共有主義

資本主義の崩壊後の社会で何が始まっているかといえば、共有主義という世界である。

これは何かといえば、インターネットを介した情報財産の共有主義である。写真や音楽、動画はもちろんのこと、それを担うシステムも皆で成長させるという社会である。オープンソースコミュニティといってもいい。

独占権利主義という社会は、我が社が一番、自分が一番を目指す社会であり、特許や流通権、販権、何もかも権利を主張し、すでに誰かが作った物を利用してビジネスをする場合には、多額のお金を要求し、結果的に進化を権利が阻むという社会が成立していく。

会社や一個人がやれることなんてたいしたことがないのであり、我が社の製品が一番なんていうのは、そもそも愚かな人間的な視点でしかない。会社の従業員が全員国民ということであれば、理解できなくもないが、そもそもすべての人間がそれぞれアイデアを持って存在しているのであり、そこから生まれるアイデアに勝てる製品を一つの企業が持ち続けることは長期的には不可能なのである。

つまりは弱くアイデアがないからこそ権利を主張するのである。自分が一番と思いたい、次の試合で負けたくないという弱い心があるからこそ、真似を許さないと権利ばかりを主張して、次の未来を作ろうとはしないのだ。そもそも楽をしたいなら、お金だけを欲しがるだけで、やる気がないのだから退場したら良いのである。

ある人が作り出したラーメン、そのラーメンのレシピを公開し、ラーメンにチャーシューをのせたり、豚骨風に味を変えたり、自由にレシピが変えられるからこそ、新しい味が広がったはずだ。ラーメンの定義とはこの形と固定し、亜種を許さないとした時点で成長は止まる。

パソコンのOSを公開せず、独占すれば独占した企業の方向性にしか未来は広がらないが、公開すれば数多くの孫OSが生まれていきスマホにだって広がっていく。そして結果的に人々にとって使いやすい道具が作り続けられていく。

そもそもアイデアマンであり、他人が真似することができないという自信があるなら、権利による拘束ではなく実力による勝利がつかめるはずであろう。

誰かが作った音楽、誰かが作った映像、そしてそれを組み合わせる人、そしてそれを評価する人がいる。その評価を受け再度音楽を改善し、映像を改善し、評価も見直し、次の作品が生まれる。そのサイクルがインターネットを介して、高速に回転していく。そのスピードに企業はついていけないので、自分達もその世界に入り始めている。

しかしながら、権利を主張した時点で、その先に未来はない。前出の通りアイデアが乏しくなるからである。

共有主義の成立には、共存共栄の精神が必要となるが、当の本人にはそれには気づいていないだろう。無意識に生産を続けるのである。多くのお金を必要とせず、モチベーションの高い人間の高速処理・対応、そのスピードに企業は勝ち続けることができるのだろうか。

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