「スピリチュアル」カテゴリーアーカイブ

【ヒトラーの予言】超人(ユーベルメンシュ)や神人(ゴッドメンシュ)とは何か!?

ヒトラーの予言にある超人(ユーベルメンシュ)や神人(ゴッドメンシュ)とは何か、私はまったくもってイメージが湧きませんでした。しかし、最近私はその姿がイメージ出来てくるようになりましたので、今回記事に致しました。超人や神人に自分たちがなるとは思わないでしょうが、ロボット人間か神人のどちらかしか選べないのです。

目次

おさらい 超人の定義とは

普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる

超人のイメージ

ヒトラーでは上記のように超人が定義されました。この場合の超人は、パワードスーツを着た人間のような存在のイメージがします。つまり、道具により人を超えた存在が出てくる言明示です。

おさらい 神人の定義とは

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

神人は超人とは異なるイメージが湧いてきます。超人は人を超えただけの存在ですが、神に近いとなると、超人以上の存在が神人と言えるのではないでしょうか。

神に近い人が実はこぼれ出てきている

戦後の19世紀を思い出してみると、そこはテレビの情報が永遠毎日のように繰り返され人々を洗脳するかの如く、正しいという情報をテレビが発信続けてきました。多くの人はテレビの伝える情報こそが正しいと信じ疑うことをしませんでした。

ところが、震災が一度起こるとメディアの情報が一切使えないことが露呈します。テレビは「安全に努めてください、身を守る行動をしてくださいと」言うだけで、結局はなにもしません。

政府や自治体でさえも、正しく機能するかと言えば、まずは自分たちの身の確保が優先され、震災時には正しく機能しないことがわかっています。

もう忘れれてしまいましたでしょうか?

しかし、そういった無責任で無能な集団が多数いる一方で、信じられないような人命救助をしている方々がいます。

こういった人々はなんなのでしょうか?

普段はメディアには出ないが本当の災害時に目立つ人々の存在

お金のため活動する人は、メディアに頻繁に出演します。自分を売るために毎日必至ですから、今日も名前を覚えてもらおうと、自分の知識を知ってもらおうと、おもしろおかしくして覚えてもらおうと、必死にメディアに出演して、皆さんに名前を覚えてもらっています。

しかし、そのような人たちが災害が発生した時に、人々を救う動きをしたということを聞くことはほとんどありません。

少々のお金を寄付したということくらいで、それ以外に支援することはできないのです。普段、自分は権威がある、知見があると散々メディアで語っているのにです。

ところが、本当の災害が起こってみると、全く別の人々が目立ち始めます。みんなが逃げてしまっているところを、残って人命救助する人、身を捨ててまで、他者を助ける人。

彼らは、メディアになんて出ようともしません。

セールスや洗脳の情報やフェイクニュースがあふれるからこそ洗練される人

私達の毎日は情報で溢れかえっています。その主なものは、モノを売るための資本主義のセールストーク、欲望を助長するための押しの文句、そして、人々をコントロールするためのフェイクニュース。

オレオレ詐欺をやっていなくても、オレオレ詐欺をやっているようなメディアが人々を毎日のようにコントロールしようとしています。

しかし、だからこそ、その中を強く生きる人が育っていると私は感じます。嘘の洪水の中で、正しい情報をつかむ人が増えているのではないでしょうか。

神人は金儲けの達人ではない

メディアが取り上げるのは、金儲けの達人ばかりです。宣伝をすることで、スポンサーとなることで、さらなる利益を上げるために必死です。

それが、平常の世の中で目立つ人です。普通の生活の中で目立っているのは、結局は、金儲けの達人だけなのです。

神人の姿の予想

私は神人は一般人の中で育っていると常々感じています。

人類が本来はどのように歩むべきであり、どのような生き方をすべきかを神人は必ず持っていることでしょう。

そして、神人となる人は、普通の人々には理解されない、未来に対応した生き方を提案している気がします。

未来のことを今の時点で凡人が理解することはできません。未来が現実となったときに、彼らが発信していたことが、正しいことに気づき、急激に救いが求められるのでしょう。

私は、ネット社会の中で、ひときわ目立つ存在で情報を発信し、人々に正しい情報を出していく人々が神人となりえるのではないかと最近感じています。

インターネットを見れば、様々なことがわかります。グーグル先生といってもとめた記事は、グーグルが作ったわけではなく、その情報の作者が事前に考えたことが、インターネット世界に創造され発表されているのです。

つまり神人は、そういった世間に先駆けて、正しい情報を出し続けている人の延長にあると私は感じているのです。

自分が「好きなこと」は誤解しやすい 「心が軽くなること」をやろう!

「自分の好きなことをやろう」というメッセージはいたるところに転がっています。けれど、この好きなことって、学校や職場、一般社会の洗脳に晒され続け生きていると、実は見えなくなっています

好きなことが、本当に好きかどうかもわからなくなり、気づいたら、本当に好きなんだっけ?ということも多くあります。

その理由は簡単です。

この社会では、あなた自身にいくつかの役割が押し付けられて、そのイメージがあなたにその「好きなこと」をやらせているからです。

例えば、ゲームなどですが。ゲームの中で、ひたすら悪い奴を倒すということを、やっていたとします。自分は正義だ、今日も悪をやっつけた、ゲーム最高とね。

しかし、それって、普段の中で、何か不満があってそのゲームにハマっている可能性が高いです。

私も、仕事がつらい時期、帰りの電車でゲームをやっていたことがありますが、今思えば、なんでやってたのだろうか?と思うことが多々あります。

 電車で帰るという手段しかない
 会社の帰り道に持てるのは携帯ゲーム
 仕事とは別の世界に逃避したかった

まさに、3番目が、そのゲームをやらせていただけで、好きでそれをやっていたわけではないのです。

なので、好きなことをやることが、常に正しいと私は思いません。

「好き」という感情をミスリードしている可能性が大いにあるからです。

それよりも大事な視点は、「心が軽いか?」ではないかと私は感じます。

学校の生活や、仕事、家庭生活の中で、自分が生き生きしているときは、気分がよく、心も軽く、フットワークもよく、なんでもできそうな気がします。

その時は、好きなことをやっているというわけではなく、「心が軽く」なっている場合が多いはずです。

今、何かをしなくちゃという思考に押しつぶされそうになっていて、たとえばあの仕事、今日家で片づけておかないと、来週からの仕事がうまくまわらないとか、月曜日のあのプレゼン気が重いとか、「心が重くなっている」ことをやっているのであれば、そこに現在の人生の問題が潜んでいる可能性が大いにあります。

本当にやるべきことをやっているとき、人間の心というのは、実は、常に軽いという感覚にあると思います。

生き方、動き方が、フィットしている、ぴったりとあったことをしている。

のような場合は、必ず心が軽くなります。

もし、これを読んでいる皆さまが、心に余裕がなかったり、不安があったり、心が重い状態にあるとしたら、その状況の中で、心が少しでも軽くなるようなことを考えて、見つけてください。

そして、行動してください。そして、実感してください。

もし、本当に心が軽くなったのだとしたら、おめでとうございます。それこそが、今、自分がしなければいけなかったことなのです。

自分が「好きなこと」がわからなくなり、自分探しをするのではなく。心としっかりと向き合って「心が軽くなること」をやっていきましょう!