魚が食べたものを食べていることを忘れている

私たちは、すでに文明が出来上がった社会に生まれてきてしまったから、この生活が正しいのかそれとも誤っているのかすらも意識することなく生活をしている。

日本人は魚を食べる民族である。そして寿司という文化を世界に広め、生の魚を食べる習慣をも広めている。寿司はすばらしい食べ物であり、回転寿司などファミリーレストランでも年々人気が高くなっている。

しかし、我々はそんな食べ物として口に入れる魚がどんな場所で生きているのかを、何を食べているのかを、あまり意識していない。

人間は生きているだけで汚れた水を流している。料理をすれば、食器を洗った後の洗剤、油を。風呂に入れば、シャンプーにリンス、石鹸を。

毎日のように、無意識に、汚れた水を垂れ流しているのである。

そして、電化製品、車を使う。工場での廃液だけでなく、電気などは生み出した後で、放射性廃棄物をも垂れ流している。

そして、垂れ流した水は海に流れ込んでいるのである。

そんな海で生きている魚を我々は食べているのである。

そう考えると、海を汚して平気な顔していられるだろうか?

大量の汚染水を流して、平気な顔をしていられるだろうか?

汚れた海で育った魚を食べたいとあなたはおもうだろうか?

大きな魚の内臓を食べることはあまりないが、小さな魚の場合、人間は内臓ごと食べることがあるが、これは魚が食べたものを食していることになる。

つまり、我々は魚が食べたものを食べていることになる。

例えば、ワカサギ釣りで使う餌の紅さしや赤虫なども、内臓ごと食べるとすれば、食べていることになるのである。

ハエの幼虫だって、蚊の幼虫だって、我々は間接的に食べているのである。

自然の恵みで我々は生きている。しかしながら、現代の生活は自然を壊す形で進んできてしまった。本当にこのままで問題ないのかは、自分たちが自然にどんな影響を与えるのかを今一度見直して、生きる必要があると、私は感じている。

当たり前のようにやっている、その毎日が、本当に自然と共に生きる時に正しい行いかどうか、見つめ直す必時間を持つべきである。

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