心のアイデアを形にすることが人生なのではないか?

長年生きてきて思うことがあるのですが、人生とは何かを考えた時に、それは

心に従って生きることなのではないか?

と考えることがあります。よく理由はわかりませんが、心というものは確かに存在し、これはやっちゃいけない、これはやるべきだ、なぜやらないのか攻められる、にげだしたくなる、など、心には、何かしら、人間を突き動かすメッセージ、コマンドになっているような気がしています。

私は、これが、何なのか、ずっと疑問に思っていました。

心がやるべきと言っている、心がやるなと言っている。これは何なのでしょうか?良心が傷つく、良心が痛まないのか、というような言葉もある通り、確かに心というものは、モノではありませんが、存在しているのです。

人生にやるべきことがない、やりたいことが、ないというとき。それは、心のメッセージを聞いていない時なのではないか?

あるいは、心のメッセージがあるのだけれども、それをなんらかの理由で拒否しているときなのではないか

と私は最近考えるようになりました。神様が、やりなさいと言っている。神の声が聞こえた。などという話を聞くことがありますが、これは、もしかしたら、心の声なのではないかと私は感じます。

内在神という言葉があって、神様が実は人間内部にいるというかリモートで一緒にいて、人間がそもそも神様であるという説などがあると、情報があったりもしますが、人間のこのという機能は、まさに、この神様の言葉なのではないか?

と考えています。心が、世界を平和に導くメッセンジャーなのではなでしょうか?

心が人を殺すべきだ、心があいつを殺せ、などということは決してなく、欲望や飢えや野心が、多くの犯罪を生んでいるのであり、心が悪いことをしろと命令することはないと、実体験からも感じています。

私が、動く理由も、まさに、心の働きであり、心からの気持ちが、行動の基本になります。

心にもないことを言うという言葉もありますが、心のある言葉、真のある言葉も、見抜けるのが人間であり、心があるからこそ人間なのです。

だから、心の働きというのはとても大事であることがわかります。

人生に悩みがあるとき、この心を、自分の心と向き合うときだと、私は今ははっきり理解しています。

欲望に占有され、心を失うことがないように、心と会話する時間、一人の時間をつくることは大事だと思います。瞑想なども、結局は、自分と対話する時間であります。

心に描かれたことを、シンプルにやる。シンプルにやると、達成感が生まれ、生きている実感がわく。

心に描かれることを、否定し、仕事にいきる。仕事をやるとお金は貰えるが、達成感はない。お金でものは買えるが、達成感はない。そして、生きている実感がしなくなる。マヒする。

どちらの生き方がいいかを心に照らして考えると、おのずと答えは見えてくるのだと私は感じます。

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