30代前半で年収1000万の高給取りサラリーマン生活を辞めるに至った理由を書いてみる

私は、今を思い返せば、30代前半で1000万円の年収をはじき出していました。

年収1000万円を30代前半でいただくというのは、やはりエリートサラリーマンなんだと思います。

会社を辞めてしまった、今となっては、そうだったなぁと今は思います。

ちなみに今日は、退職して1営業日です。

話を昔に戻しましょう。

私の生活はかつて、仕事の残業は当たり前。週末は、仕事もしくは、収入を増やすための投資の勉強。

それがすべてでした。何年もそうだった気がします。ですが、それが嫌になったのは、やはり年収1000万円を超えた頃。

自分の時間がないんですね。

特に、自分の心と向き合う時間がなかったんです。

お金を稼ぐ=欲望と向き合う時間はありましたが。

子供の頃からやってたTVゲームなどは、30代前半の頃にはまったくやってませんでした。

当時の私は、週末に子供のお世話をすることは、少しはあっても、ほとんどは、仕事のことで頭がいっぱいでした。

そう思えるエピソードがあります。最近、部屋の片づけをしていて、ずいぶんとたくさんのおもちゃや写真などを見ているのですが、子供が使っていたと思うおもちゃがあっても、そのころ一緒に遊んだ思い出が一つも残ってないんです。(なんか言われて、買った記憶はあるのですが。)

写真はあっても、そのとき子供と接してた記憶がないんです。

おそらくは、奥さんと一緒におもちゃも使っていたんだろうと思うんですが、全くと言っていいほど、私が子供と一緒に遊んだ記憶がなかったんです。

そこで、気づきました。

あの頃は、まったく、子供と向き合っていなかったんだなぁと。

本当に「子供と遊んでなかったな、なんてひどい親だったんだろう」と、大きなショックでした。

それはそうです。

月曜日から金曜日は、仕事一色です。家は、寝るためだけに帰ってきていました。

酷い時には、2年間も、土曜日や日曜日も仕事でした。

約1年、岡山県に単身赴任状態のときもありました。

朝5時に起きて毎週、名古屋へ出張なんていうのもありました。

ただし、その代わり、給料は膨大でした。なんでも好きなものは買えました

自分の時間を売って稼いでいる。そんな感覚が、その時は、確かにありました。

ただ、その中で、気づいたのでしょうね。

このままじゃいけないと。

・自分らしく生きていない
・自分らしい生活をしていない
・家族を大事にしていない
×お金だけを大事に生きている

そんな偽りの生き方、ただお金のためだけに働くロボットになってしまった自分がいることに気づいたのでした。

それでいいわけありません。何かするために、何かを達成するために生まれて来たと、俺の心は言っている

何もしなくていいわけないじゃないか?これまで、何かできたっけ?
やりたいこと、やれてるんだっけ?
家族って何だっけ?ただの支出?=負債?

自分と問いかける日々が続いていました。年収1000万円の裏に。

それを誤魔化すために、旅行に行ったり、高級な車、食事、遊び、やりました。

けれど、心がどこか満たされない。まったく満たされないし、嘘をついているんです。

だって、そもそもお金を出して買えるものは、欲しいものではないんです。高いお金を出したところで、欲しいものは、それじゃないんです。

自分の生き方を欲していたんです。

そんなときでした、偏頭痛が始まったのは。。。

今思えば、自分の心の痛みだったのだと、確信しています。

ストレスとは、自分が本来やらなきゃいけないこと、やるべきことから離れて、命令に従い、お金のために働くと、生まれるものだと、今は思っています。

心を否定するから、ストレスが生まれるんです。

心は、もう疲れた、帰ろう、家族を放っておいていいの?と言っているに

現実には、

「大丈夫です!まだまだ、仕事やれますよ!ぜひ、やらせてください!!」

これが、ロボットの生き方でした。

それからしばらくして、私はうつ病になりました。偏頭痛持ちになりました。これらは、自分を偽って生きたことの証拠ですそして、それがなければ、偽りの生活を今も続けていたことでしょう。

だから、うつや病気は、そんな生活から、変わりなさいという、合図であったのだと今は思っています。

今回の退職の確定には、実は、母親の末期がんが絡んでいます。おまけに、父親の腫瘍の手術も絡んでいます。(昨日は、父親の手術に立ち会いました。私は自分の誕生日だったというのに)

夫婦円満仲良く老後を過ごしていた、両親が、この1年のうちにもろくも崩壊しました。

どんなにお金があっても、時間は取り戻せません。大事な家族、健康も取り戻せません。

お金を「ある程度」生きるために手に入れるのは、問題ありませんが、生活をなくしてまでも、働くことは、やっちゃいけないと、今の私は気づいています。

このブログを読んでいる皆さまに、お伝えしたいことは、何が大事か、心は何を望んでいるか。(欲望ではありません。)本当に心に問いかけ、やらなければいけないということが見えた時、それは、変わる時なのだと、私は思います。

私は既に変わりました、やらなければいけないことが、たくさんみえています。

お金になるかはわかりません。

けれど、心の為には必ずなります。

心に従って生き、家族とともに歩みたい。何よりも人と人としてかかわりたい。ビジネスではなく。

それが、今回の退職の理由でした。

もしも、今悩んでいる方が、おりましたら。何かの参考になれば幸いです。

迷ったときは、落ち着いて、心に問いかけてください。答えは、決まっているはずです。

自営業になる場合に誰もが不安な退職後の手続きについて

皆さん、こんにちは

このページに訪れたということは、自由な生き方を求めている方でしょうね 私も、その途中の段階でこれを書いていますが、参考になれば、幸いです。

今日は、サラリーマンを退職してフリーあるいは自営業になる場合に不安になる、退職後の手続きについて書いておこうと思います。

私の場合は、サラリーマン生活が長く16年もありましたので、自営業を目指す場合、不安しかありませんでした。しかし、16年働いてきたということは、多くの税金も納めたわけですし、雇用保険料も支払い、その他社会貢献をしてきたということなので、それほど社会は冷たくは扱いませんので、結果的に心配は不要でした。

退職後に、すぐ次の会社に就職しない(できない)場合、必要となる手続きは、主に次のようなものがあります

・健康保険
・年金
・雇用保険

健康保険

健康保険については、国民健康保険に加入する場合と、家族の扶養に入り家族が加入している健康保険に入ることの2択が可能です。

私の場合は、自営業もしくはフリーランスをやるにしても、開始できる状態にないこと、また、準備期間が必要になります。そのため、すぐに収入を得ることができず事実上「無職」になりますので、家族の扶養に入ることにしました。

また、年収が130万円以下とならないと扶養にはなれないのですが、これまでの年収ではなく、今後の年収で評価されるため、問題なく申請できることがわかりました。

年金

主に、結婚すると家庭に入る女性を考慮して存在してきた、国民年金の「第3号被保険者」になることが、夫の場合も可能なようです。

第2号被保険者(厚生年金)から第3号被保険者への手続きは、家族の働いている会社の事業主が行うものなのですが、こちらも、扶養に入るということは、第3号被保険者に該当するため、事業主が提出する書類となっています。

当初は、自分で払わないといけないのではないか?と思っていたのですが、どうやら、収入の条件を満たせば、「第3号被保険者」となれるようです。

雇用保険

雇用保険については、現在手続きについては、調査中です。

自営業をやる、フリーランスをやるんだ、という強い意志があるので、正直なところ、「申請しないで、気合を入れよう」という思いもあったのですが、順調にいくとは限らないので、家族のためにも申請だけはするつもりでおります。

また、長年、保険料を支払ってきたわけなので、こういう時には利用して当然だと思いました。

以上が、退職後に行わなければいけな、重要な事柄です。

確定申告も行わなければいけない事の一つですが、退職後というよりは、翌年の2月、3月が対象となりますから、また、その時期になり、対応したら、掲載したいと思います。

それほど、不安に思わず、本来やるべきことをやるだけのことだということが、わかりました。

退職整理後の現在の状況

現時点で私はまだ務めていた会社から退職が完了しておらず、有給消化の期間となっておりますが、最終出社日の2018年8月16日から既に2週間が過ぎ、過酷な仕事とは完全に離れ、ようやくいろいろな心の整理ができるようになり、ブログを書きたい気分になれましたので、本日はそのことを記録したいと思います。

最終出社日の16日以降は、末期がんになってしまった母親のお見舞いや膀胱がんの疑いのあった父親の検査の動向を見守るなど、両親の病気のことが退職と重なってしまい、そちらの方が気がかりで、退職のことで、頭をフルに使うことはなかったのですが、少しづつ

①仕事とは何だったのか?

②これからやるべきことは何か?

の2つのテーマを考えることを続けてきました。正直なことを書いてしまうと、健康に十二分に気をつけており大変元気だった母親が末期がんになってしまったことがショックすぎて、心がまったく落ち着けていなかったのですが、それも何とか受け入れられるようになってきました。

仕事を辞め、両親の死期を感じることで、やはり気づくのは、人生とは何かということです。それを考えることが無駄だという仏教の教えは知っておりますが、考えてしまうものです。そんな中で、人生はお金を稼ぐためにあるということは、絶対にないんだということに改めて気づきました。

どんなに貧しい生活、苦しい生活に見えたとしても、好きな人々、心の通い合った人々と楽しく生活ができれば、この世はそれほど悪くない場所なのです。

けれども、学校から始まる実社会は、偏差値高収入が、すべてかのように人々を動かし、働かせ、結局は税収入や不用品の販売を続けるためにあり、一部の人間だけに富が集中するようになるシステムが稼働していて、たいていの人は、疲れ果てるように作られてしまっています。

高収入と呼ばれるエリートサラリーマンもサラリーマンを続けている限り、たいていの方は疲れ切っており、一部のタフな人簡単に他人に責任転嫁ができる人を除いては、非常に険しい表情をしています。実際に私が会社員として働いていた間、多数の大手企業のトップの人々を見てきましたが、まともな人物は、どの方もたいていは疲れている様子でした。

さて、仕事を辞めてから後の当初を書きましょう。仕事ロスといいましょうか、16年もあったサラリーマン生活を失ったことが頭にこびりつき、何かをしなければ、このままでいいのか?という、頭になってしまったことが多々ありました。

しかし、それも徐々に解消されてきました。どのような心持ちになったかと言いまうと、本当にやることを見つけること、いや、見つけているので、それを続けることが何よりも大事である、ということの気づきです。

私の場合は、中学生になった後に学年トップクラスの偏差値をたたき出してしまったために、そのあとは周囲の期待に応えるための人生を送ってしまいました。しかし、これは非常に誤った選択であったと今は考えています。

本来は、何をすべきかを、何をやりたいのかを、考えるのが中学生や高校生の時期なのですが、それを考えるのは先延ばしにし、勉強が何よりも大事だと周りが言うのにこたえ、その時期を進んでしまったのでした。

けれども、既に過ちは過ちと認め、諦めの極致に立っております。このブログを書いている時点では、これからやりたいこと、やるべきことに時間を費やしやっていく覚悟ができています。

やりたいことや、やるべきことというのは、この世に生まれたすべての人の心に浮かぶはずであり、本来は、心に従って誰もが、それをやるべきなのですが、生まれた時から存在する社会には、それを許さない統制が、資本主義というシステムをも巻き込み、行われているので、容易にはできません。

しかし、人間というのは、結局、やりたいこと、やるべきことしかできないのです。だからこそ、無理をすれば険しい顔になり、心が病んだり、死んだりして、別の問題や場合によっては自殺や、反対の犯罪につながるようなことが起きることになっているのだと思います。

私自身のやるべきことの一つは、本日の記事で既に書いているように、人々に正しい生き方とは?を伝えることなのではないか、というのがあります。

その他には、テクノロジーの進歩で世界が変わろうとしている今、本来やるべきことをやろうという、生き方のアップデート、シフトチェンジの発想の伝達というのがあると感じています。これは、これから続けていかなければならないことですが、それをやるべきだと、私の心は言っています。

急激にそれらを行うことはできませんが、徐々にその流れが加速していくのではないか、だからこそ今日もやるべきだと、突き動かされています。

仕事を続けている間には、こういった整理や考え方は、どこかにありつつも、整理して考える時間が取れず、また、仕事が思考の合間に挟まってしまうので、ぼやけてしまったものでしたが、今はクリアにやるべきことが見えてきております。

このブログも徐々にですが、その方向性を取り入れて、価値あるものになっていければと考えております。

こんなところまで、私のブログにお付き合いくださり誠にありがとうございました。ほんの少しでも皆さんの心に届き、楽な生き方ができるエッセンスとなれば幸いです。これからもよろしくお願いいたします。

退職日まで、あと9日

退職を決めてから約2か月。

ようやく辞めれるわけですが、とても長かったですね。

心の整理をしようにも、忙しすぎて、あまりできなかったのが実感ですが、ブログの更新もできなかったので、余計に心の整理ができなかった感じです。

ようやく時間ができましたので、これまでの残念な日々のまとめを書いておこうと思います

・22時までの残業が固定
・週末が平日解消しない疲れの解消日
・週末出社も推奨される雰囲気が続く
・起業の準備が何もできない日々(頭の中だけ)
・ブログの更新もできない
・異常な暑さの夏

6月の上旬に既に会社に、辞めることを伝えたわけですが、結果として、そこからすでに2か月が経ちました。また、あと9日で退職と書いていますが、有給休暇がまるまる20日もありましたので、実際の退職日は9月13日となりました。

私の誕生日は9月14日ですから、歳を取る前に、会社を辞めるということになりました。これは、おめでたいことですネ。

さて、おめでたいこと、これからのことを書く前に、この2か月の思い出を書いてみたいと思います。ちょっと、マイナスになるので嫌ですが、うみは出し切っておかないといけませんよね(笑

やる気がどこかに吹き飛んでしまう日々

6月で退職することを自分の中で決めてしまいました。もう、この仕事はやらないと決めてしまったのです、なので、一気にやる気がなくなりました。自分が、やはりお金のため給料のためだけに働いていることを実感したのものこのときからでした。

これから、どう稼ぐのか、何をするのか、やりたいことは何なのか、自分に問えば問うほどに、今の仕事をやる意味がなくなりました。わからなくなりました。

お金のために働かなきゃ、給料をもらっているんだから、働かなきゃ、みんなにも迷惑だ、と思うので、働くのですが、心の底から、この仕事は嫌。価値がないと、思ってしまったからこその、退職なので、やはりどうしても、まともに働けません

正直こんな社員、さっさと辞めてもらえばいいのにと、私自身が思うくらいでしたが、結局、8月まで働くことになってしまいました。これは、よいことではありませんよね。働きたい人に働いてもらうのが、会社にとっては一番だと思った瞬間でもありました。

そんなやりたくない社員の私ですが、絶対やりたくない仕事を、一時押し付けられたのですが、正直やる気がなくなっていて、何を言われても、結局やりたくない仕事なので、やりませんでした。そしたら、別の人がやってくれました。

結局、そうやって、誰でもできる作業というのは、誰かができるので、やらなくていいんだとも思ってしまいました。

これまでは、責任を持って全部やる思考でしたが、このとき、そうでなくてもできるもんだと、実感しました。

週末の疲れが取れない、ブラックワーク

平日、毎日のように22時を超えて働くブラックワークを1か月以上久しぶりに続けました。あの世間をゆるがせた、電通の事件以来、ブラック企業を撲滅するような動きがあったわけですが、ここに、またもやブラックワークが現れたのでした。

頼まれることもなく、22時まで、おわらないから、やる。当たり前でしょ?

プロジェクトの運営がうまくできなかった人が、謝罪することもなく、申し訳ないと頼むこともなく、「強制的に、終わらないから、働け」と、暗黙の了解的に、仕事が湧きました。

なんでしょうね?これ。

失敗してしまった管理層が誤るところが、スジですが、いつもながら謝ることはありませんでした。またかと思いました。

さて、そんなブラックワークをやってしまうと決まって起こるのが、拭い去れない疲れです。週末の土曜日は、家の掃除と疲れを取るための睡眠で終わってしまいます。がんばって何かをしようと試みますが、疲れで何もやる気が起きません。また、夏の暑さも今年は酷いですから、ブログを書く気にもなれませんでした。さらには、平日が仕事で埋まってしまうので、病院に通う時間が週末になってしまうのでした。

働くために、働いている、ロボットですよ。これは。ヒトラーの言った、ロボット人間。これは、まさにそれを実践しているような状況に、間違いありません。

週末出社まで求められる

私は断固週末出社は拒否したのですが。

「週末出たい人」

ということで、挙手を求められます。平日22時まで働かされるのに、週末出たいなんて申し出る人がいるんでしょうか?

バカげた、提案制ですよ。労働者を馬鹿にしているとしか思えないことが、職場では普通に行われていました。

正直なところ、週末病院に通ってようやく疲れが取れる状況だというのに、そこを働けと言うのですから、これは本当に異常な状態です。

おそらくこの状態が、あと1年以上続くと思います。本当に、辞める決断をして当たり前だったと思った瞬間でもありました。

起業の準備が何もできない

上記のような状態ですから、もう会社に属すことが前提の人間しか、残れませんし、ほかのことができない状態になってしまいます。

転職活動をするのも困難ですし、週末に起業のための準備をしようとも、できません。本当に、このような会社を存続させること事態が、社会にとって大きなマイナスなのに、優良企業として、世間では通っています。

それが、日本の現実です。

優秀な学生には、来てもらいたくないのですが、優良企業ですから、呼び寄せられてしまいます。

退職まで、あと9日ですが、正直なところ、今日にでも辞めたいです。

もう行きたくないです。この会社のことなんて、まったく考えたくないですし、自分の会社のための、仕事しかもうしたくありません。

それが、退職後の自分の頭の中の、すべてです。

みなさんも、おそらく退職される際には、同じ気持ちになると思いますので、参考になれば幸いです。

昇進と給与システムは崩壊するのではないだろうか?否、すでに壊れ始めている?

会社に就職し、最初は給与が少ないけれど、年を経るごとにキャリアとなって能力が身に付き、給料も増え、生活が安定していく。

というような、世界は、大企業には、まだ残っている。そして、だからこそ大企業に入るための勉強を学生はしていたりする。内定がもらえれば万歳だ。

しかし、大企業がやっていることは、昔からの仕事、あるいは新しい技術によって不要となる寸前の仕事、もしくは独占の仕事のいずれかである。

確かに独占は強い。生活のインフラや、交通を抑えていたりしたら、まだまだ、大企業として君臨できるだろう。

しかし、そうではない大企業は、ロボットやAI、ITによって仕事が減り始めている。また、長年行ってきたグローバリズムで、多くのことは別の国に任せることとなり、管理を中心とした仕事がメインになり、実作業的な仕事は行わなくなっている。

特にそれが顕著なのは、銀行ではないだろうか?

銀行の取引は、すでにオンラインとなり、窓口はほとんど不要になった。大口であればあるほど、オンラインを利用しているだろう。また、マネーのグローバル化により、どの銀行と取引を行っても同じような取引が行えるようになっていることで、利用者は、国内銀行を選択する理由が、ほぼなくなってきている。さらには、仮想通貨による、ほぼ、手数料フリーなマネーの動きも見えており、

これまで培った、オフラインのノウハウが不要となりそうだ

また、これがリストラとなって現実になってニュースとなっている。果たして、この話は、銀行だけの話で収まるのだろうか?

世界で同じような業務を行う企業は、たくさんある。食品、燃料、流通、などなど、日本企業と世界企業を比べて、サービスに品質の問題がなく、価格が安いと判断されたら、たいていの消費者は、日本企業を選ばない。

さて、給与の話に戻るが、給与という仕組みは、会社という組織、チームというグループで、稼いだ利益を皆で分配する仕組みだ、もちろん裏には株主という投資家の存在もある。その時、頑張った若い社員がいれば、その時の給与は少ないが、昇進などにより、将来の利益の分配率が上がっていく。

しかし、このモデルは、今後も利益が期待できる、最悪でも維持できる企業でなければ、成り立たない。昇進は、将来の収益の分配率だからである。将来の収益が期待できなければ、そんな分配率に価値はない。

なぜ、こんなことを書くのかといわれれば、将来的な収益が、どの企業も、危うくなってくるだろうと予想するからである。

将来的に、その企業が存在できるなら、その分配率の取得は意味がある。しかし、新しい技術、新しい働き方、新しい状況が生まれ、将来が不明確になった場合は、将来の分配率ではなく、その時の分配率で利益を得る方が、合理的と考えるだろう。

つまり、優秀な学生たちは、優秀な若手社員は、肌で、このことに気づき始めていると感じている。

なぜ、このようなことを考えるのかと言われると、それだけ将来が不透明であるからだ。特に、日本にとっては大きな不透明がある。なぜなら、自分たちで仕事をせず、管理に特化し、楽をしてしまい、新しい技術、新しいソフトウェア、新しいモノづくりに積極的ではなくなり、少子化も当たり前になり、仕事が減り、将来のリードを行えていないことが、あげられる。

今現在を見れば、日本語バリアで、国内消費は国内で行えているが、もうそれも崩壊に近い。外国人労働者の受け入れ、外国人家族の受け入れに伴い、どんどん輸入物が増えるだろう。日本文化バリアも、徐々に壊れていき、日本が世界をリードできることは、一部しか残らない。

そんななかで、維持継続できる企業というのは、ますます減っていくだろう。つまり、そのとき集まった人間で、分配するあるいは、最初から報酬割合を決めて仕事をするスタイルが、合理的になり、そのようなプロジェクトワークが増えていくような気がする。

おそらく、将来、職歴やキャリアなども、ブロックチェーン技術により記録されていくだろう。会社内だけの、信用や評判ではなく、ブロックチェーン上のオープンな職歴があれば、社員が企業の、会社の中の枠だけで働くことは、なくなっていくだろう。

その時、給与という仕組み、昇進という仕組みは、昔は、そうだったね、程度の話になっている気がする。

「やりたいことがある、やりたいことがない」は、実は退職を考えるべき時

退職届を出し、退職プロセスに入っている私ですが、職場の後輩が、つらそうに、半ば投げ出し気味で仕事をやっているので、軽い気持ちで、

「どうして、この仕事を選んだの?」

という問いかけをしてしまったんです。

その回答は、

友達のすすめでなんとなく就職し、なんとなくやっているということ。また、転職活動したことがあり、自分ができる中で、特にやりたくはないけれど、やれそうなことを選んで活動したけど、落ちた。

みんなそんな感じじゃないですか?

でした。既に退職に向かっている私から見れば、同じような話であり、本当に気持ちはわかります。

私の場合は、

なんとなく仕事を選んだというよりも、やりたいことが一部あり、それを専門にやれると感じたので就職したが、働いているうちにそれができなくなり、違うと感じるようになった。けれど、家族のために続けるという選択をしてしまい、その後は、嫌なことも、やりたくないことも、ほどほどにこなしていた。

そんな自分が嫌だった。

という状態でした。

これらの2つの事例どちらに関しても、状況が許すのであれば、今すぐ退職すべき状況だと、今の私は考えます。

勉強からの学校生活が始まり大学を卒業すると、当たり前のように就活があって就職することが、システムとして成立しています。

そうすると、心や気持ちなどは、まったく無視された、システム的な就職が待っているのです。これが、多くの不幸を生んでいます。

学校の先生は、進学あるいは就職結果のみを重視し、心を重視した教育をするのが難しい時代に入っています。自分自身で、何をやりたいのか、何をやるべきかを考えないと、いけません。一方で、憧れの仕事を選ぼうとすると、「君には無理、厳しい」という、状況もあります。

そんな中でも、やりたいことをみつけなければいけません。

けれど、一度、なんとなく就職すると、収入があることで、負のスパイラルに入ってしまうんです。

仕事が嫌だ⇒けど収入はある⇒もう少しゆっくり考えよう⇒けど仕事がある⇒疲れた⇒やりたくない⇒けれど収入がある⇒ちょっと昇進した⇒収入がある⇒仕事が嫌だ⇒けれど目の前に仕事がある⇒本当にやりたいしごとがなにかわからない⇒けど仕事がある⇒疲れた、もう仕事をやりたくない⇒けど目の前に仕事がある⇒収入がある⇒・・・・

なんとなく就職しても、なんとなく生活が確保できてしまうので、本当に自分がやりたかった仕事、やりたい仕事、天職と感じれる仕事と出会うことがなかったとしても、やり続けてしまうのです。

しかし、ここにはおおきな罠があります。

それは、気づいた時には、遅いです。

やりたいことをやっていった人間と、なんとなく仕事をやってきた人間とでは、成長の差が生まれます。やりたいことをやっている人間は、仕事が大好きです。深夜残業も平気ですし、土日に仕事を入れられても、やりたいことになります。

しかし、なんとなく仕事をやっている人間にとっては、深夜残業なんて、なんでやらなければいけないのか、わからないし、土日に仕事をいれられたら、ブラック企業だと思うはずだし、今の風潮なら、明らかにブラック企業です。

世の中に、ブラック企業が増えてしまった理由としては、やりたいことができていないのに、働いている人間が多い。という側面もあるのではないか、と私は感じています。

仕事をやりたいと思っている人にとっては、働くことが生きがいに繋がり、ちょっとやそっとの残業や休日出社は、なんとも思わないはずです。けれど、なんとなくで働いている人にとっては、過酷なものに間違いないのです。

けれど、そんな状況になってしまうのも、仕方のない状況があるということを私は理解しています。既に書いている、システム的な問題です。

なんとなく学校に通い、勉強をさせられ、なんとなく進学し、なんとなく大学で学び、なんとなく就職をさせられるような、義務教育からのシステム的な流れが、構築されているからです。

皆が皆、戦争をしなければ、兵隊にならなければいけなかった時代は、このようなシステムで、国力を上げる必要もあったかもしれませんが、生き方を選べるようになった時代であれば、このシステムは、やや問題があります。

やりたいことが見つかるまでは、目の前のことは、実はやってはいけないのです。何かをやってしまうと、その何かをやった達成感が生まれてしまい、なんとなくの達成感で、そのままいってしまう。

これは、非常に問題のある罠です。

「やりたいことがある、やりたいことがない」となった場合は、心の底からこれをやりたいと思った場合は、また、何もやりたいことがない、この会社でやりたいことがないとなった場合は、すぐに会社を辞める準備をするときだと、私は感じます。

実際に辞めるタイミングがすぐにではなくとも、この心があるのなら、いつか辞めなければいけないはずです。そうでなければ、人生を生きることになりません。

私は、既に退職プロセスに入っているのですが、このことは強く思います。

なんとなくでも何かをやっていると、本気になれないのです。「いずれ、やりたいことが見つかるよ」と思って考えてみても、「いずれ」は、やってこない。「いずれ、仕事が好きになる」と考えてみても、「いずれ」は、やってこない。

これは、実体験からわかります。

また、やりたいことが見つかってしまうと、それ以外のことは、本気になりません。そういうものです。

もし、この文章を読んで、「やりたいことがある、やりたいことがない」という方は、考え始める時だと、強く私は思います。

そして、具体的にやりたいことを見つける、やりたいことに向かうプランを立てるべきだと思います。

先に、進むべき時です。

自由な働き方をするために準備してきたこと

先日、会社に「退職願い」を出したことを、このブログで紹介しました。

これは私にとって、生き方を変えるための最初の一歩でした。この一歩を踏み出すために、考えた期間は、13年。

そうです13年という長い期間なのです。

現在の会社では、2002年から数えて約16年働いていたことになるのですが、入社3年目で、既に転職あるいは、別の仕事を考え始めていたのです。

私は、どんだけ歩みがのろいのでしょうか(笑い

いえいえ、遅いというわけではありません。事実は、いろいろと状況が許してくれなかったのです。

・結婚した
・子供が生まれた
・働いていたのは私だけ
・資産はない、貯金はない
・家をローンで買った
・次の仕事のビジョンが明確ではない
・自分自身が未熟である、自信がない、悟れていない
・…

別の生きたかを選択するために、犠牲にできない優先順位の高いことが、いくつもあったので、八方ふさがりでした。それらの優先順位が高い課題を克服しなくては、次のステップに移動できなかった。それもありました。

また、とても大きな問題があります。

・周囲の心配です

「せっかく高い金を払って大学を卒業しているのに、安定した人生を捨てるのか?」
「家族を路頭に迷わせる気か?」

昔、誰かから、あるいはテレビ聞いたであろう言葉を、そのまま自分の言葉として発する周囲の人々の言葉が、意外といます。

でも、これらには反論できます。

・せっかく大学を卒業して、高い知識を手にしたのに、なぜ、新しいことをやらず、安定したままにとどまるのか? 大企業の仕事は、外部頼みばかりではないか? 能力が高いなら、本来、人々の未来のために、収入など考えず、やるべきことがあるのではないか?

・家族が路頭に迷うことはありません。しかるべき態度をとればお金がないことが、問題になることはありません。この国には最低限の補償、生活保護もあるわけで、父親が死んだ(ような状況)になったとしても、生きていけるセーフティーネットがあり、そのために税金もきちんと取られている また、将来的に税金を取れる子供などは、進んで育てようとするものです

・母子家庭もどれだけあるのか

いくつか、反論はあるのですが、まぁ、これらのことを自分の頭で考えることがない人は、メディアや、洗脳効果のある言葉を受け止めるしかできないので、だからこそ、その人自身が、そこから一歩踏み出せないのだとは思います。

で、13年で先ほどの問題がどのように片付いたかを書いてみたいと思います

・結婚した
⇒生活の基盤は安定し、家庭というシステムはうまくローテーションしている
・子供が生まれた
⇒塾に通わなくても優位な成績を保つ生徒に成長した
・働いていたのは私だけ
⇒共働きが始まり、収入面が安定性が高まっている
・資産はない、貯金はない
⇒マンションはローンが残るが、売却益が出るところまで来ている、無収入でも、1~2年生きれる貯蓄はある
・家をローンで買った
⇒ローンは、近隣住宅の家賃費用よりも明らかに安い状態である
・次の仕事のビジョンが明確ではない
⇒やりたいことが、たくさんある アイデアもある
⇒フリーランスという道も、認知され世間的に増えてきている
・自分自身が未熟である、自信がない、悟れていない
⇒病気をし、人生とは何かが見え始め 心との向き合い方もできてきた
・…

書こうとすると書ききれないほどあるのですが、13年間の悩みの期間はまったく無駄ではなく、転職活動もしたけれど転職しなかった経験もあるし、実際に独立した人が周囲にいたりしたし、起業セミナーなどにも通ったこともあるしで、準備をしていないことは、なかったわけです。簿記3級ももってますし。

目の前の仕事にイライラして、辞めてやる。というよりは、本来自分はどのように生きたいのか、生きるべきなのか、何を実現したいのか、世間とどのように向き合うのかを、きちんと整理してこれた13年だったと、今は思っています。

安易に転職しても、誰かの働き方を模倣するのが、使用人の義務だと理解してきたので、転職は選択に入れませんでした。

フリーランスも、ほとんどの案件は、安い人材を利用した派遣に似たものだとは、わかっていますが、一部は、そんなこともない人もいるはずだし、そもそもきちんと仕事ができれば、フリーランスにとどまっていないだろうと思います。

ということで、長々と書いてきてしまいましたが、私は、やれない中でもやれることをやってきたことは事実です。準備もしました。

それもあり、退職届を提出し、退職プロセスがすすんでいくことに、喜びを感じるところがあります。そして、未来に向かってワクワクが生まれていることも事実です。

何をやっても自由、自分ですべての責任を取らなければいけない、けれど、目の前に税金や生活費の費用は見えている、働くべき理由はある。

けれど、自分の頭と行動でどうにかする。

その決意があるので、大丈夫だと考えています。

この準備の期間は、人により状況もあり違うとは思います。けれど、生き方を変えよう、変えたいという人がいるのであれば、まずは、問題点を洗い出し、それに対する対策を練り、最初からできなくても、毎日やれることをやりながら、少しづつ時期をまてば状況は変わっていくものだと、私は感じます。

人生思い通りにいかなくても、気づいたら、やれる状況になるorやらねばならない状況になるということもあると思います。

参考になれば幸いです。

心のアイデアを形にすることが人生なのではないか?

長年生きてきて思うことがあるのですが、人生とは何かを考えた時に、それは

心に従って生きることなのではないか?

と考えることがあります。よく理由はわかりませんが、心というものは確かに存在し、これはやっちゃいけない、これはやるべきだ、なぜやらないのか攻められる、にげだしたくなる、など、心には、何かしら、人間を突き動かすメッセージ、コマンドになっているような気がしています。

私は、これが、何なのか、ずっと疑問に思っていました。

心がやるべきと言っている、心がやるなと言っている。これは何なのでしょうか?良心が傷つく、良心が痛まないのか、というような言葉もある通り、確かに心というものは、モノではありませんが、存在しているのです。

人生にやるべきことがない、やりたいことが、ないというとき。それは、心のメッセージを聞いていない時なのではないか?

あるいは、心のメッセージがあるのだけれども、それをなんらかの理由で拒否しているときなのではないか

と私は最近考えるようになりました。神様が、やりなさいと言っている。神の声が聞こえた。などという話を聞くことがありますが、これは、もしかしたら、心の声なのではないかと私は感じます。

内在神という言葉があって、神様が実は人間内部にいるというかリモートで一緒にいて、人間がそもそも神様であるという説などがあると、情報があったりもしますが、人間のこのという機能は、まさに、この神様の言葉なのではないか?

と考えています。心が、世界を平和に導くメッセンジャーなのではなでしょうか?

心が人を殺すべきだ、心があいつを殺せ、などということは決してなく、欲望や飢えや野心が、多くの犯罪を生んでいるのであり、心が悪いことをしろと命令することはないと、実体験からも感じています。

私が、動く理由も、まさに、心の働きであり、心からの気持ちが、行動の基本になります。

心にもないことを言うという言葉もありますが、心のある言葉、真のある言葉も、見抜けるのが人間であり、心があるからこそ人間なのです。

だから、心の働きというのはとても大事であることがわかります。

人生に悩みがあるとき、この心を、自分の心と向き合うときだと、私は今ははっきり理解しています。

欲望に占有され、心を失うことがないように、心と会話する時間、一人の時間をつくることは大事だと思います。瞑想なども、結局は、自分と対話する時間であります。

心に描かれたことを、シンプルにやる。シンプルにやると、達成感が生まれ、生きている実感がわく。

心に描かれることを、否定し、仕事にいきる。仕事をやるとお金は貰えるが、達成感はない。お金でものは買えるが、達成感はない。そして、生きている実感がしなくなる。マヒする。

どちらの生き方がいいかを心に照らして考えると、おのずと答えは見えてくるのだと私は感じます。

退職届を出した後、最近考えていること

サラリーマンから退職することになり、不安な気持ちがよぎることがありましたが、最近はまったくそれが無くなってきました。

むしろ、新しいことを始めること、自分の責任ばかりになるけど、自由であること、今までやりたくても、時間や組織に属していることで、コンプライアンスや情報セキュリティ的にも書くことをためらっていたことも自由に書けるようになることなど、どんどんいいことに気づいてきてもいます。

ワクワクしています。

今まではどこか、他人の人生を歩んでいるような気がしていました。

あれやりたいな、これやりたいな、こんなこともできるよね、あんなこともやれるよね、と新たな思考が生まれても、仕事があるしな、時間がないしな、疲れてるしな

と、生まれた思考・アイデアを殺してばかりいました。

むげに殺してはおらず、メモにも書いていましたが、時間がないとかで、すべて実現できていませんでした。

おそらく、そのアイデアを実現しない自分が、嫌だったというのも、退職の理由、新しい生き方を選んだ理由だったと思います。

自分の考え・アイデアを実現できない=自分の人生ではない

これが私の中に、ずっとあったのだと今は思います。組織に属したり、人間はひとりで生きているわけではないのだからと、自分の主張をやめてしまう、やめてきてしまった私もいたので、その生き方を否定もできません。

しかし、よくよく考えてみると、社会は人の主張で出来上がっています。居心地の良いスペースを皆が皆、自分でつくりあげて、出来上がっているような気がします。

正論などという、よくわからない言葉がありますが、どんな意見も正しいも間違いもなく、解釈が違うだけであり、判断基準が違うだけであり、どんな主張もいきつくところ、だれかのわがままであり、それ以上でも、それ以下でもなく、時代が変わればまったく覆っていたりするものです。

そんな窮屈な集団の中に属するのをやめ、自分らしく生きる一歩をようやく踏み出せるんだ、踏み出すことができるんだ、と考えるたびに、最近はワクワクしています。

何をやらなければいけない、いくら稼がなければいけないというベクトルは持たず、本当に私がやりたいこと、やるべきこと、楽しめること、そういった軸を持って働く、あるいは社会に貢献するという生き方を実現させます。

それを目指しています。

今は昔と違い、そんな一人の人間が、新しいことを発信してもよい時代になりましたので、まさに未来を今かみしめているところです。このブログだって、そんな新しいツールの一つです。

新しいことをやるときは、常に不安がありますが、だからこそ成長を感じるものです。

昔、新社会人になったときは、不安がありました、新しい仕事をするときも不安がありました。けれど最近は、嫌悪しかなかった。これが本当の気持ちでしたし、そんな自分が嫌だった。

今は、この不安というのが、とてもここちいいモノだと、感じています。

とても、ポジティブな自分がいます。

生き方のチェンジ

先日、退職の手続きを始めたことをこのブログで公開いたしましたが、それが私にとって何を意味するのか、それを考えた時に、結論としてあるのは、次のシンプルな結論でした

仕事を中心に生きる

やりたいことを中心に生きる

生き方チェンジ

これでした。

やりたいことを中心に生きる。どんなに多くのお金を稼ごうが、自分のやりたいことができていないのであれば、まったく人生に満足感が得られないことを、私は既に体験済みです。そして、これが、今の結論に至ったすべてでした。

何かしら人が持っていないものをお金で買って所有したとしても、まったく幸福感が得られない。

そう実感したことが、これまでの人生で、多々ありました。

これまで私は、結婚をし子供にも恵まれ、子供の成長や奥さんの就職など、いろいろ周りが成長し、それぞれの人生を進んでいくなかで、幸いなことにたくさんの様々な幸福感を得ることができました

けれど、私だけが、どこか満足できない毎日。心の中に、大きな穴が開いていました。その答えを、自分では、ずっとわかっていました。一番の不幸が、仕事にあることに、ずっと悩んでいました。

嫌いな仕事だったわけではありません、できない仕事でもありませんでした、ただ、私の考え方と合わない。他者へ押し付けをいろいろな場面で行う必要があり、詐欺とまでは言いませんが、言葉で相手を言いくるめるような仕事を求められ、そんな働き方に、疑問がずっとありました。

また、そもそも集団の中で、自分の意志を最小限にし、会社の決定に従って生きることが好きではなく、また、価値ある少数の意見は検証されることもなく採用されない流れが集団の中であることを理解して疑問を持って働いていました。そんな中で、会社に属しながらも、少数、時には一人派遣状態で働くときに、生き生きとしていた自分があることに気づいていました。

最初から、やりたいことが、今の仕事 だったらよかったのでしょうが、私は学生時代の夢であった職業には就けず、今の仕事を取捨選択で選びました

合理的、論理的、打算的だったと言ってもよいでしょう。

今思えば、その夢だった職業に関しては、ただ努力が足りなかったし、向いていなかったし、自分から諦めた後悔がありますが、その時の状況の中で選択した結果、最良の答えが、今の会社でした。

しかし、長年生きてくる中で、この若いころの判断は誤りであったと、痛感しています。

人は、やりたいことしか、本気でやることができず、やりたいことでしか、満足感が得られないのです。そして、それは決してお金では替えられないのです。

生きることとは、満足感を得ること、幸福感を得ることであり、お金を得ることではない。心底、このことに今私は気づいています。

もちろん不安はあります。収入だって、しばらくは安定しないでしょう。

けれども、新しい生き方を選択したのだから、無収入な期間があって当然です。新しい生き方の中に当然含まれている、そう覚悟を持って選択しております。

おそらく、この記事を書いたことは、将来的に、私の指針になっていくし、同じように悩める未来の仲間の分岐で、参考となる記事になるだろうと、予見して書いています。

私は、やりたいことを中心に生きる、生きれるようになった時代が、今あることに気づいています。

昭和の時代には、なかった、このやりたいことを誰もがやるべき時代が来ていることを、すごく私は実感しており、自分自身がまずはやらなくて、その時代の話を子供に語れるだろうか?

そう悩み続けていました。

結論、行動が当然必要でした。その結果が、今=退職⇒生き方チェンジです。

これから何が起こるか、不安もありますが、ワクワクとドキドキの気持ちがいっぱいです。時には、落ち込むこと、不安に押しつぶされそうな時が来ると思います。

でも、昔の自分は、押しつぶされそうなときに、打算的な考えになっていったと思うのですが、今は、その考え方はアップデートしています。

そのようなネガティブな時には、時間を空ける、できる方法を考える、考えるのをいったん止めるなどの、対処方法を知っています。

この記事を書いている、私の心は、すっきりしています。不安はなくなり、夢に向かって、一歩、進み始めていることに満足しています。

もちろん、収入面の不安もあります。

けれど、頭がすっきりし、毎向きであり、やるべきことを毎日見つけ生きれれば、様々なことが、上手く回り始めると、そんな予感があるのです。

さて、今回の記事は、ひとまずこんなところで終了です。この先の私に何があるか、私と一緒に知りたい方は、ぜひともこのページをブックマークに登録してください

記事は、同じような悩みを持っている方の参考になればとの思いが強く、今後も基本的に無料で公開していく予定です。

それでは、同志の皆さんとお会いできることを楽しみに、今回の記事は終わらせていただきます。たくさんの方に、理解いただき、また同じ考えの先輩達にも出会い、新しい生き方が、普通になる社会を実感できる瞬間を楽しみにしています。

最後まで、閲覧いただきありがとうございました。

がんばりますよ!
いや、すでにがんばって、この結論をだしてますわ!(笑