

しかし、生まれる条件がそろっていたことは間違いがないのです。

生まれたからには、何か目的をもって生きていいいはずなのです。

なので、誰もが何かを創りたいという思いがあるのではないかと考えているのです。

人間の体には無数の細胞組織があり、様々な器官が作られています。そして、人間の体の中にはたくさんの微生物がいます。

これは地球と人間の関係に似ている気がします。地球という巨大な生命体があり、そこに人間という生き物が住んでいる。

微生物は何かしら地球のために活動をしている

そう考えることもできます。

それと同じことが宇宙規模で行われていても不思議ではないと私は感じています。

生まれる条件がそろっていたからこそ生まれた、であれば、何をやっても自由だし、その中で、できることはやってもいいはずなのです。

そして、それが生き様でもあります。

だとすれば、すべての人が、創造を行ってもいいはずなのです。

そこで、そんな創造をするという方のために、お伝えしたいことがありいくつか心構えを書いてみたいと思います。

私は、学生時代に、ある挑戦をしました。結果的には、それは上手くいかなかったように見えたのですが、後になってそれが、上手くいかなかったわけではなかったことに気づくことがありました。

それが、この文章を書くにいたった原点でもあります。

・あきらめることは過去の否定
・次のことも最初からやり直し
・価値が生まれるまで時間がかかる
・神様は自分自身の中にある
・創造することの価値は、あの世にも通じる

あきらめることは過去の否定

大丈夫です、あなたがやったことは何かにつながります。今はわからいかもしれませんが、点と点が結びつく瞬間があります。

次のことも最初からやり直し

新しいことは、常に最初からのやり直しになります

今やっていることを、継続するのか、一から新しいことをやれる覚悟があるのか、で判断すべきです。

価値が生まれるまで時間がかかる

冒頭でも書いた通り、価値が生まれるのには、時間がかかります。長期にわたって継続して、成長させる必要があります。

神様は自分自身の中にある

創造主は自分の中にいます。疑いの気持ちがあっても信じて生きれば、答えは見えてきます。

創造することの価値は、あの世にも通じる

死んだら何もないという人もいれば、生まれ変わりがあるという考えもあります。

その意志とはなにか?それすらも答えはありません。