この世における人々の命は、
定まった相なく、
どれだけ生きられるか解らない。
悼ましく、短くて、苦悩をともなっている。
生まれたものどもは、
死を遁れる道がない。
老いに達しては、死ぬ。
実に生あるものどもの定めは、
このとおりである。
熟した果実は早く落ちる。
それと同じく、
生まれた人々は、
死なねばならぬ。
かれらにはつねに死の怖れがある。
たとえば、陶工のつくった土の器が
終いには破壊されてしまうように、
人々の命もまたその通りである。
悼ましい=悼[トウ]・・・人の死をいたみ悲しむ。
遁れる[のが・れる]・・・危険や不都合な状態などからにげる。
死んだら終わりという、宗教は少数派で、世界の大半では生まれ変わりを信じている宗教が多いそうである。
若い時には死を恐れる気持ちなどなく、むしろ死ぬことですべての嫌なことから逃れられるのではないかという、思いがある。多くの自殺者のなぜを考えるとき、私はそう感じることが多かった。
しかし、実際に死んでみようか、死んでみたらどうなるかを考えれば考えるほどに恐ろしいものを感じるようになる。それが普通だ。
気づいた時には、ここにいた自分という自我の消滅について、よくわからない。いつから人間の世界にいたのか、生まれたのだから、母親が生んでくれた後からこの世にいる気がするが、それも今となってはよくわからない。
私はそう感じる。
いつ死ぬかわからない、けどいつかは死ぬ、だから今日も、今日できることを精一杯やればいい、そう考えて、私は生きている。