昨日、私の実の弟に電話をした。結婚はしているが、子供はおらず共働きの30代の夫婦である。
親父が当選したこともあり、連絡をすべき必要にかられ電話したが、自分中心、そして仕事中心の状態のためか、電話の声も決して、覇気があるわけではない。こちらからの要件に、ただ、ただ、「はい」を繰り返していた。
子供のいない家庭に、それほどお金は必要はない。しかし、この夫婦は会社の指示に忠実に従って生きることに、異義を考えることがないようで、子供も作ることもなく、お金が必要ということもなく、仕事で忙しく毎日を過ごしている。
私は、この二人には前から疑問がある。お金を多く使う先がないのに働くことに意味があるのだろうかと。将来的に子供をつくるからならわかるが、計画的に子供を産むというのはなかなかできるようなものではないので、結局のところ会社の言いなりとなって働いているように私は感じる。
そもそも二人とも大学を卒業し就職した同じ会社の社員であり、良くも悪くも会社色に染まっている。関東からの指令に従い、二人ともに地方にとばされて働いてきている。会社からの会うこあいキビアいい、この地方勤務の指令を受け入れれた、あるいは文句も言わないからこそ、二人は続けてこれたのである。
もちろん、地方貢献はできただろうし、文句も言わず働いてきた一面もあるだろう。立派なことだ。ただ、私には、幸せそうに見えないのである。余計なお節介ではあるが。
目の前の仕事に、翻弄され生きている。私の目には、そんな風に映っているのである。
自分の人生で何をしたいかを、考える時間を持とうともしないのか、発想すらもないのか、ただ、目の前の仕事をこなすことで精一杯にみえるのである。
元気があり、希望に満ちた目をしているのであれば、こんな心配はしないのであるが、まったくその様子ではないのである。
なぜに、このような生き方をする人がいるのだろうか。私は、不思議に思う。もちろん、性格の問題もあるのではあろうが、それにしても、未来を考えることなく、ただ、文句も言わず、目の前のことを、一生懸命ではなく、ただひたすらにやるという生き方をしている人というのは、幸せなのだろうか?
私の身の回りを見回すと、半分くらいの割合でこのような生活をする人がいる気がする。
彼らの特徴は
生活に余裕をつくることを考えることもないから、生活に余裕がない
夢を考える時間を作ろうともせずに、希望のない生活を生きている。悪く言えば、目の前で精一杯。
自己主張をしないというよりも、多くを感じていないのか、数人のグループでも発言が少ない
もちろん笑顔が少ないから俺たちが幸せじゃないと、考えないでくれ。余計なお世話だという、気持ちもわかる。
けれど、それでいて、周りへの感謝の言葉も態度も少ないので、誤解もされてしまっている。
ただ、私は、時に「考えることが面倒くさいだけ?」なのだけかなと感じることもあるのである。
人生を自分の思い描くままに描いていこうという姿もなく、考えることすらも放棄というよりも、考えるという行動すらしたことがないような状態の人間が、生まれている気がしてならない。
考えることが面倒くさいから、言いなり。
ヒトラーが言った、「ロボット人間」。私はそれを彼らに感じるのである。