神様なんているわけないじゃないか。僕が苦しい時に助けてなんてくれないもの。いやいや、そんなことはない、神様は常に君のそばにいて、君を救ってくれている。一人一人の心の中に、神が宿っているのだよ。果たして、神は存在するのか、それについて、あらたな理解を得たので、記載してみたいと思う。
目次
- 心のない人間の社会
- 神の存在がなぜ必要なのか?
- 神が存在しなかったらどんな世界があったのか?
- 神とは、人を思いやれる人間のことではないか
心のない人間の社会
世界大戦と呼ばれたモノが終わってから100年程経過しようとしているが、人間というのは、いまも戦い続けている。
人間は、殺し合うことを現実的に行っている。
戦争がなくても、資本主義戦争で戦っているだけでなく、日々のいざこざのなかでも、殺人事件もあるし、物を盗むことなども、日常的に行われている。
つまり、人間とは、残虐な面ももっているのである。
戦争のあった時代には、人が区別され、奴隷が存在し、人として扱われない、家畜のような人間と、それを扱う人間が明らかに存在した。
また、人間の皮で、傘を作ると言うことを、人間は行ったのである。
なんとも、人間とは残虐である。しかし、それを抑える心も同時に持っている。
神の存在がなぜ必要なのか?
このような人間、残虐さと心を持った人間。その人間から、残虐性を取り除くにはどうしたらいいのか?
おそらく、イエスキリストもモハメッドも、考えたのだと思う。
王様が人々を支配し、奴隷のように使い、戦争をしていた時代、その時代生きた彼らは、人間に理性や心をもたらす存在が必要だと理解していたのだと思う。
だからこそ、神という絶対の存在を創ったのではないだろうか。
俺様一番、俺が一番偉い、何をしたって許されるとなったときの人間の姿を、私達は、知っているし、予想できる。
そんな人間をコントロールできるとすれば、神という存在が必要ではないだろうか。
また、ひどい病気やとんでもない苦しい人生が待っている人々に対して、安らかな気持ちを与えるためにも、神という存在が必要ではないだろうか。
神様は、あなたを見てくれています。あなたには、その苦しみが必要なのです、あなたは学ぶために生きているのです。
とんでもない苦しい現実の中で、そのような神の存在なくして、私達は生きられるでしょうか?
神が存在しなかったらどんな世界があったのか?
神がもし存在しなかったとしたら、人々は戦いを辞めないだろう。
神がいると思うことで、悪いことはやっちゃいけないと戒める。
バチがあたるという認識を、日本人なら持っていると思うが、これを持っているのは、日本人くらいで、世界の人が持っているわけではない。
悪いことをやったら、人間ではなく、神という存在がいて、罰せられるということを、持たない人間たちは、何をするだろうか?
人を殺すことも、動物を殺すことも、躊躇なくおこなってきたではないか?
おそらく、神が存在しないということがわかると、世界は恐ろしい修羅の世界となる。
その世界を維持するために、神の存在をしらしめその神を創った罪を、彼らは死んで、背負っていたそう理解するのが正しい。
神とは、人を思いやれる人間のことではないか
神様がいないという事実に直面したとき、私達は、悲観するだろう。
私達の生活とは、なんとも酷いものだろうと、救いのない世界だろうと思うだろう。
しかし、しかしだ、私達の中に実は神が存在するのではないか。
困っている人を救うこと、富めるものが貧しいものを救うこと、助けるということを人間はできるではないか?
人々は、残虐な悪魔になることもできるが、人々は、人々を助ける神にもなることができる。
すべては、ひとりひとりの選択である。
神とは、人を思いやる人間のことである。
それゆえ、キリストは神といえるであろう。