人生でやるべきことを突き詰めると、結局最後に死があるのだから、なーんにも意味なんてないと考えることもできる
私は学生の頃そーんなことを考えていた。なので、やりたいことをやることが、結局は答えなんじゃないかと思っていた。
といっても、その実行というのは難しく、周りを見回せば、勉強をして、いい仕事に就いて、給料の高い仕事をやるのがすばらしいことで、どうせやるなら給料が多い仕事、そんでもって仕事ができるひと=収入が多い人がすばらしい、という環境がひろがっていたのある。
今もその流れは変わっていない気がする。
まぁ、お金をいっぱいもらえるということは、それだけ人に貢献したということで、いいことのようにも思えるけれど、それが良い貢献なのか、悪い貢献なのかは、結果的にはよくわからない。
例えば、美味しい食べ物を売って儲かった人がいていい仕事をしているとしても、美味しい食べ物を食べた人が、贅沢しすぎで死んでしまうとかあるんなら、質素な食事をすすめて、儲からない人が正しいということもある。
長生きがすばらしいなら、質素な食事はすばらしいが、長生きがすばらしくないなら、贅沢な食事がすばらしい、というように、なんでも結局何が良いか悪いかは、それぞれなんである。
なんで、必ずしもお金を稼ぐことが、すばらしいことなのかはわからないんだけど、現状は、お金持ちは、みんなの憧れの存在でもあるわけなのである。
なので、親がそうやっていうもんだから、子供たちはお金持ちになりたいって、思ったりしてしまうのも当然である。
でもって、いい仕事につくためには、勉強、勉強とかいって、勉強道具、塾にお金を払って、どんどん教育関連事業がお金が儲かっていく構図もあることも事実である。
お金を得るために、お金をいっぱい使ったら、結局お金は残らないと思うんだけどね。
人よりも何かを多くを得たいと願うと、競争がつきもので、ほんのすこし評価を得るために、びっくりするぐらい自分アピールする人もでてきたりと、豚が鼻を押しあって餌を求めるような人間の競争が、あることも少なくはない。
すごく収入がいっぱいある一方で、すごく支出もあるっていうのが、実際のところで、お金を求めることは、結局本当に正しいのか?ってのをいつも考えるのだけど、今の所それを否定する人はあまり多くもないようである。
みーんなお金をいっぱい使って、お金をたくさん得る。それが豊かってことのようだ。
とまあ、話が脱線してしまったように、お金の話になると、人間というのは、はげしく反応する。
話を戻して、やりたいことをやることが幸せなのに、お金を得るために自分が幸せにならないことを、やらされて生きている人たちがいる。
そして、それが今も少なくはない。
そんな大人たちがいるせいで、お金のためにやりたくないことをやるされる子供たちが生まれる社会がまだ存在している。
いやだったら、やめればいい。やめれば、嫌なことをやる大人がいない社会になる。そう、だから、あなたも嫌ならやめちゃえばいいんである。
とまぁ、極端な考えかもしれないけど、すごしやすく、本当にあるべき今を考えると、人生でやるべきなんてものは、ないというのが、やっぱり結論なのだ。
けれど、そうやって、まったく何もやらない状態を作らないと、本気でやりたいことなんて見つからないんだと思うだよね。
ということで、私も実践しようと試みたりするんだけど、結局なんにもしない毎日を作ることってのも難しかったりもする。
私の場合は、休みの日も英語の文章を読んだり、書いたりしたくなったり、ブログを書いてみたり、人の本質ってなんだろうなぁとか考えたり、子供のことを考えたり、ゲームをやったり、まったく何もしないという時間を作ることはかなり難しい。
ぜーんぶ、やりたいと思っていたり、やらなきゃと思ったりしなくても、気づくとやってしまっているということは、毎日あるわけである。
ご飯も食べないとだし、トイレにもいかないとだし、風呂にも入りたくもなるし、そう考えると、生きているだけで人間はなんか必ずやっているんである。
そうやって、完全な無職を想像しても、やるべきことを必ずあって、何かしら人と関わりを持つことになる。
生きているだけで、いろんなことと接点があったりするもんだったりする。
そうかんがえると、生きているだけで、すばらしいことが溢れているっていうんだよね。
地球レベルで人を考えると、誰かがいるおかげで、いろんなことがつながっているんだって、気づけるようになった。
そこにトイレを作った人がいるから、利用できる自分がいるんだけど、トイレを利用する人がそこに発生するから、トイレを作る人が生まれるんである
そういった発想で物事を考えると、何もしなくても、実は人には、ものすごい存在価値がある。
生きているだけで、すばらしいんだって思うだよね
だれもいない場所は、心細い。
でも、ちょっといやなやつだっていてくれたら、すこし元気になれたりする。そんなもの。
やりたいことは、さがすんじゃなくて、すでにやっている。というか、気づかずやっているもの。
それを、お金のために無理やりやるとか、仕事するとか、働くとか、嫌なものをやるせいで、本当にやりたいとが見えなくなったりする。
そんで、自分探しとか始めたりする。自分はすでに、そこにある。「自分探しはじめませんか」とかいう、アホなことを最初にいったやつが、悪魔だった気がしてしまう。
甘い言葉でのお誘いは、社会にたくさんあるが、それがまかり通っているのは、昔も今もかわらないと思う。
やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。きっぱりと今をいきるだけで、すばらしいのである。
やるべきことは、あえて言うなら今やりたいこと。
老後なにがやりたいですか?って聞いているやつらが、考えているのは、老後何をしたいのかを聞いて、それをビジネスにしようとしているんじゃないんかねー
老後は田舎で暮らしたいっていう人がいたら、老後田舎で暮らせるサービスを始めようと考えるだろうし。
まーつねに将来のことを聞くやつってのは、ビジネスのことを考えているんだと思う。
やりたいことなんて、なんもないのが、今を生きているやつの素直な姿。やることは気づいたら終わってるんだものね。
人生にはやるべきことはなく。気づいたらやってきたことがいっぱいあった、そんな人生を歩みたいものである。
なーんて閉めたいが、すでにみなさん気づいたらやってきたことがいっぱいあるでしょ!すばらしいじゃないですか!
幸いです。