「Happy」カテゴリーアーカイブ

自分が「好きなこと」は誤解しやすい 「心が軽くなること」をやろう!

「自分の好きなことをやろう」というメッセージはいたるところに転がっています。けれど、この好きなことって、学校や職場、一般社会の洗脳に晒され続け生きていると、実は見えなくなっています

好きなことが、本当に好きかどうかもわからなくなり、気づいたら、本当に好きなんだっけ?ということも多くあります。

その理由は簡単です。

この社会では、あなた自身にいくつかの役割が押し付けられて、そのイメージがあなたにその「好きなこと」をやらせているからです。

例えば、ゲームなどですが。ゲームの中で、ひたすら悪い奴を倒すということを、やっていたとします。自分は正義だ、今日も悪をやっつけた、ゲーム最高とね。

しかし、それって、普段の中で、何か不満があってそのゲームにハマっている可能性が高いです。

私も、仕事がつらい時期、帰りの電車でゲームをやっていたことがありますが、今思えば、なんでやってたのだろうか?と思うことが多々あります。

 電車で帰るという手段しかない
 会社の帰り道に持てるのは携帯ゲーム
 仕事とは別の世界に逃避したかった

まさに、3番目が、そのゲームをやらせていただけで、好きでそれをやっていたわけではないのです。

なので、好きなことをやることが、常に正しいと私は思いません。

「好き」という感情をミスリードしている可能性が大いにあるからです。

それよりも大事な視点は、「心が軽いか?」ではないかと私は感じます。

学校の生活や、仕事、家庭生活の中で、自分が生き生きしているときは、気分がよく、心も軽く、フットワークもよく、なんでもできそうな気がします。

その時は、好きなことをやっているというわけではなく、「心が軽く」なっている場合が多いはずです。

今、何かをしなくちゃという思考に押しつぶされそうになっていて、たとえばあの仕事、今日家で片づけておかないと、来週からの仕事がうまくまわらないとか、月曜日のあのプレゼン気が重いとか、「心が重くなっている」ことをやっているのであれば、そこに現在の人生の問題が潜んでいる可能性が大いにあります。

本当にやるべきことをやっているとき、人間の心というのは、実は、常に軽いという感覚にあると思います。

生き方、動き方が、フィットしている、ぴったりとあったことをしている。

のような場合は、必ず心が軽くなります。

もし、これを読んでいる皆さまが、心に余裕がなかったり、不安があったり、心が重い状態にあるとしたら、その状況の中で、心が少しでも軽くなるようなことを考えて、見つけてください。

そして、行動してください。そして、実感してください。

もし、本当に心が軽くなったのだとしたら、おめでとうございます。それこそが、今、自分がしなければいけなかったことなのです。

自分が「好きなこと」がわからなくなり、自分探しをするのではなく。心としっかりと向き合って「心が軽くなること」をやっていきましょう!

あなたは自由に生きれるか?

「自由に生きて良い」と幼い子どもが言われたとき、それをどのように捉えるのだろうか

親が喜んでくれから、親に評価してもらいたい、親に気づいてもらいたいなど、親への依存が、子どもの場合、生き方の指針になっていることが多い

自由に生きて良いと言われたとき、もしかしたら、それは見放されたと思うのではないのだろうか

あなたが自由に生きて良いと言われた場合、それをどう感じるだろうか

仕事に依存してい生きていた場合、倒産かよ・リストラかよと感じる

主婦をしていた場合、離婚かよと感じる

家族で生きていた場合、家庭崩壊かよ

日本で生きていた場合、国家崩壊かよ

あなたは、どのように感じただろうか

自由に対してマイナスなイメージを持っている人はすくなからずいる気がしている

自由な人生が素晴らしいとは、ロボットのように生きている人にとっては、感じられないのである

目的がないのに、行動はできない

自然な状況では明日何が起こるかわからず、成り行き任せの人生でしかないのに、そこに設計された人生があると感じたいと考えるならば、それはロボットのようにプログラムされた人生を欲していることになってしまう

だから、自由に生きることは、ものすごく難しいことでもある

あなたは、自由に生きられるだろうか?

自由に生きることは、あなたにとって、できることだろうか?

あれをしなくちゃいけない、世間は厳しいのよ、まだまだね

ご意見ありがとうございます。

生きていると、そして、何か人と違うことをすると、日本社会では、批判というご意見を比較的簡単にいただくことができます。

こうでなくてはいけないという、ご自身が体験されたことを、意識されていることを、また、どこかで教えられたこと、あるいは尊敬している方との違いを述べられるわけですね。

たおへん、ありがたいですね。

常に、こうあるべきと高い理想の元で、日々切磋琢磨して生きていると、そのような状態になるのは、当然でありましょうし、だからこそ、人は変われると思うんですよね。

ですが、そこには強いこだわりによる、不幸な思考も存在してしまいます。

永遠に完成しないパズルのように自分をとらえて生きていると、自由にのびのびと生きていくことができません。そう私は考えています。

多くのことができているのに、他人と比較して、できていなところがあると、そこが悪いんだという意識になってしまい、それで頭をいっぱいにしてしまうんですね。そうなるとそれは不幸なことです。

学校の成績の話であれば、国語、算数、理科、社会、英語とあって算数と理科は90点。国語と社会は80点。英語は50点。となると、私は英語ができないとなって、英語をまったく勉強しなくなったりしてしまうわけですね。

しかしです、今度は英語が100点だったりすると、今度は国語と社会はできないんだとなって、そればっかりを意識するようになったりするんですね。

マイナスなものを意識して、生きていってしまうんです。

それって、すごく辛いです。辛くないですか?

算数と理科は得意で90点も取れているです。なら、その算数と理科ができる自分を褒めてあげてもいいんじゃないかなぁ?

学校での話をするとそんな感じなので、よくわかるんじゃないかと思うですが、社会に出ても、そんなマイナス重視型の思考が、仕事でも生活でもつきまとってしまいがちなんですよね。

日本で生きていると。

でも、すでに私たち一人一人は、完全な形で、たぶん、我々って生きているんですね。

成績の良い部分も悪い部分もすべてそれが今の自分のありのままであり、成績で評価されない性格や知識も評価されないままであり、ぜーんぶひっくるめて、今ここにいるんですよね。

どれひとつとして、違ったら、今の自分じゃないんです。

あれをしなきゃいけないと、あれをしちゃったら、今の自分は消えてしまいます。

世間は厳しいので、世間に合わせると、世間に会う自分になってしまって、今の自分は失ってしまうんです。

まだまだねって自分を追い込んで、今の自分から先の自分になると、やっぱり、今の自分じゃなくなっちゃうんです。

それで、いいのかなぁ!?

今の自分が嫌いなら、変わってもいいです、でも、変わった先でも、同じことをきっとやるんですね。

あれをしなくちゃいけない、世間は厳しいのよ、まだまだね

そうやって生きることが、なんだか、今の日本では、当たり前のようになっていたりもするんですが、自分がない人生なんて、価値なんてなくないですか?

自分を好きになれない人生なんて、お金がどんなにあったって幸福を感じれないと、私は考えています。それならば、変わらずに、いまのままを楽しく生きる。

それだっていいーんですよね。

自分で、納得できるなら。いや納得しちゃっていいんだと思うです、心安らかでいられるなら。

今の自分は本当に嫌いなんだって、心から思い、何か別のものを求める人生もいいのだけれど、何か別のものを求め始めたときから、次々と別のものを求めるような思考になってしてしまいがちなんです。

そして、本当にやりたいことをやらない人生になってしまったりしまいます。

そもそもコントロールのできない人生を、自分の思い通りにできると、無理なこだわりを持ち始めてしまうことに、そもそもの無理があるのですが、自由に動ける体や思考があると、人生をコントロールできるじゃなないかと、思い上がったりもするんですよね。

人生やらなきゃいけないことなんて、実は何もないんです。すでに、生きているだけで素晴らしい。それ以上のことができたら、めっけもんです。

心を軽くすることを、選んで生きてもいいんです。

自分を否定することをやめていいんです。

あなたはすでに素晴らしいのですから!

無職であることは辛いかもしれないが恥じることではない

20歳無職

30歳無職

40歳無職

50歳無職

60歳無職

無職であることは、悪いことと思うか?

誰かが働き口を見つけられた一方で、あなたは無職なのだとしたら、あなたは他人に職業を譲った、善良な人なのである。

物心つく前から、幼稚園や保育園に通うことを覚えさせられ、小学校、中学校、高校、大学と、平日に何かしら強制のやるべきことを押し付けられる社会は、当たり前なのだろうか。

仕事をするためには、学校教育が必要だ。よく働く人材を作るために学校は、学生を育てる必要があった。

元をたどれば、戦争のために優秀な兵士を作る必要があったからこそ学校が作られたのである。

労働者=奴隷と認識すると、優秀で従順な奴隷になるために、必死に努力して、自ら進んで奴隷になろうとする人間たちが正常だとは思えないのではないだろうか。

お金はないかもしれないが、無職で、自分の心の赴くままに生きて行く人だって、いたっていいんじゃないのだろうか。

無職を恥と考える必要など、ない。

働くことが正しいという流れに従う必要などなく、あなたの心の正義にしたがって動いていれば、それが正しい生き方なのである。

無職は、恥じずできること、やりたいことを貫けば、自然と、神に与えられた道が開き始める。それが、人生というものなのである。

誰でも幸せになる方法!? あるわけがない?

あなたは今幸せですか?

こう聞かれたとき、今の私の答えは「YES」です。でも、以前もそうであったのかと聞かれれば、はっきりと「YES」と 言うことはできなかったかもしれません。

逆に私が「あなたは、今不幸ですか?」と尋ねられて、不幸に「 YES」と答えることもない人生だったなぁと思ってもいます。

この人、何を書いているのかって?

自慢話?

いえ別に、私は自分の幸せ自慢をしたいわけではありません。他の方からみて決して私は恵まれている人間というわけではありませんでしたから。

小学生時代肥満児で、スポーツは何をやってもダメだったし
肥満について悪口は言われてたし
彼女に連絡もなく逃げられたこともあるし
大学受験を失敗して浪人はしたし
単位が足りなくて留年はしたし
家族がいるのに単身赴任をしていたし
ただの使用人だし
昇進していくエリートコースの人間ではないしで
人から羨まれるようなことはありません

そうではなく、幸せを求める人が、実は幸せがどういうことなのか、忘れてしまっているのではないかなぁ?と思って、この文章を書くことを決めたのですね。

やっぱり幸せな人の上からの自慢話ですかぁ?

いえいえ、違いますよ。というより、今日の朝の私の心に現れたのは、このことだったからです。書くように心が言っているわけですね。ただ、それだけです。今すぐに読むのをやめたいとあなたの心が感じたのであれば、読むのをやめていただいて構いません。

その程度の話でしかありません。でも、何かご縁があってこれを読んでいただいているのであれば、幸いです。

私の人生は常に恵まれていたわけではありません。ですが、恵まれていたかもしれません。

で、どちらですか?

どちらもです! 意味がわからない・・・

いや、違うんです。どっちだっていいんです、判断基準は私自身なのですから

!?

何か意味のわからないことを、この人書いている?

いえいえ、ちがいます。気づいて欲しいんです。

理解してもらうには、時間がかかるかもしれませんが、すべてのことを決めているのは、本人の心だけなのであるということを思い出してもらいたいのです。私は、そのために今これを書いているのです。

すべての感情を決めているのは、実は自分自身であることを思い出して、みなさんにそれを再度理解してもらいたいのです。今一度、書きますが、すべての感情は、ご自身がすべて決めているんです。ただ、それだけなんです。

難しいことは、何一つもありません。今の気持ちを決めてるのは、自分なんですよー。

簡単なんです、それを思い出しましょう。

お金持ちは、幸せ!?

毎日テレビばかりを見ていると、お金持ちであることが幸せのように刷り込まれています。

しかたありません、私もそうでしたから。

そして、刷り込まれてしまったロボット人間達と付き合っていたり、ロボット人間に育てられてしまっていたら、あなたも、お金があると幸せと感じる、そんな反応をするロボットになってしまっている可能性があります。

でも、しかたありません、私もそうでしたから、よくわかります。

テレビを見ていると人よりもたくさんのお金を稼ぐことが、素晴らしいことのように見えてきます。豪邸に住んだり、いわゆる高級品を所有したり。

あなたも年収が1億あったら嬉しいんじゃないですか?

でも、ちょっとまってください。

いろんなものを持っている人が幸せかどうか、豪邸と高級品で判断できるのかというと、難しくないでしょうか。

なぜかって?そもそも、すべてはモノであり、人ではないからです。モノがどんなにあったとしても、それはもともと地球にあったものじゃないですか?違いますか?

宗教ですか? いえいえ、真実をありのまま書いているにすぎません。あなたも実は知っているんじゃないですか?

だとしたら、お金だって、モノだってどんなに持ったって、自分のものだと思い込んでいるだけの、人という生き物。悪く言えば、地球は俺のものだといっている、ただの猿でしかないじゃないですか

まぁ、そんなものなんです。

1億稼ぐために、やりたくないことをやって、自分に嘘をついて、家族との縁も切って、友達も失って、そんな状態で1億稼ぎたいとあなたは思いますか?

私はまったくそんなことは思いません。

自分らしく気楽に生きれる年収100万の方が、私は値打ちがあるように今は感じます。

メディアが示す「お金持ち」のイメージのウソ

お金持ちというと、大きな家や高級車、高級腕時計を想像すると思います。まったく何の責任も持っていないメディアが紹介するお金持ちのイメージのすりこみは、そんなところです。

ですが、ちょっとまってください。

その家やモノを所有している時点で、お金は本当のお金持ちに流れてしまっているのであるから、その本人は決してお金持ちではないのです。

お金を払って買ったしまったら、お金は持っていないじゃないですかねw

また、プロ野球選手やプロサッカー選手など、高収入の人をメディアは、お金持ちと呼ぶこともあるが、実際にはそれ以上の収益を上げた組織が稼いだお金の一部を選手に渡しているにすぎないのですよ。

もっと稼いでる人がいるわけですな。

お金持ちは、売った業者のオーナーの方なのんですよ。誰もおもてだって言わないですが、プロスポーツ選手にお金を出している方なんですよね。芸能人にお金を出している方がお金もちなのですよ。

でも、そんなこと、絶対にいいません。そんなことに気づいてもらうと、テレビだけではなくて、国の貴族や権力者が嫌がりますからね。

お金を追いかけて、命をかけてまで働く労働ロボットが欲しいんです。

そのための洗脳ですからね。

幸せになりたいと願うのではなく、今すでに幸せであることを理解する

まさに今やりたいことがあるのに、お金を稼ぐためにやりたくないことをやっているのであれば、今すぐに止めたほうがいいのである

明日、死ぬこともあるかもしれないし、急にやりたいことが実現できない体になることもある

今やりたいことをやってしまって、自分以外のだれかに怒られてしまったとしても、あなた自身の心の奥底の気持ちが、それを否定しないのであれば、それはやっていいことではなくて、むしろ、やらなければいけないことなのである

幸せは買えない。だけど、幸せと感じることはできる。

今、幸せであることを拒むのではなく、今すでに幸せであると心の壁を壊してあげましょう。あなたは、すでに幸せなんです。幸せと感じるのを拒否する必要はないんです、すでに幸せだったんです。許してあげましょう。